病手線ゲーム | ナノ



あの日、山手線に乗った筈の僕らは、微塵たりとも違和感を覚えず、日常に揺られていた。

そして、あの奇怪なアナウンスに気を取られた一瞬で
僕らの日常は、山手線と共に消えた。


「これより、病手線(やまのてせん)ゲームを開始します」





「……はぁ?」


ふいに漏れた一言が、僕の心情の全てを語っていた。
というか、僕だけでなく 車両内のあちこちで似たような声が一斉に上がっていた。

思わず口を開いてしまった人以外も、目を見開いて目蓋をパチパチさせていたり、忙しなく動かしていたケータイを打つ指を止めていたり。
とにかく皆が皆、反射的に取った反応が異なれど、驚いていた。


毎日毎日、飽き飽きする程乗っている、山手線。

学校へ行く人、会社へ行く人、その他諸々ぎゅうと詰めて、ぐるぐる同じ路線を回っているこの電車に、乗客全員が揃って驚くようなことなど、そうそう起こり得ないというのに。


「繰り返します。これより、やまのて線ゲームを開始します。乗客の皆様は、電車が停止致しましたら速やかに降車し、駅のホームへと移動してください」

「……何だ、このアナウンス」


車掌のイタズラか。いや、学校に会社に急ぐ人間を乗せたこの電車で悪ふざけなど、首を飛ばしてくれと言っているようなものだ。

朝はただでさえ皆気が立つものだというのに、神経を逆撫でるような真似をして。大事な商談を抱えたサラリーマンにタコ殴りにでもされたいのか。
そんな僕はというと、学校に遅刻したところでテストがある訳でもなく、今日遅刻したら進学に影響するという訳でもなく。つまり問題は何もないので、片手に持ったままのケータイで、ツイッターを開いた。


――山手線なうなんだが、アナウンスで車掌が「山手線ゲームを開始します」とか言い始めたWWWイミフWWWW


多分周りでケータイをいじっている学生も若いサラリーマンも、皆こんな内容で呟いてることだろう。
僕の呟きも後で彼らの呟きと共に纏められ、「山手線で山手線ゲームが始まった」とか、そんな纏めに載せられるかもしれない。

なんて思いながら、「おい、なんだふざけているのか?!」と怒りで頭を沸騰させているオッサラリーマンを横目に、僕はお騒がせな無駄美声アナウンスが、今度は何を言うのかと待機することにした。


同僚とふざけていたらうっかりアナウンスしてしまいました、という謝罪が来ても面白いし、このままガチで山手線ゲーム開始を引っ張ってってくれても面白い。

危機感のない僕ら若者の期待と、今日も今日とて必死な企業戦士達の苛立ちが高まっていく中。
再び電車内に、あのアナウンスが響き渡った。


「間もなく、しぶや〜しぶや〜。お降りの際は、電車とホームの間にご注意ください」


今思えば、あの時の僕は本当に危機感というものがなかった。

いや、例えあったとしても あの状況で、僕に何が出来ただろう。


「―――え」





まず最初の変化は、外だった。

アナウンスが流れると共に、抜けるような青空は消え 辺りを夜の黒が塗りつぶした。

隣で文句をぶつくさ言っていたオッサンも、突然の山手線ゲームアナウンスにゲラゲラ笑っていた学生集団も一瞬で黙り。
真っ暗なトンネルに入ったかのように暗くなった外に眼を奪われていた。

そして、僕も例外なく。本当に唐突に、照明のスイッチを切られたかのように暗くなった外を、バカみたいに口を開けて見ていた。


おかしい。こんなことある訳がない。

乗客皆がもれなくそう思っているのが、凍り付いた空気で分かった。


日食があるだなんて聞いていないし、っていうか、日食はこんな突然真っ暗になんかならないだろう。

本当に、唐突だった。

太陽が消えてしまったのではないかと思う位、ぱっと一瞬。
もうすぐ渋谷に着くというアナウンスが流れた直後、外はぞっとする位の真っ暗になってしまったのだ。
しかも何が気持ち悪いって、本当に外が真っ暗なことだ。

例え急速に夜になってしまったとしても、渋谷近くで、一つの明かりも確認出来ないことがあるだろうか。
ビルも、広告塔も、街灯も 何一つとして光を見せてくれていない。

夜が来た、というよりも、辺りが闇に支配されたって感じだ。すごく厨二な例えだけど、僕はマジだ。

呆然と乗客一同が外を眺めているのも、長いようで短い時間だった。
すぐに誰かが「な…なんだよこれ!!」と声を上げ、それを皮切りに、車内はざわめき出した。

隣のオッサンも何か文句を言うだろうと思ったが、あまりに予想外の展開に声を失っているのか、「な…な……」と何か言いかけては口をぱくぱくさせるだけの始末だ。


そんな中、僕はふと顔を窓から上げて気が付いた。
それはいつも、降りる駅の近くになれば目を向ける、電光案内だ。

普通なら「次は 渋谷」という文字がオレンジ色の光で書かれて流れるだろうそこに、僕は見慣れない字面が流れるのを見てしまった。


――次は 死武夜


読みとしては確かに”しぶや”と読めないこともない。

だが、こんな小五病男子の考える必殺技、或いはステレオタイプの暴走族に使われる当て字が、電車内に流れるのが許される訳ないだろう。

今日から渋谷が死武夜になったんだとしたら、報道関連は大忙しになるし、ツイッターはその情報でタイムラインが満たされるだろうし、mixiニュースもトップにこれを持ってくるだろう。だが、勿論そんな話は聞いたことがない。

間違えましたじゃ済まされないレベルの誤変換。
普段なら写メって念願の100RTを狙う為、ソッコー呟き投稿するところだが、当然そんな気にはなれなかった。

お気楽な僕でも、流石に気付いたんだ――この電車は、何かがおかしい って。


「間もなく、死武夜〜死武夜〜。お降りの際は、電車とホームの間にご注意ください」


先程まで笑っていられたあのアナウンスの声が、内臓を掻き回してくるような気持ち悪いものに感じられた。

そして、プシュゥウウウという音と共に、電車は停車してしまった。


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