カナリヤ・カラス | ナノ
「文じぃのとこか。いいぞ、最近行ってなかったしな」
鴉から快諾を得られたギンペーは、拍子抜けしたかのようにしばしポカンとしていた。
時刻は午後一時。金成屋も昼食時間であるが、今日は予約もなく、特に急いでやる仕事もないので昼休みを機に閉店となっていた。
急な客がくれば二階に来るなり電話が来るなりするだろうと、一同は事務所を引き上げ、二階で昼食を取ることにした。
雛鳴子が台所で四人分の昼食に取り掛かる中、男三人は居間で待機し、それぞれ適当に時間を潰していた。
鷹彦はソファの横に備え付けられたマガジンラックから手に取った少年漫画雑誌をぺらぺらと流し読み、その向いで鴉は昼間の定番バラエティー番組を横目に足の爪を切り、隣でギンペーは携帯をいじっていたのだが。
思いがけず午後の仕事が消えて暇な今。思い切って鴉に文次郎の所に連れていってはくれないかと頼み込むのがいいのではないかと、玉砕覚悟で言ってみたところ、想定外にすんなりとOKが出されて今に至る。
「どうせ午後暇だしな。飯食ったら行くか」
「……マジっすか」
「なんで疑ってんだよゴルァ」
「いたっ!す、すんません、何かあんまりにもスムーズにいったので……いった!痛い!ちょ、鴉さん!その攻撃痛いっす!!」
思わずごくりと固唾を飲んで再確認すると、爪を切り終わった方の足で脇腹をがすがすと小突かれた。
手癖も足癖も、ついでに嗜癖も悪い男の、親指に力を入れての攻撃は地味に痛撃で、ギンペーは脇腹を押さえて背を丸めた。
向いでそれを見ていた鷹彦は、ふと自分が今読んでいる漫画に、鴉が使った親指の突き技があることに気が付いて苦い顔をした。
いつだか、鴉が当時ハマっていた格闘技漫画の技を、返済に苦しむ負債者に掛けて遊んでいたことをぼんやり思い出しながら。
そんな回想をさくっと終わらせ、鷹彦がまた漫画に目を戻すと、鴉はカカカと笑いながら爪切りを再開した。
「ハッ。差し詰め自分に合った武器を見付け、これまでの自分を覆す力を手に入れて、ゴミ町でも一目置かれる存在になりたいとか思って白鳥に相談してみたら、
文じぃのとこでも行ってみたらどうかとか言われたんだろ。まんまと焚き付けられやがって、てめぇは古新聞か」
「……鴉さん、俺の頭の中身漏れてないっすよね?」
「安心しろ、お前のすかすかの脳味噌様は頭ん中にきちんと収納されてらぁ。が、お前の様子と行き先から大体の予想はつく」
両手で頭を押さえるギンペーに、鴉はとんとんと自身のこめかみを人差し指で叩いて答えた。
自分の頭にしかと詰まっている脳味噌を以てすれば、この程度の推測を立てるのは可能だとアピールしているのだ。
ギンペーは鴉の邪悪な笑みからそれを悟ると、納得出来るが不服だと唇を尖らせた。
すると、その反応は心外だと言うように鴉はどっとわざとらしい溜息を吐きながら、爪切りをテーブルの上に置いた。
「だぁから俺ぁ、忙しいこの身を休める貴重な時間を、武器整備も兼ねて偏屈じじいのオンボロ工場に行くことに使ってやることを承諾したんだよ。
感謝しろよ?下っ端未満のパシリの儚い幻想に付き合ってやる慈悲深きこの俺に」
「何言ってるんですか鴉さん…」
天を仰ぐように揚々と語る鴉に、冷ややかな視線を浴びせながら、雛鳴子は盆からテーブルへと皿を置いた。
今日の昼食はソース焼きそばと、解き卵の中華風スープ。それと作り置きのごぼうサラダだ。
そのラインナップを見て、いつもながら実に美味そうだと、ギンペーはすっかり毒気を抜かれていた。単純なのはいいことである。
鴉が皮肉るように笑う中、雛鳴子はてきぱきと皿を置いて、また台所に戻っては必要な物を運んで、やがて空いている席についた。
「スープはおかわりありますので、飲みたかったら自分で取ってきてください」
「へーい」
「いただきます」
「いただきまーす!」
「いただきます」
「まーす」
ちゃんと言えないものか、と対岸から雛鳴子がじろりと睨むのも意に介さず、鴉は上機嫌な面持ちで焼きそばを啜った。
その隣でギンペーも「おいひい!」などと、口の中をいっぱいにしながら賛辞している。
美味そうに食ってくれるのはいいことだが。雛鳴子はどうにも重い肩に目を伏せ、ちるちると焼きそばを口に入れた。