カナリヤ・カラス | ナノ


腹が膨れれば眠気が来るが、食って寝ては牛も同然。人ならば動けと、普段誰より寝転がっている鴉に駆り出され、雛鳴子はほぼ巻き込まれる形で金成屋を出た。行き先は勿論、文次郎の工房である。

鷹彦は「せっかく午後が暇になったから、家で洗濯でもする」と言って同行せず。
スクラップ山へ向かうのは言いだしっぺのギンペーと、引率の鴉、そして無理矢理同行者にされた雛鳴子の計三人である。

せっかく時間が出来たのだから、なけなしの給料でこつこつ集めた本でも読もうと思っていたところ連れ出された雛鳴子は非常に不機嫌であったが、白鳥の話で文次郎に少なからず関心を抱いていたので、これも経験だと自分を強引に宥めることにした。

その意識を越えて聴こえてくる鴉の鼻歌は、無理に閉じた蓋をこじ開けてくるレベルで不快だが(無駄に上手いのがまたイラっとくる)、とにかく足場の悪い道を進むことに集中しよう。
雛鳴子は鬼のような形相を、その規定外の美貌に浮かべながら、ざっくざっくとゴミが重なる道を歩いた。


スクラップ山は、都から捨てられた廃車が積み重なった場所で、少しでも大きな地震が来れば確実に潰されて死ぬのが目に見える危険区域だ。
文次郎はそんな場所だからこそいいと言って工房を構えているのだと鴉は言うが、錆びた車の亡骸の間、ゴミが散らばる道を通っていく度、本当に偏屈なじじいだと舌打ちしたい気持ちが湧いてくる。

横からは今にも廃車が此方に圧し掛かってきそうな圧迫感、足元にはよく分からない部品類ががちゃつく不安定感。
こんなとこを通らせるなんてまともな性格の人間ではない。雛鳴子は段々興味よりも帰りたいという気持ちが大きくなってきた。

それはギンペーも同様のようで。絶妙なバランスで積み重なった車が落ちてこないかとびくつきながら歩く度、小声で「コワイ、ヤダ、カエル」と呟いている。

先頭切って歩く鴉以外には、誰も楽しい様子がないまま進んで行くと、やがて廃車の道が大きく開けた。


「……此処、は」


其処で更に雛鳴子は顔を顰め、ギンペーは顔色を悪くした。


「お目当ての桜田工房だ。カカカ、相変わらずの重装備だな」


道を抜けた先ではドーム状に廃車が周りに重なり、広場が出来ていた。
その奥に、取り残されたように廃屋が一つ佇んでいるが、周囲を固める背の低いガラクタ山と、手前に設置された二つのカメラ付き機関砲のせいか、寂しさは感じられない。

そんな異様な光景も然ることながら、廃屋から響くガンガンと何かを打ち付ける音や、ギュインギュインと動くカメラの音がまた騒々しくも不気味だ。

雛鳴子とギンペーは、此処に来てようやく白鳥の言うことが理解出来た。
彼の言葉で最も不吉であった「それなら死ぬこともないと思うよ」というのは、これを指していたのだ。


「安心しろ。俺がいるから撃ってくるこたねぇよ」


鴉は笑いながらズカズカと、カメラが此方を睨む中、堂々たる歩みで廃屋を目指す。だが、安心しろと言われてはいそうですかと呑み込める訳がなかった。
雛鳴子とギンペーは駆け足で鴉の後ろに付き、機関砲が火を吹いてこないか警戒しながらびくびくと進んで行った。

本当は今すぐにでも逆走して帰りたいのだが、鴉がいなくなった途端に機関砲が此方に一斉掃射を仕掛けてきそうで。
彼女らは不本意ながら、前進することが最善策だと取り、カメラの死角になるようにと鴉の背中に隠れながら足を進めた。

機関砲のせいでやたら道程は長く感じたが、工房まではそう大した距離ではなかった。


「おぉーい、ジジイ。見てたんだろ?俺だ俺。金成屋・鴉さんが来てやったぞ」


ガンガン!とけたたましい音が、薄暗いコンクリートの壁や床にとにかく響く。
頭痛を起こしそうな衝撃音に耳を塞ぐと、今度はつんと鼻孔を機械油の匂いが突いてきた。

こんな中で鴉が平然としていられるのは、彼の図太さの為せる技なのだろうか。そう思っていた二人だが。


「おいコラ聞いてんのかクソジジイ!!」


ガチャアアン!と盛大な音を立て、鴉が足元のダンボールを蹴っ飛ばした。
細かい機材が入ったダンボールはその容赦のない一撃により見事横に転がり、中身をぐじゃぁっとぶち撒け――そこでついに耳障りな音が止んだ。


