カナリヤ・カラス | ナノ


「朝から、ご迷惑をお掛けしました」


数分後。金成屋事務所まで引っ張られた少年が、殴られてすっかり腫れた顔を床につけ、土下座した。その前では、未だ殴り足りないと言いたげな面持ちで煙草を吹かす鴉と、隣で状況に応じて彼を止めようとスタンバイする雛鳴子。そして、朝から何事かと眉を顰めた鷹彦がいる。
一連の流れこそ説明された鷹彦だが、それでも理解に苦しんでいるらしい。確かに、この少年は何から何まで謎だと、雛鳴子もうーんと唸った。

すっかり鴉に怯えているこの少年は、ゴミ町の人間とは思えぬ小綺麗な身なりをしていて、素朴なその顔立ちに誰も見覚えが無かった。都の人間、と見て間違いないだろう。
都の人間自体が此処に来るのは珍しくも無い。だが、子どもが一人で、こんな朝っぱらから金成屋の――それも、二階の方を訪ねて来るというのは、何もかも異常なこの町に於いて殊更に異常だ。


「土下座如きで許されると思ってんじゃねぇぞ、チンカス野郎。そのド腐れ脳味噌が地面にバラ撒かれる位てめぇの頭地面にぶち当てるか、俺の質問に全て全身全霊の誠意を持って答えるか。今すぐこの二択で謝罪形式を選べ」

「こ、答えます!何でも答えます!!」


少年の頭をガッとブーツの爪先で小突くと、鴉は応接間の敷居の段差に腰かけた。

可哀想なくらい震えている少年を横目に、雛鳴子も流石に彼を憐み始めたが、助け船を出すには未だ早い。取り敢えず、彼の素性と、この騒動の全貌を知ってからだと、雛鳴子暫し静観を決めた所で、鴉の尋問が始まった。


「質問@。名前と出身は? ちなみに、嘘をついたと見做した場合、てめぇの頭は床に五センチ埋まる」

「ギ、ギンペーです! 都の、第二地区から来ました!!」

「第二地区……?」


そんなまさか、と言いたげな眼で、一同はギンペーと名乗る少年を見遣った。

彼が身に着けているもの――服から帽子、ゴーグルに至るまで、どれも上等な物であるというのは、一目で分かっていた。所々土で汚れてしまっているが、それも新しい汚ればかり。よって、彼は都の人間だろうという見解は最初からあった訳だが、問題は、彼が口にした出身地にあった。


「内側の人間だろうなとは思いましたけど、第二地区って……」

「王族と一握りの貴族しか許されない第一地区、そのお隣さんか。良い身なりとは思ったが、其処までのボンボンたぁ思わなかったな」


都の格差社会を象徴する住居区域は、六つ存在する。

王族と一握りの貴族だけが住まうのが都の中心・第一地区。その周りをぐるりと取り囲むようにして広がるのが、大戦貴族や一部の大金持ち達が住まう第二地区。更にその周りが第三地区、第四、第五……と続き、壁際となる最後の区域が第六地区となっている。ちなみに、雛鳴子の出身は第六地区だ。

凡そ一般市民と呼べる者が住んでいるのは第四地区までで、第五地区は人間が暮らせる最低ライン。第六地区は壁の中の地獄と称されている。

工業廃水に汚染された川が流れ、光化学スモッグと煤臭い空気が充満し、傾いた家々が折り重なるように密集する。そんな第六地区に対し、少年の居た第二地区は同じ壁内とは思えない程に豊で、美しい場所と聞く。
水も空気も浄化され、緑も豊かで、小鳥の囀りが聴こえて来るような平穏と安全の中にある、選ばれし者だけが身を置く事を許された楽園都市。その第二地区から来たと、この少年は言っている。

正直、嘘だろ。それが雛鳴子の最初の見解だったが、ギンペーは今、嘘も冗談も言えない状況である。ぎらぎらと眼を光らせている絶賛不機嫌中の鴉を前に、嘘をつく余裕があるとは到底思えないし、わざわざ疑ってくれと言わんばかりの嘘を吐く意味が、今の彼にあるとも思えない。よって、彼の言っている事は信じ難いが、ほぼ真実と見て間違いないだろう。本当に、とても信じ難いのだが。


