モノツキ | ナノ



私の弟は、一度死んだ。


「つくも神に呪われただと?!!」


その生を誰もに祝福され、あらゆる才に愛された、完全無欠の弟。

そんな彼の、幸福である筈の人生は、つくも神の呪いを受けたことで閉ざされた。


「……俺がこうなって嬉しいか?」


今も私の目蓋の裏に焼き付いている。憎悪で燃える炎の色。
あれを目の当たりにした時、私は想った。

きっと私では、弟を救うことは出来ないだろう。弟が転がり落ちた場所を、奪い取ってしまった私では、彼を救えないだろう、と。


だから私はあの時、決めたのだ。

私は、私以外の誰かが、弟の息を吹き返してくれる為に、何でもしよう。
殺意を抱かれる程に恨まれても、本当に殺されることになろうとも。

私は、血を分けたたった一人の弟を、神の手の平から奪い返してみせると――そう、決めたのだ。





最近、なんだかとても上手くいっている。
そんな気分を鞄と一緒に握り締めて、ヨリコは一人、駅前を歩いていた。

先日帰ってきたテストが、いい点数だった。
苦手な体育の授業で、長年出来なかった逆上がりが出来るようになった。
弁当の卵焼きが、ここのところ、一つも失敗することなく、綺麗に焼けている。
思い切って買ってみた本が、どれも面白かった。

近頃起きた嬉しい出来事を指折り数えて、ヨリコは思わずふふっとはにかんだ。

一つ一つは、とても小さなことだ。しかし、そこには確かな喜びがある。
思い返して噛み締めても、バチは当たらないだろうと、ヨリコは今にもスキップしそうな足で、駅前通りの石畳を行く。

そんな彼女の有頂天だが、その構成は実の所、今し方彼女が、敢えて数えなかった喜びが、殆どせしめるような形で出来ていた。

テストがいい点数だったことも、逆上がりが出来るようになったことも、卵焼きを失敗しなくなったことも、本が面白かったことも、嬉しいことだ。

だが、それより彼女が喜んでいたのは――。


「や、ヨリちゃん」

「ヨリコー!」

「すみません、お待たせしましたー!」


待ち合わせ場所にいた青年と少女の姿に、ヨリコは顔を綻ばせた。

人が行き交う駅前通り。其処に、当たり前のようにいるこの二人――サカナと火縄ガンがいることが、ヨリコの歓天喜地の所以であった。


「悪いね。今日はバイトお休みなのに」

「いえいえ!お気になさらず!」

「キャハハ。ホント、ヨリコはお人よしネー」


少し前まで、二人はこんな風に堂々と、市街を歩ける身ではなかった。

神を怒らせた罪人、モノツキ。その証たる異形の頭を彼等は――サカナの方は、本当についこの間まで――有していた。

だが、唯一の免罪符たる”真実の愛”を得て、二人は忌まわしき呪いから解放された。
奪われていた顔も、名前も、人としての権利も取り戻し、サカナ達はこうして、ごく普通の人に混じり、ごく普通の人のように振る舞えるようになったのだ。

それが、嬉しくて仕方ないと、ヨリコは緩みっぱなしの顔をニコニコとさせながら、踊るように一歩前へと踏み出した。


「では、早速行きましょう!茶々子さんの、お誕生日プレゼント選びに!」


「「おー!」」



今日此処に三人が集まったのは、直に訪れる茶々子の誕生日プレゼント選びの為であった。

これまでは、モノツキであったが為に、ウライチや裏ルートを使っての通販でプレゼントを探していた二人であったが。
呪いが解け、人間に戻ったことで、今年は選択肢が大幅に広がったのだから、これまで買えなかったものをと考えた。

しかし、モノツキになってからめっきり外部をうろつけなくなったもので、表の道やら店やらには、流行に敏感なサカナでさえ疎い。


何処に何があって、其処にはどう行けばいいのか。

逐一調べるより、よく知った者に案内を頼む方が賢明だろうと判断し、二人はヨリコに案内役を依頼することにした。

ヨリコは生まれてから今日まで一般人そのもので、表に十分精通している。
しかも、薄紅では到底分からないような、若い女性の好みや流行りに明るく、どれだけ時間がかかったりしても嫌な顔をしてこない。