「分ぁっとるわクソガキ!!今返事しようと思ってたんだよ!!!」


と、油断していたとこに舞い込んできた怒鳴り声に、雛鳴子とギンペーは脳に大打撃を受けた。

鼓膜を突き破ってぐわんぐわんと頭を揺らす大声量は、先程まで此方を悩ませていた音よりも攻撃的であった。そして攻撃を受けたのならば返すのがこの町のやり方で。


「うるっせぇんだよボケ老人!今返事しようと思ったってどんだけローディング長いんだよこのオンボロ!!」

「誰がオンボロだ!ビンテージと言いやがれスクラップ頭!!お前の脳味噌に年上を敬う心を装弾してやろうか?!」

「ビンテージだぁ?!笑わすんじゃねーよ処理落ち老害!大体な、俺に敬う心がねぇんじゃねぇよ。てめぇに敬われる価値がねぇんだよ!」

「なんだと?!」

「あ゛ぁ?!」

「「……………」」


繰り広げられる舌戦を前に、取り残された雛鳴子とギンペーは目をこれでもかと細めて呆然とした。

鴉はまぁ、こうなるのはいつものことだから納得しよう。だが、いくつもの罵倒合戦を越えてきた鴉に対しまるで引かない老人はどうなのか、と二人は寧ろ感心する勢いで呆れていた。


白鳥の説明からして間違いない。偏屈な性格に、御年七十二歳の武器職人。桜田文次郎は、鴉と口汚く罵り合っている老人のことだろう。

身長は百四十から百五十の間と言ったところか。非常に小柄であるが、その分声と態度がでかい。
鴉とは随分体格差があるが、一切引くどころか食って掛かる勢いで向かうその様は、実に天晴である。

長年使われて非常に煤けて灰掛かった桜色のオーバーオールと、目元を覆うゴーグルのせいか、その破天荒さのせいか。実年齢よりもかなり若く見える。
だが、額や口元に刻まれた皺は、彼が生きてきた歴史の象徴であり、しゃがれた声や白髪も、桜田文次郎という人間の年季を見事に現していた。そんな観察に徹していると。


「オイ、鴉。ところでこのガキ共はなんだ?」

「あ?片方は前に来た時言った、俺の性奴隷候補。もう片方は最近入ったパシリだ」

「なんて紹介してんですか!!」


ぴたりと喧噪止んだのも束の間。怒りに任せた雛鳴子の蹴りが鴉の膝裏に直撃した。
その思わぬ威力に鴉が膝を落とす中、ギンペーは文次郎がじーっとゴーグル越しに此方を見ていることに目を向けた。

オレンジ塗りのレンズの先にある目は、工房が暗いせいでよく見えなかった。だが、いい目を向けられていないことは、ギンペーにも分かった。
かと言って睨み返す訳にもいかず。ギンペーは苦笑いしながら軽い会釈を文次郎に返したのだが。


「駄目だなこのガキは。乳臭すぎて吐き気がすらぁ」


ぺっ!と文次郎が唾を床に吐き捨てると共に、鴉がブホァッと吹き出し、ギンペーは凄まじい精神攻撃によるショックでくら、と近くの壁に凭れかかった。

白鳥や鴉の言葉から、あまり期待はしていなかったギンペーだが、ここまで言われるとは思っていなかったので大いに落ち込んだらしい。
壁に手をついて、どんよりという文字が背中に乗っかっているのが見えるレベルで凹んでいる。

雛鳴子がご愁傷様と合掌すると。口元を押さえてぷるぷる笑いを堪えている鴉をじとっと睨んだ。自分のことではないにせよ、腹が立ったというか、イラっときて。
すると今度は文次郎が自分を見ていることに気が付いて、雛鳴子ははっと視線を下ろした。

そして、自分もギンペーのように何か言われる前にと身構えて先手を打った。


「…あ、あの……私は、ただの付き添いで……」

「分ぁってらぁ。お前はもう、自分にあったモン持ってるんだろ」


文次郎が鼻をふんと鳴らしてそう言うと、雛鳴子は目をばしばしと瞬かせた。


「火薬を扱うたぁ、その歳のわりには度胸が据わってるみてぇだな。さっきの蹴りから見るに、戦い方は鷹彦にでも教わったか。
だが、そのままあいつに倣うのではなく、てめーに出来ることの範囲を弁えて、不足分を補う工夫をしているみてーだな。中々大したもんだ、奴隷っ子」

「……ですから、奴隷じゃないんですけど」

「おい鴉、とっとと刀抜きな。ここで診てやらぁ」


雛鳴子の釈明を無視して、文次郎はホレ、と急かすように小汚い軍手をつけた手を差し出した。
鴉が「あいよ」と言いながらすらぁっと刀を抜く様を横目に、雛鳴子はやはり文次郎はただの偏屈者ではないと、口惜しいがそう思った。

