カナリヤ・カラス | ナノ


「ありがとうございました」


カウンターで法外な治療費の支払を済ますと、鴉はふぅと煙草を吹かした。
思いもよらぬ出費を食らったと顔を顰め、受付の看護婦から受け取ったレシートをポケットに突っ込むと、エントランスの待合用のソファに座って雑誌をめくっていた少女が、顔を上げた。

ふわりと揺れる髪から、薄暗い室内をも照らすような美貌が覗き、長い睫毛に縁どられた青い宝石のような双眸が、じとっとした眼で此方を見る。

――雛鳴子である。


「診察、終わったんですね」

「あぁ、今日でぼったくり通院生活終了だ。とっとと帰っぞ」

「はい」


三十分程待たされた退屈からか、雛鳴子は返事と一緒に欠伸をした。

ブックラックに雑誌を戻すと、ソファから腰を上げて、雛鳴子は鴉についていく。チャリ、と手の中の車のキーが音を立てた。


「何の本読んでたんだ?」

「ブックラックにあった看護婦さんのお古のファッション誌です。お古って言っても先月のですけど」

「ほーぉ、雛鳴子ちゃんも色気ついたもんだなァ。俺が買ってやろうか?俺好みのモンを」

「結構です。暇潰しに捲っていただけで欲しいと思ってませんし、思っても貴方のとこにいる間は女性らしい服は着ませんから」


車に乗り込んだ矢先から交わされる不毛な会話に、雛鳴子の人形のような顔が歪んだ。
鴉は顰め面でハンドルを握る雛鳴子の横顔を見て、視線を徐々に下へと流した。

きっちりボタンの閉じた襟シャツに、質素なブラウンのベスト、男物のスーツパンツ、頑丈な作りのブーツ。
強いてあげるのなら、胸元を飾る赤いリボンが華か。年頃の少女にしては飾りっ気も女っ気もない服装だ。

趣味という訳でもなく、彼女がこれを選んで着ているのは、今こうして自分を品定めするかのように見る、鴉の対策の為だった。

十二歳の自分を、顔が良いという理由で将来の性奴隷として買いとったこの男は、訴えられても仕方のない眼で、日々成長していく雛鳴子を見てくる。
それこそ買い取られて間もない頃から、現在に至るまで。


悩んだ末、その眼を少しでも逸らせはしないかと考え、結果、雛鳴子は女らしくない服を選んで着るようになった。

鴉に初めて買い与えられたワンピースのサイズが合わなくなる頃には、その考えは固まり。
雛鳴子は都の第五地区に売っている、二束三文の服を適当に合わせて、身につけるようになった。

仕事柄動きやすく、汚れても構わず。かつ、鴉の眼が自分を女として見ないような格好。
そんな苦肉の策も、鴉の「それはそれでそそる」という言葉によって玉砕されたのだが、
機能面に問題がない以上はわざわざ替えることはないだろうと、雛鳴子は現在まで男物の服を着続けていた。

だから雛鳴子は、鴉の傍にいる以上は、雑誌を飾る女物の服を欲しない。
ふんわりとしたスカートも、レースのついたワンピースも、人形の靴のようなパンプスも、鴉が男の眼で雛鳴子を見ている以上は、求めない。

興味がない訳ではないのだが、例え鴉がタダで服を買い与えたとしても、雛鳴子は今の服を替えることはないだろう。


そんな気丈とも言える意地っ張りっぷりが、鴉は嫌いではなく、車のエンジンが掛かる頃には、ニタっといつものように口角を上げていた。

人の気苦労も知らずにと、雛鳴子は横目でそんな鴉を睨んで、車を走らせた。



広いようで狭いこの町の限られた車道はあっという間に終わり、間もなく金成屋の赤茶けたトタン屋根が見えてきた。

雛鳴子は先に表に鴉を下ろして、それからガレージに向かおうと思いながらハンドルを切った。鴉を乗せたまま車庫入れしようとすると、「ぶつけるなよ」だの五月蝿いからだ。
それならば自分で運転すればいいものを、と言っても、助手席でふてぶてしく煙草を吹かしている彼に、雛鳴子は何度苛立ちを覚えてきたことか。

こうして鴉の小言から逃れる為にと、カナリヤ号は店の表へと通じる道を走って行く。
高く積み重なったゴミ山の間を抜け、ぐんぐんと金成屋が近付いていく。
そして、金成屋の看板が見えだしてきた頃。


「……あれ?」


フロントガラスの向こうに映る景色に、雛鳴子は眼輪筋に力を入れて眼を細めた。
やがて、隣で新聞を読んでいた鴉もそれに気が付いたのか、上げた顔を顰めて前方を睨んだ。

いつもならば何もない、白けたような砂地の道。何かあるにしても、風で飛んできたゴミが転がっているか、痩せた野良犬がうろついているか、そんなところで気にするまでもない。

だが、今雛鳴子達の視界に映り込んでいるものは、明らかに異常で、気に掛けずにはいられないものだった。


「鴉さん……あれ」

「……あれ、だなぁ」


鴉はがしゃがしゃと新聞を畳み、ヤニ臭い息をどっと吐いた。

溜め息にも似たそれは、これから起こり得る何かの予兆のようで。ハンドルを握った手が薄く汗をかき始めていくのを感じながら、雛鳴子は緩やかに車のスピードを落としていった。

金成屋の入口前で往生していたそれは、カナリヤ号が止まるのを見るや、ぱぁっと表情を明るめて、此方へと近寄って来た。


「よかったぁ。お留守みたいだったから、今帰ろうとしてたんですけど…もう少し待ってみようって思って正解でした」


きぃきぃ、金きり声のような車輪の音を掻き消すような柔らかい声と、人当たりの良さを絵に描いたような笑みが、雛鳴子達を出迎えた――。


「こんにちは、金成屋さん」


ざわりと吹き抜ける埃っぽい風に揺蕩う長い髪。陶磁器のように白い肌。大きな緋色の瞳。一度見れば忘れることのない、膝から下のない脚と車椅子。

見紛うことない彼女が、そこにいた。


「貴方…夕鶴さ、」


雛鳴子が言い終える前に、夕鶴はさっと両手を上げた。それと同時に、隣からカチャッという音がしたのを、雛鳴子は聞き逃さなかった。

この町に来て三年。よく聞いてきたその音は、鴉が腰に挿した刀に手を伸ばした音である。
実際に鴉の手が刀に伸びているのを確認し、雛鳴子は、彼がそうするのを分かっていたかのように夕鶴は降参のポーズをしたことに、目を見開いた。

そんな彼女の向いで、夕鶴は依然笑顔でいた。眉は八の字にしていたが、それでも余裕の見える表情を浮かべている。


「えっと、警戒しないでください。私はただお話に来ただけで、それも掃除屋のことには凡そ関係のないことです。
お膝に乗せてるのも爆弾とかじゃなくって、手土産にと思って作ってきたクッキーなので、安心してください」


夕鶴は、未だ睨みを利かせている鴉の前で手を下げ、膝の上に乗せていたバスケットを覆いかぶさっていた布を取ってから、持ち上げた。

彼女の言う通り、其処には手作り感溢れる、素朴な作りのクッキーが犇いていた。
雛鳴子達がクッキーを視認したのを察すると、夕鶴は砂埃が付かないようにとさっさと被せていた布を元に戻した。

そして、二人が向けている警戒心が和らぐ頃。夕鶴は畳みかけるかのように、にっこりと微笑んだ。


「少しだけ、お話がしたいんです。お店の中でも此処でもいいので、お時間をもらえませんか?」


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