病手線ゲーム | ナノ


それが17歳のことで。それから更に7年が経って、24歳になった時のことだった。


俺は、千咲の最後のワガママの通り、自分が行ける限界までいい大学を受験して、真面目に授業を受けて、卒業して。
それから、親戚一同が総出で祝う程度にいい会社に就職して、その日もきっちり出勤していた。

会社での人間関係は良好で、上司にはそれなりに気に入ってもらえている。同僚との仲もいい。

ただ、7年前からずっと、恋愛に関しては何も出来ずにいた。


千咲は、結婚して家庭を持ってくれと言ったけれど。俺は、千咲を忘れずとも、他の誰かと恋とかすることなんて、想像すら出来なくって。

今日までずっと、次の課題をクリアするにはどうすればいいものかと、それついて頭を悩ませていた。


俺の生活は、その一点を除いては充実していた。

仕事は順風満帆で、かなり楽しいし、友達との付き合いもそれなりに多い。
趣味のゲームもやる時間はあるし、千咲が好きでよく隣で見ていたゾンビゲームの最新作も、こないだ完全攻略したばかりだ。

俺にとって最も重要なものが欠けていながらも、俺はとても良い毎日を生きていた。

そう言うと、家族は「きっと千咲ちゃんが見守ってくれてるのよ」と笑い。俺はそれを、あぁ、そうだろうなと普通に返した。


俺がこんな風に生きるのを望んでいたのは千咲で。

千咲が望んだからこそ、俺は…彼女がいない日々を嘆くこともなく、精一杯に生きていれる。


それはとても、残酷なことだとたまに、ふとした時に思うけれど。
彼女が選んだことなのだから、間違いではないと、俺は確かにそう思えていた。

そんな日々を過ごしていた時だ。


出勤に使う山手線。電車を待つ列の前で、一人のサラリーマンが、ふらふらと歩いていた。

もうすぐ電車が来るというのに列にも並ばず、黄色い線をはみ出していく顔面蒼白のその男を見た時。俺も周囲も同時に悟った。


あぁ、あの人は間違いなく死ぬつもりだと。


「お……おい、アンタ!!」


ホームに、無情にもアナウンスが流れる。もう間もなく、電車が来る。

だが、まだ時間はある。


俺は、あのサラリーマンを止めなければと列から駆け出して、蜃気楼のようにゆらゆらと揺れるその肩へと手を伸ばした。

駅員を呼んでいる時間はない。それに、俺が止めなければ、誰もがこれを見過ごしそうな空気で。
そうしたら、このサラリーマンは電車に跳ねられて、自殺を遂げるだろう。

俺は、それが許せなかった。


(きょーくんに、何もしてあげれないまま、死にたくないよぉ……まだ生きて………きょーくんと一緒にいたいよ……)


そう言っていた彼女の言葉が、俺の体を動かしていた。

誰よりも生きたいと願っていた彼女を知っていたからこそ、俺は、どんな理由があっても死にたがる人間を、許せなかったんだ。


それは、偽善と言われるだろう。事情も知らない人間が、偉ぶるなと糾弾されるだろう。
だとしても、俺は目の前で人を死なせてやるものかと、そう思った。


俺だって、本当は死にたいくらいに辛い。

千咲がいないこの世界を、のうのうと生きていることが難い。

仕事場でいいことがあったとか、新作のゲームを買ったとか、そんなことを千咲に聞かせることも出来ないのが悔しくて仕方ない。


けれど、それでも俺は今日まで懸命に生きてきているのだから、お前が死ぬなんて許してやるものかと。

そうサラリーマンの肩を掴もうとした次の瞬間。


大きく身を躱したサラリーマンに俺は呆気に取られたかと思えば、どんと体当たりを食らって――


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


耳を劈くような悲鳴を聞いた。

ぼんやりと見える視界の先は真っ赤で、その中に、よく分からない肉片が飛び散っていたが。
あれが俺の体だと認識するのに、そう時間は掛からなかった。


頭上では、あのサラリーマンが警察に取り押さえられながら、俺を指差してゲラゲラと笑っているようだった。

もう、意識なんてものはない筈だったのに。俺はその時、確かに聞いたのだ。


「ざまぁみろ!お前も巻き添えだ!!」


その叫び声を聞いた時、あぁ、そういうことかと納得した。


あいつは、最初から死ぬ気なんてない…ことはなかった。

ただ、死ぬ勇気は無くって、でも人生をどうにか終わらせたいから。だから、人をおびき寄せて、殺したんだ。


そしてそれに俺は引っかかり、死んだ。

死ぬ度胸もない自殺志願者に巻き込まれて俺は――死んだのだ。


(きょーくんは……大学に行って、お仕事して……素敵な人と結婚して…子供に囲まれて……長く長く、幸せに生きて……。
私の分も、たくさんの時間を、精一杯生きて……それが……私の、最後のワガママ…)


彼女の最後のワガママを叶えてやることも出来ず!

俺は、イカれた臆病者に巻き込まれて!!


「ふざ……けるなよ………ふざけんじゃ、ねぇよおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」



どこからその声が出たのかと思えば、死んだ筈の俺は、誰もいない駅のホームにいた。


とても、暗い駅だった。
まるで辺り一面が影に塗り潰されたような、そんな中に、一人でぽつんと俺はいた。

はて、俺は確か死んだと思っていたのだが。そう首を傾げていると、ふいに、誰かの声が聞こえた。

それがどこの誰のものかはまるで分からないが、確かに俺には聞こえたのだ。


「死にたい」「死にたい」「死にたい」と。

それはもううんざりする位に、死を望む声が、俺の耳に!


「……ハハ、ハハハハ、ハハハハハハ!!なぁぁああにが死にたい、だ!!死ぬ気なんざ毛頭ない、糞野郎共が!!!」


腹を抱えて、一人で笑い、俺は理解した。

どうして死んだ筈の俺がこんなとこにいて、鳥肌が立つ程に憎たらしい声が聞こえるのか。


俺という人間は――浜渕京平(はまぶち・きょうへい)は、確かにあの時、死んだ。

そして、今ここにいるのは、山手線で無念の死を遂げた浜渕京平の怨念であり、呪いなのだ。


耳障りなあの声は、俺が報復すべき相手のもので。奴らに本当の死の恐怖と理不尽さを与えることこそ俺の使命なのだと。
全てを理解した俺は、ふと、辺りに立ち込めていた影が消えて、真っ暗だった駅が、薄暗がりと化していることに気が付いた。

けれど、その理由もすぐに分かった。


中途半端な自殺志願者たちの声を上塗り、ゾゾゾゾゾ、という音がする方へ顔を向ければ、そこには一つの影があった。

ぼんやりと、人の姿をした、影の塊。

それは間違いなく、彼女だろうと、俺は眼を細めた。


怨念に引き込まれたのか、それとも、俺を一人にしないようにと来てくれたのだろうか。


抱き締めた、顔も何もない、形だけの彼女は、やはり冷たかった。


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