これ以上の適任はいないだろうと、サカナ達はヨリコに、どうか茶々子さんの為に一つと頼み込み。
ヨリコはそれなら是非お手伝いさせてくださいと、満面の笑みで快諾し、今に至っている。


「にしても、久し振りに来てみれば……随分変わったもんだねぇ、この辺りも」

「その台詞、なんかジジイみたいヨ、サカナ」

「せめておじいちゃんって言ってよ、火縄」


少し落ち着のない輝きを宿した眼で辺りを見渡し、感嘆の息を吐いたり。火縄ガンの発言にむっとして、頬を膨らませたり。これまで熱帯魚や水の色で現していた感情を表情に出しているサカナと、その隣で、クスクス悪戯っぽく笑う火縄。
その、なんと尊いことかと、ヨリコは眼を細めながら、ゆっくりと前を歩いていた。

もう、彼等の顔を覆っていた呪いも、面の下にこびり付いていた心の翳りも、何処にも無い。
彼等がこうして見せている笑顔こそがその証明のようで、ヨリコは、本当に、二人が救われてよかったと、はにかんだ。

そう。これこそ、ヨリコの胸に湧き上がる、最近なんだかとても上手くいっている、という感情の正体であった。


「これだけお店があるし……茶々子さんが喜んでくれるもの、見付かるよね」

「はい!時間はありますし、ゆっくり周って見て行きましょう!」


最初に火縄ガンが救済を得てから、立て続けというには些か間があるが――それでも、ツキカゲ内で三人が、”真実の愛”を得て、呪いから救われている。
しかも、前回救われたシグナルから、約二ヶ月という短いスパンで、サカナが救済されているとあれば、浮かれてしまうのも無理はない。

かつては絶望的に思われていた、呪いからの解放。それがこの短期間に、次々と身内内で起きたとあれば、はしゃぎたくもなる。
きっとまた、誰かが”真実の愛”を掴み取って、こんな風に心からの笑顔を見せてくれるに違いないと、期待もしてしまう。

偶然か。はたまた、運命の悪戯か。ともあれ、ヨリコにとって、これ以上となく素敵な、良い流れが出来ていた。

だから、何もかもが上手くいっているなんて気になって、些細な喜びの連続を、過剰に喜んだりしていることに、彼女は気付くこともなく。
サカナ達のプレゼント選びに、嬉々として付き合っているのであった。


「サカナさんは、何を渡そうと思っているんですか?」

「んー……それが、色々案があって困っちゃってるんだよね」


そんな彼女の半歩後ろで、サカナは小難しい顔をしていた。

今年の茶々子の誕生日は、彼にとって格別に特別だった。
先日、沈んでいた自分の心を彼女が掬ってくれたことで、彼は求めていた”真実の愛”を得た。
それにより、人の姿と名前と権利を取り戻したことの、感謝の意を込めて。サカナは、自分に出来る最大限、彼女の誕生日を祝いたかったのだ。


――生まれてきてくれて、ありがとうございます。僕をすくってくれて、ありがとうございます。来年も、どうかこうして、お祝いさせてください。


そんな想いを乗せるには、どんなプレゼントが最適か。何を渡したら、彼女は最も喜んでくれるのか。どれを選べば、自分の気持ちが彼女に伝わるのか。

色々と考えるが余り、まるで搾れない。サカナは、一体どうしたらいいだろうかと、頭に浮かぶ限りの案を、一つ一つ口にしていった。


「アクセサリーとか、香水とか……そういうのは本人の趣味とかあるじゃん。花も王道だけど飾る場所に困りそうだし……。
実用性のあるキッチングッズとか無難でいいかなぁって思うけど、プレゼントしてどうなのかなぁって感じがして……。
思い切ってぬいぐるみとかって考えてみたけど、ハズした時がアレだなぁって思うと」

「フー。サカナはこれだからダメネー」

「なんだとう」


盛大に肩を竦めてきた火縄ガンに、サカナは顔を軽く顰めた。

子供の言っていることだし、火縄ガンの憎まれ口はいつものことなので、今更目くじらを立てたりはしない。
だが、そんな物言いをするからには、自分はさぞ素晴らしいアイディアがあるのだろうなと、サカナは唇を尖らせた。