雛鳴子は此処に来たのは今日が初めてだ。鴉は以前来た際に自分のことを文次郎に話したらしいが、彼がわざわざ雛鳴子の戦闘スタイルまで話すとは思えない。

文次郎は自分の目で見て、解釈して、理解したのだ。雛鳴子がどういう武器を使って、どういう戦い方をしているのか。ゴーグルに隠れたその双眸で、文次郎は見抜いたのだ。
腕も然ることながら眼も一流、と白鳥が言ったのは、このことを意味しているのだろう。
手渡された刀を傾け、メンテナンスを行う文次郎を見て、改めて雛鳴子は白鳥の言うことを理解した。


「ふん、相変らず無茶苦茶に扱ってくれてるみてぇで嬉しいぜ。やっぱ武器はこうでなくっちゃいけねーよ」


ここにきて、文次郎は初めてにたっと笑った。

いくつか抜けた歯を見せて、まるで子供のような笑顔を浮かべると、文次郎は鴉達が来るまで座っていたオンボロの座椅子に掛け直す。
そして、一度刀を鞘に納めると、バババと目釘を抜き、刀を鞘から抜いて柄を外した。
それから、はばきや鍔も手早く取り外すと、椅子の脇に置いてある引き出しから拭い紙を二枚引っ張り出して、一枚で丁寧に刃を拭いた。

落ち込んでいたギンペーも復活して、すっかり見入る程、見事な手際だった。乱暴な口調などからは想像も出来ない程、繊細な手付きであった。

この手入れ作業は、刀を仕事で使った後に鴉もやっていることで、雛鳴子はよく見ているのだが。文次郎の手捌きは、鴉のそれよりも明らかに優れたものであることが分かった。
刃の油を拭き終えると、文次郎は打粉を掛ける作業に入った。


「終戦世代のご時世でも尚、武器は需要が絶えやしねぇ。治安保持、生物兵器の駆除、革命運動、エトセトラ…。俺ら戦後世代は、先代様の遺した最悪の置き土産のせいで、未だ戦い続けなきゃなんねぇ尻拭い世代だ」


注意深く刀についた僅かな疵を見ながら、文次郎は語る。

ぽんぽんと刀を叩く手は止めず、集中している為か顰め面を浮かべながらも。描いた夢を語る子供のような口振りで。


「だが、こんな時代だからこそ、人は武器と共に輝くべきだと俺ぁ思う。
目的、夢、野望、使命…それが崇高でも下劣でも、一つの思想のもとにこの腐った時代を駆け抜ける様は眩しいもんだ」


一通り打粉を終え、輝きを確かめるように文次郎は腕を突き出し、刀を前に翳した。
薄暗い工房の中、凛と光る仄青い刃は、あらゆる血と不条理を吸って此処にあるというのに、とても美しかった。


「そんな奴の傍らでも光を損なわず、寧ろ使い手の輝きを増長させるような武器を。
そういう思いで金槌を下ろして作ったモンが、こうして使い込まれんのを見るのは、いつだって心が躍るぜ」


真っ当な人としては明らかに逸脱している、文次郎の理念の元に作られていながら。同じく異常性の塊である使い手たる鴉に、エゴのままに振るわれて血に染まっていながら。
作り手と使い手の信念を得て、武器として研ぎ澄まされた為か。烏ノ爪は一つの芸術作品が如く、冷厳と艶めく輝きを放っていた。

言葉もなく魅せられている雛鳴子とギンペーを余所に、鴉は煙草に火を点けながら、喉を鳴らして笑った。


「カッ。そんなことぬかしてっから都から追放されんだよてめぇは」

「あんだとコルァアア?!」


言い終ると同時に、油を塗って組み直し終えた刀が、ぶんと煙草を切り裂いた。
反射的に鴉が上体を逸らしていなければ、床に落ちていたのは煙草半分ではなく、彼の頭半分だっただろう。


「何しやがんだクソじじい!!」

「試し斬りついでにてめぇのふざけた口を落としてやろうとしたんだよ!!口を開けば悪態ばっかつきやがってイカ臭坊主!!」

「はああ?!上等だコラ!!今度は俺が試し斬りしてやるぜ、その体三枚に下ろしてなぁあああ!!」

「「……………」」


雛鳴子とギンペーはまたこうなるのか、と顔を見合わせ、揃って溜め息を吐いた。
見直したと思った矢先に元の場所か、それ以下の場所まで転がり落ちていくのが、この町の住人の共通点である。

武器職人として本物だと、一時尊敬の眼差しすら向けられた文次郎も、今は「やっぱどうしようもねぇじいさん」という評価に落ち着き、名匠に選ばれた使い手たる鴉もまた、「鴉さんは鴉さんだ」というこれ以上となく的確な評定を下された。

わーぎゃーと抜き身の刀を手に危なっかしく争う二人を、少し離れた場所から見つつ、二人は早く治まりがついてはくれないかと傍観を決め込み続けた。


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