「第二地区ってなぁ、てめぇみてぇなアホを絵に描いたような奴しかいねぇのか? ……まぁいい。次、質問A。てめぇは何をしに来た。答え次第ではぶっ殺すが、嘘を吐いてもぶっ殺す」


鴉が手元に置いていた愛刀を掴むと、ギンペーは肩を竦ませながら、「は、はいっ!!」と答えた。第二地区の住人ともあろう者が、何とも哀れな光景である。


「こ、此処はその……金を、貸してくれる店……なんだよ、な?」

「あ゛?」

「すみません!! 此処はお金を貸してくださるお店だと、看板を見てお伺いしました!!」

「第二地区ご出身のお坊ちゃまくんが、金貸しに用? 朝っぱらから、人様の家に突撃してまでか?」

「い、急ぎだったんです!! 店の方行っても開いてなくて……上の方になら誰かいないかなって思って、それで……」


金成屋は大抵九時頃に開けるので、前以て来客の予定があるか、誰かが用があって事務所に入っていない限り、それより前には誰も居ない。
鴉と雛鳴子は二階で朝食を摂っていたし、鷹彦も未だ自宅に居た頃だ。急用とあらば、二階を訪ねて来るのは必然と言えるが――。


「最後の質問だ。質問B、てめぇは客か? 客なら利用目的、必要金額、返済の見通し。全部洗いざらい話せ」


問題はそれだ。

ギンペーが第二地区の人間なら、金など湯水のように親からたかれるだろう。買えないない物など無いに等しい人間が、わざわざゴミ町の高利貸しに手を出す理由など、何処にもない。

果たして彼に、朝一番から金成屋を訪ねてまで金を借りたいという理由が本当にあるのか。それが最大の疑問で、唯一の気掛かりであった。


ゴミ町には時折、愚かな都の人間が肝試しに足を踏み入れて来る事がある。

浮浪者に石を投げたり、ゴミ山に火を点けたり、裏稼業の事務所にピンポンダッシュを仕掛けたり、ペンキで落書きをしたり――無法の地に踏み込み、荒くれ相手にしてやったという低俗な優越感を得ようとやって来た若者が、こんな風にとっ捕まるのも珍しい話ではない。


この町にきて一ヶ月と経たない頃、雛鳴子は、都の若者数名が金成屋の窓にペイントボールを投げ付ける事件に出くわした。

その後の若者達の末路と言ったら悲惨なもので。鴉と鷹彦に瞬く間にひっ捕らえられたと思えば、全員その場でパンツ一丁に剥かれ、金になる物は没収。腕時計から歯まで奪われ、顔は原型が思い出せなくなるまで殴り付けられた挙句、携帯電話もキャッシュカードも没収。個人情報も根こそぎ引き抜かれ、ついでに慰謝料とクリーニング代を契約させられた。無論、どちらも法外価格。その上、金成屋ルールで二倍返しだ。

命があるだけ奇跡、ドブ川に沈まなかっただけマシだとか言う人間もいるが、雛鳴子からすればあのやり口の方がよっぽど地獄だ。
借金が返せず仲良く強制労働コースとなった若者達の事を薄っすらと憂いながら、雛鳴子は今まさにその轍を踏まんとしつつあるギンペーを見た。

彼が真に金成屋の客でなければ、愉快犯と見做され、地獄を味わうことになるだろう。だが、正真正銘の客であっても、鴉を納得させられるだけの理由を持ち合わせていなければ――。

まさに絶体絶命の中、暫し押し黙っていたギンペーは、腹を括ったのか、勢いよく顔を上げて、力の限り強く言い放った。


「俺は……客だ!」


きん、と響いたその声に、鴉が微かに口角を上げる。どうやら、最初の関門は抜けられたようだと、雛鳴子は小さく息を吐いた。


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