カナリヤ・カラス | ナノ
「と、いう訳でだ」
鴉が持ち帰ってきた書類から顔を上げ、金成屋一同――流石に今回は事態を掴めたギンペー含む――は、これでもかと顔を顰めながら、にこやかに一連の流れを語った鴉を睨み付けた。つい最近似たような光景があったような気がするが、その時の方がまだマシだったかもしれない。
「糞ジジイと糞ガキのせいで近々抗争的なものが起こるかもしれないので、皆さん気を付けてください。なお、今回は質問を受け付けていないので悪しからず」
「悪しからずじゃない!!」
「どうしてそう次から次へと問題を持ち込めるんですか、鴉さんは!!」
棒読みで、人の苛立ちを最大限まで煽る言い方をしてくれた鴉に、今回も雛鳴子と鷹彦は目くじらを立てた。脇ではギンペーが頭を抱え何か呻いているが、鴉は三人に構う事なく、ボードの今月の予定に「二億の仕事」と書き込んでいる。ご丁寧に黄色いチョークで札束を描き、縁取りまでして。
「ちょっと、何しれっと予定に書き加えてんですか!その仕事、今すぐにでも取り消しましょうよ!!ていうか、抗争の引き金になる事が分かっていたなら、仕事が立て込んでるとか何とか言って断れたばよかったじゃないですか!それなら一応の面子は保てましたよね?!」
「雛鳴子の言う通りだ!確かに二億は捨て難いし、掃除屋に譲るのは俺も抵抗に感じるが、町内会とデッドダックハントの件で、俺達は他の四天王勢力にまで目を付けられているんだぞ!今抗争を起こしたらどうなるか……」
「文句は人の話をきちんと聞いて理解してから言え。俺ぁクレーム窓口じゃねぇんだぞ」
両手をパンパンと鳴らしながら、チョークの粉を払うと、鴉はぎゃんぎゃんと喚き立てる雛鳴子と鷹彦、それから恐怖でぶるぶる震えるギンペーの横をすり抜けて、定位置である自分のデスクにどっかりと腰かけ――はせず、壁際に置かれた書類棚へと手を伸ばした。
「言っただろ、『抗争的なものが起こるかもしれない』ってよ。起こらない場合もあるんだから、そう喚くな嘆くな。文句は俺の健闘虚しく抗争が巻き起こり、お前らが墓穴にボッシュートされた時に聞いてやらぁ」
「起こらない場合って……」
「何か、考えがあるのか?」
「相手はカンは良いが、結局バカだ。何か罠があると分かってても踏み出して強引に突破するタイプのな。だから今回も、先に手を打っておけば、相手はその流れに乗って来るだろうぜ」
べらべらと舌を回しながら、ばらばらと手に取ったファイルを捲る。今日も今日とて鴉は身勝手に話を推し進め、一人で全て完結させようとしているようだ。
問題を持ち込んだ張本人が解決策を講じる。この自己完結を果たして享受していいものかと眼を細くしながら、雛鳴子達は信頼と称するには余りに薄っぺらな気持ちで、鴉に全て任せる事にした。
「重要なのは向こうが何か仕掛けてくる前に先手を打つ事だ。その為に多少投資がいるな」
ややあって、ファイルを捲る手を止めた鴉は、片手で携帯を取り出し、何処かへコールを掛けた。
果たしてこれが自分達を救う手立てとなるのか。軒並み祈る神を持ち合わせていない雛鳴子達は、色々諦めて業務に戻った。
「いよぉ、鴉!ハハハッ、お前が客として直接来るなんて珍しいなぁあオイ!!」
「……俺はここ数日ひっじょ〜〜に疲れてんだ、ハチゾー。取り敢えず肩を叩くのはやめろ。そして声のトーンも下げろ」
電話の後、鴉が向かったのは、ミツ屋だった。ハチゾーの言う通り、客として。
町内会やデッドダックハントの事は、実際まるで堪えていなかったのだが、眼精疲労を感じる程に派手な出で立ちのハチゾーに、大声で話されながら肩をバシバシ叩かれると、元々酷く疲弊していたような気になる。
鴉はうんざりを絵に描いたような表情で、ハチゾーを力なく睨み付けたが、それで彼の態度が変わる訳もなく。
「おぉ、そうかそうか!まぁ座れよ!今、茶ぁ用意させっからよ!」
