カナリヤ・カラス | ナノ


カナリヤ号をガレージに入れ、雛鳴子が表に戻ってくると、鴉は店の鍵と戸を開けて、さっさと中に入って行ってしまっていた。

それを追うように夕鶴が車椅子を動かそうとしているのを見て、雛鳴子は急ぎ足で彼女の元へと駆け寄っていった。


「……お節介かもしれませんけど、押していきますね」

「あ、ごめんね。ありがとう」

「いえ……」


雛鳴子は車椅子の人間を置いて先に中に入っていった鴉の背中を睨んでから、夕鶴の車椅子を押した。

広くもない入口に、ガラクタ入れがごった返している店内は、車椅子で通るにはきついと分かるだろうに。
本当に薄情で思いやりのない人だ、と雛鳴子は呆れた。

年下の自分にも丁寧に御礼を言った夕鶴の礼節っぷりを、少しは見習えないものか。
そう思いながらも、雛鳴子はにこにことしている車椅子の少女に、底知れぬ気味の悪さを感じていた。

鴉のことを言えない程に失礼だと思うのだが 花のように綻ぶ夕鶴の笑みの下に、何か濁り切った渦のようなものが隠されている気がしてならないのだった。


「すみません、お邪魔しまーす」


客人である以上、応接間に通すのが普通なのだが、生憎応接間は段差があって、車椅子は上げられそうにない。

夕鶴も中に通されるやそれを承知したのか、「此処でいいよ」と雛鳴子に停止を促した。
彼女に感じていた正体不明の不気味さも、離れ際に再度、丁寧に御礼を言われた頃には、気のせいと片付けられた。

雛鳴子は、この町でこうも綺麗な御礼を返されることがあるのか、とむず痒さを感じながら、軽く頭を下げて返した。


「んで、話ってなぁなんだ」


そんな彼女を余所に、鴉は応接間の段差に腰掛けて、煙草を吹かしている。
相変らず客に対する態度ではない様に、頭痛が引き起こされそうだ。

気遣いも出来ない、マナーもなってない。こんな人のとこにわざわざ来た夕鶴が、不憫でならない。
車椅子の身では移動も楽ではないだろうに。苦難の道の果てが性悪の巣窟で、挙句に対応は劣悪だなんてあんまりだ。

雛鳴子は、額に手を当て、くるりと踵を返した。


「……その前に、私、お茶煎れてきます」

「あ、お構いなく」


夕鶴は遠慮がちな声でそう言ったが、お茶の一つでも出さなければ気が済まないと雛鳴子は給湯室へ向かった。

手土産にとクッキーまで持ってきてくれたのだ。鴉の態度が最低な分、自分が持て成さなければと、雛鳴子はなるべくいい茶葉を出すことにした。

電気ポッドをつけていた為、すぐに茶が用意出来たのは幸いであった。
鴉と夕鶴を二人にするのは、僅かな時間でも何かよくないと、本能で感じるからだ。
どうしたことか。女好きであり好色家である鴉が、可憐さを体言したかのような夕鶴を前にして、明らかに不機嫌であった。

いつもの彼であれば、にやつきながら、茶化す言葉の一つや二つ掛けていてもおかしくはないのだが。
今日の彼は、虫の居所が悪そうな表情のまま、話すことすら億劫だと言わんばかりの声色をしていた。

それでも金成屋に入れたのは、僅かばかりの良心だったのだろうか。
まるで肥え太った溝鼠でも見るような眼をしている鴉に、戻ってきた雛鳴子は不安を感じずにはいられなかった。

鴉が抱いている考えなど分からないが、夕鶴の身に何かあってはまた大変なことになる、と。
雛鳴子は彼女の身を案じ、両者の間に、ローラー付きのローテーブルを割って入るように置いた。

普段、大規模な書類整理や、出前を取った際に皿を乗せる時位にしか使われないローテーブルが、思わぬところで活躍してくれたものだ。
雛鳴子はささっと湯呑と、給湯室に常備されている菓子を並べ、話の場を作った。
その間、鴉が「余計なことをするな」と言いたげな眼をしたいたような気がするが、無視することにした。


「あの、それでお話っていうのは……」


雛鳴子にとって、この場で尊ばれるべきは夕鶴になっていた。

礼儀正しく、失礼極まりない鴉にも一切嫌そうな顔をしない彼女こそ尊ぶべきであると、雛鳴子は汚点という名の鴉を隠すように、話を切り出した。

刹那、夕鶴の笑みに 色濃い翳りが見えたのを、鴉は逃さなかった。


「……お話というより、御礼がしたかったんです」


夕鶴は小さく俯いて、ゆらゆら僅かに波を立てる湯呑の中に視線を落とした。

それからゆっくりと頭を下げていき、やがて、鴉の前で夕鶴は腰を折って、礼をした。
予期せぬぬ夕鶴の行動に、雛鳴子も、そして鴉さえも、眼を見開いていた。その吃驚の色は、両者とも異なっているが――夕鶴は、そのまま続けた。


「ありがとうございました、金成屋さん。鴇にぃを救ってくれて……本当に、ありがとうございました」


すぅ、と頭を上げた夕鶴は、悲哀や寂寥にも似たものを湛えた眼を細め 心臓の鼓動と喜びを噛み締めるように、胸に手を当てた。

一体、どうしてそんなことを言うのだろう。どうして、そんな顔をするのだろう。
雛鳴子が困惑に眉を下げる中、鴉は相変わらず、舌打ちを殺し続けているような顔をしていた。


「……礼が言いたいつったな。なら、これで用件は済んだだろ」

「ちょ、鴉さん?!」


鴉は、雛鳴子が煎れてきた茶をぐいっと一気に飲み干すと、乱暴な音を立てて湯呑を置いて立ち上がった。

それに動じることもなく、夕鶴は鴉の顔を見上げているが、鴉はついに堪え切れないと舌打ちをして、構うことなく事務所を後にしようと足を進めた。


「雛鳴子ぉ、適当に時間経ったらそいつ見送ってけ。俺ぁ二階にいるから、そいつが帰ったら呼べ」

「な…何言ってんですか鴉さん?!」


雛鳴子は、これまではまだ目を瞑っていられたが、ここまで露骨な彼の態度は我慢ならないと、後ろから鴉の肩を掴んだ。

だが、鴉は振り向くこともなく


「俺はそいつと話すことは何もねぇっつってんだよ。いいから離せ」


と、冷徹さを剥き出しにした声で言い放って、事務所から去っていってしまった。


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