読みきり | ナノ



隣国、シュヴァイツェン帝国の進撃に曝された農村で、騎士達を一人残らず屠ったのは、たった一人の剣士。それも、女であった。
長い金髪を一つに結い上げ、身の丈ほどの剣をさんっと背に納める。若い女であった。

歳の頃二十をそう過ぎていないだろう。透き通るような白い肌に、色素が薄い金髪が、雲の隙間から差し込む陽光に溶けてしまいそうな印象であった。

しかし、身に纏う衣服の黒と、長い睫毛に縁どられた緋色の瞳が見た者の眼に彼女を刻み込む。

鎧を着込むこともなく、鎖帷子をつけることもなく。
騎士達の鍛練着のような質素な黒だけが彼女の躰を覆い、程よく筋肉がついたしなやかな線を浮かばせる体も、女としてこれ以上となく、完成された美しいものであった。


「……あ、おいアンタ!!」


女は、地面に転がる兵士達の骸を避けながら、女子供が押し込まれた荷馬車へと向かった。

そして、ざっと女が剣を一振りすると、荷馬車がまるでパンのように斬られ、中の女子供達の唖然とした顔が、村人達の前に曝された。

木製とはいえ、たかが剣の一振りであっさりと斬られるものではない。
だが、女はそれをやってみせると、馬車の中へと入り、女子供を縛っていた縄を次から次へと切って、再び外へ出てきた。

驚きで言葉を失う者達を置いて。


「……ま、待ってくれよオイ!」

「お、おいネリ!!」


誰もが戸惑い、縫い付けられたかのようにその場で固まっている中。少女は駆け出し、女の腕を掴んだ。


細い腕だった。先刻少女の髪を引っ掴んでいた騎士とは比べものにならない程。

その細腕のどこからあんな力が出るのか、と疑うのも当然。
大の大人でも振り回すのに苦労するだろう大剣で、鎧ごと兵士達を斬り伏せてしまっては
女が人間ではなく、魔に属するものではないかと 本能的に恐れるのも、無理はない話であった。

そんな中、少女は女の腕を掴んだ。


凍りついたはずの心臓が忙しなく音を立て、肺は潰れそうになりながら息をしている。
生々しい恐怖の表れだった。

手には汗が止まらず、脚は縺れてしまいそうになりながら駆けている。そんな恐怖を掻い潜って、少女ネリは女を引きとめた。


「……どこへ行こうってんだよ、アンタ…」

「ネリ!!」


恐れを知らない者の愚行とも取れる行為だった。

相手は、ゆうに百を越える兵士を瞬く間に皆殺した女の剣士だ。
そえrが、何を求めるでもなく、その場を過ぎ去ろうとしてくれたのは、ある意味奇跡に近いことだというのに。その歩みを止めるなど、自ら嵐を誘導するようなことだ。

此方に興味も示さずに行こうとした相手が、もし気を変えて刃を向けてくるようなことなどあれば、一度助かったこの命は次こそ確実に終わる。

触らぬ神に祟りなしとはまさに今を言うというのに。ネリは、女を引きとめた。


誰もが彼女を止めようと身構える。だが、直接的に引き留めては、あの女の気に障るかもしれない。

兵士の群れより余程恐ろしい女を前に、誰もが言葉を呑み、手を出せずにいる中。ネリは、ぐっと口を開いた。


「何の得があってアタシらを助けた?目的もなしに、あんな連中に手を出したってこたないだろう?それとも何かい……アンタ、私らがやられてたから助けたってだけなのか?!」

「ネリ!!」

「そんなこたないだろう?!見返りもなく人を助ける人間、こんな時代にゃいやしねえ!
礼すりゃ言われちゃいないってのに……アンタ、一体……」


ネリの頭に、徐々に恐怖が爪先から登り始めていた。


まばたきする度に過る、悪夢のような光景。それを切り裂いた、目の前の女。

神が舞い降りたと手放しで喜べるほど、能天気ではない。
寧ろ、今掴んでいるこの手は、悪魔のそれでもおかしくはないのだ。

それでも、ネリは問いかけずにはいられなかった。

訳も分からぬまま助けられたこの命を曝してでも、払拭したい不気味さが、その脚を動かしていた。


金もない、人もほとんど殺された。狙うものなどない。見返りとして要求されるものもない。
こんな村で、僅かに残されていた村人を救う意味が、この女にあるのか。

少女の訴えかけるような眼を見ながら、女は、薄い唇を動かし、上空で旋回する鳥すらも沈黙するような中、声が響いた。


「――それを知ったところでどうする?まるで絞りカスとなったお前らが、持て成しの宴でもするというのか?それとも……この奇跡を祝う歌でも作るか?何にせよ、くだらん。
あぁ、実にくだらんものを救ったものだ」



低い声だった。まるで、男のような。金属がぶつかり合うような残響に乗って響いた、女のものとは思えない声だった。

それに呆気に取られた村人達が、どよめくことも忘れる中、その声は続ける。


「お前らのような小汚い農民風情。救ったところで得られるものなどないのは承知済み。理由などあってないようなものだ。理解出来たのなら、生き残った者同士肩を並べて咽び泣いているが――」

「やかましい」


ゴゥン、という鈍い音が、凛とした女の声と共に響き。間もなく「ギャブン!」という、あの男の声がした。


「すまなかった。こいつは、頭も口も悪いんだ。カンに障っただろうが勘弁してやてくれ」

「ラ、ライザ!!お前、今なんと言った?!」

「お前は頭も口も悪い、と言ったんだ。マルコ」


ネリを始め、村人全てが目を見開いた。

背中に納めた剣を女が抜いたと思えば、それを殴りつけ、その剣からマヌケな声が響き渡る。
そして、きぃんきぃんと戦慄くような音と共に男の声が響き、それに女が受け答える。


女は、会話していた。剣と。

口があるはずもない、そもそも意思などあるはずのない剣と、確かに。


「……君、」

「お、おうッ?!」


呆気にとられ思わず女の腕から手を離していたネリの方に、女が向き直した。


改めて見ると、彼女は本当に美しい女だった。

絶世の美女と名高き王妃や、神話の女神ですら敵わないのではないかと思われる程に、非の打ちどころのない美女だった。

こんな田舎の村では一生目にすることはないだろう華やかさと、気高さを持った女は、同性であるはずのネリの胸すら高鳴らせる。声もまるで、空から降り注ぐように美しい。

――だが


「こいつの言ったことを詫びはしたが……私には、本当に君たちを助けた目的はない。
金銭を搾り取ろうとも思わない、この中の誰かを差し出せとも言わない。私を今後崇めてくれとも勿論言わない。何も気にすることはない……。放っておいてくれれば、それで十分だ」


それ程完成された身である彼女に、一つだけ走る瘡が、見る者の心臓を冷たく掴んだ。

左目を縦に裂く、深い瘡が――。


「私は此処を通りかかって、村が襲われていたので兵士を片付けた。それだけのことだ……。ツイていたとでも思ってくれ」


その瘡を眼に焼き付けて、女は今度こそ行ってしまった。

金色の髪をなびかせて、死屍累々の村の向こうへと――。


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