と、鼓膜がびりびり震える程の声量で、ハチゾーはガハハと笑う。この熱量で話していて、コイツは疲れないのか。疲れないなら、きっと周囲の人間のエネルギーを吸引しているに違いない。心中で毒付きながら、鴉はソファにどっかりと腰掛け、両肩に圧し掛かる疲労感に溜息を吐いた。
「茶はいいから、電話で話したブツ寄越せ。俺ぁ急がなきゃなんねぇんだよ」
一分一秒でも早く帰らせろと言わんばかりに、鴉は向いのソファに腰掛けたハチゾーの前に一枚の紙を叩き付けた。同時に、ハチゾーの顔からフッとあの豪快な笑みが消えた。
「電話で言った通り、契約金の残り額チャラが条件だ。てめぇが持ってる掃除屋の情報、あるだけ寄越せ」
鴉が持ってきたのは契約書だった。ハチゾーが仕事上の都合で借り受け、つい先日、雛鳴子がギンペーを連れて回収に訪れた契約。その残高と引き換えにハチゾーが持つ掃除屋の情報を開示しろというのが、鴉が此処に来た目的だった。
「なんだなんだ、抗争でも始める気かぁ?」
「それを回避してぇから此処に来てんだよトサカ頭。てめぇの事だ、三ヶ月前から顔出した奴なら情報は揃えてあんだろ?」
「まーなぁ」
受け取った契約書をびりびりと破いて灰皿に盛ると、ハチゾーはパチンと指を鳴らした。直後、ミツ屋構成員の一人が「へいっ」と言って現れると、鴉からの電話があってすぐに用意したであろう、書類の束を差し出した。
「鴇緒の生まれから掃除屋乗っ取りまでの経緯と、掃除屋構成員の名簿に加えて、今所有してる武器各種。上手く活用して、仲良くやってくれよ」
「カッ。遠回しに、しでかしたら始末するって言ってくれんじゃねぇよ」
鴉が煙草の灰を落とし、契約書の残骸がジジジと燃える。その引き換えに得た書類が、三千万の価値に見合うだけの物になるか否か。それは鴉の手腕次第となるだろう。
「ったく。新参相手じゃ、やりにくいったらねぇぜ」
「俺としちゃ儲かるから、どんどん新顔が欲しい所だがなぁ」
鴉が書類に目を通している間に、葉巻に火を点けていたハチゾーが濃い紫煙を吐き出しながら笑う。まるで蒸気機関車だと内心毒づきながら、大まかな書類チェックを終えた鴉はソファから腰を上げた。
用件は済んだ。先程ハチゾーにも言った通り、より早く次の一手を打たなければならないのだと急く鴉に、ハチゾーはひらひらと手を振った。
「また何かあったら来いよー、鴉!金成屋がなくなると、俺も結構困るからよぉ」
「ならもっと俺に貢献しやがれ、タコ」
振り向きもせず、鴉は力無く上げた手を適当に振りながら、ミツ屋を後にした。時間にして十分掛かったかどうか。あっという間の喧騒の後、しぃんと静寂が張り詰める。が、ハチゾーの居る場所で静けさが続く事は無かった。
「成ァる程、四天王張ってるだけあるぜアンタ。見事なまでの仕事っぷりだ」
「いやー、そう褒められると照れちまうな。ハッハッハ!」
嫌味をふんだんに含んだ声が、室内に響き渡る。鴉が立ち去って間もなく、事務所の奥から姿を現した鴇緒がヒュウと口笛を吹く中、ハチゾーは何の悪びれもなく笑いながら灰皿に葉巻を捩じ込んだ。
「五千万で情報操守が依頼されてることは一切語らず、三千万と偽情報を交換だなんて、そうそう出来る真似じゃねぇ。俺ぁてっきり、三千万分は正しい情報を売っ払うんじゃねぇかと思ったが……あの書類見て驚いたぜ。まさか全部完全な偽情報とはよぉ」
「ハッハッハ!中途半端な事したら、損するのは俺だからなぁ!一度操守を依頼されたら、それ以上の金積まれない限り、一切秘密を明かさないのが俺の主義だ」
言いながら、ハチゾーは鴇緒から差し出されたアタッシュケースを受け取り、中の金を数えた。その眼には、鴉を欺いた事への喜びも、後ろめたさも一切なく。彼は淡々と仕事を完遂して得た金を確かめるだけだった。
(アイツには『他の連中も生温い』っつったが……コイツはそうでもねぇかもな。このオッサン、ゴミ町四天王の名に恥じねぇ真性のクズだ)
鼻歌を口遊みながら札を爪弾くハチゾーと、鴉が出て行った扉を交互に見遣ると、鴇緒はハッと唾を吐き捨てるように笑った。