そしてヨリコも、火縄ガンがあまりに自信に満ちた様子でそう言うので、彼女は何を買うか決めたのだろうかと、尋ねてみることにした。


「火縄ちゃんは、もう決めてるの?」

「フッフーン。ワタシは実際に見てみて、ビビってきたものにしようって決めてるのヨ」


両手を腰に当て、火縄ガンはこれ以上となく得意満面に、鼻の穴を膨らませた。

それは、詰まる所、今のところはサカナ同様ノープランなのでは、と二人が何とも言えない顔をしているのにも構わず。
火縄ガンは自分の決定が如何に卓越したものかをアピールせんと、ピンと人差し指を立てて、解説した。


「何事も、大事なのはフィーリングヨ。うじうじあーだこーだするより、直感任せに決めるのが一番ネ。案ずるより産むが易しってやつヨ」

「ぐ……火縄に正論を言われると、結構クるものが……」


サカナにとっては悔しいことに、火縄ガンの言うことは御尤もであった。

確かに、本人の趣味だと飾る場所だとか、プレゼントとして如何なものかとか、そんなことを考えていてはキリがない。
これぞ茶々子のプレゼントに相応しいと思ったものを見付けたら、それを手に取ってしまうのが、最も合理的だ。

だとしても、多少考えるのは大事ではないか。何せ、今年は格別に特別なのだからと、サカナは頭を抱えて、うんうん唸った。
火縄ガンの言葉を鵜呑みにするのが、遺憾なのもあった。なんだか、完全に負けたような気がして。
そんな、なけなしのプライドで未だ悩み続けるサカナを、火縄ガンは、さっさと負けを認め、自分に倣えというような笑みで見ている。

それが微笑ましい位におかしくて。ヨリコは思わず笑いを零すと、困ったように眉を下げてきたサカナに、フォローを入れた。


「ふふ。サカナさんがこれだけ悩んでるってこと、茶々子さんが知ったらそれだけで喜んでくれると思いますよ」

「そ、そう……かなぁ」

「はい」


茶々子は、人から貰った物に逐一ケチを付けるような性格ではない。
物によっては、多少難色を示したり、不服を口にしたりもするだろうが、度が過ぎていなければそんなこともないだろう。

誕生日を祝福したい、感謝の想いを伝えたい。そういう気持ちが込められた贈り物ならば、きっと喜んでくれるに違いない。
彼女は、物よりも想いを尊ぶ人なのだから。


「……なら、思う存分悩みながら考えないとだ」


ヨリコに言われて、サカナは思わず、頬を赤らめてしまった。

茶々子が、そういう人なのは、分かっている。
彼女は、趣味じゃないアクセサリーや香水も、置き場所に困る花束も、プレゼントらしからぬキッチングッズでも。
サカナが茶々子の為にと必死に選んだ物ならば、何でも喜んでくれるだろう。
自分は、彼女のそういうところが好きなのだからと、改めて痛感して、物凄く恥ずかしくなってしまったのだ。

サカナは、自分がこんなに本気で恋をする日が来るなんてと思いながら、コホンと小さく咳払いし、言い訳がましく口を動かした。


「茶々子さんにはたくさんお世話になってるし……こうして街に出られてるのも茶々子さんのお陰だし……。手放しで喜んでもらえるくらい、とびっきりのプレゼント買っていかなきゃ」

「そうヨ。サカナは口座一つ茶々子に渡すくらいの気持ちでいかなきゃダメヨ」

「口座一つ?!それは幾らなんでも重過ぎない?!」

「カードと暗証番号と印鑑と通帳ヨ。全然重くないネー」

「気持ちの問題!!」


こんな風に冗談を交えつつ、三人は茶々子のプレゼントを探し、駅前通りを歩いて回った。

前調べで気になっていた店や、たまたま目に入って気になった店に立ち寄って、直感に訴えかけてくるような品はないかと物色する。

若い女性をメインターゲットにした店が多いので、ラインナップは十分過ぎるくらいだが、多過ぎるのも困り物であった。
サカナは、これもいいかもあれもいいかもと右手に左手に品を取っては迷い。
火縄ガンも、「コレすっごく可愛いネー。いいナー、欲しいヨー」と、茶々子へのプレゼント探しに来ていることを忘れ、買い物に没頭してしまっている始末である。


こんな悩みも、脱線も、今だから出来ることだ。

ヨリコは、なんだかんだ楽しそうにプレゼント選びに勤しむ二人を見つつ、いつかこんな風に、皆で外を出歩けたらと、空想した。


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