モノツキ | ナノ




夏は終わりを迎えたが、九月初週を過ぎた今でも、未だ暑さが後を引く。
それでも、もう秋が近付いているのかと思えば、時間の経過の早さに漠然と驚いてしまう。


ヨリコは通い慣れた道を歩きながら、考えていた。

初めてこの道を通った日から、もう一年が経とうとしている。


おっかなびっくり、不安と期待を引っ提げて歩いた道。

時に鼻歌混じりにスキップし、時に気まずさに脚を引き摺られて引き返そうかとした。
そうこうしながら、この道とももう、一年の付き合いになろうとしているとは。

ヨリコは、それとなく顔を上げて、空を見上げた。


夏気分の抜けない陽射しもすぐに控えめさを取り戻し、街路樹は黄や橙に衣替えをしていくだろう。

ふとした瞬間どこからか金木犀が香り、景色はみるみる夕陽に染まっていく――そんな季節も、あっという間にやってきて、終わる。


季節はこうして同じようにやってくるというのに、人間というのはそうはいかない。


(……あと、一年…かぁ)


帝都の秋は何度も何度も、繰り返しこの道を訪れていくが、ヨリコはそうは出来ない。

ヨリコは、高校卒業後に家を追い出される。そして、その後の生活の為に、就職をしなければならない。
社会に出て、働いて、企業の為に尽くし…そうなれば、もう。この道を今のように通い詰めることは出来ないのだ。


(来年は就職活動があるから……バイト、減らさないといけないなぁ。今の時期にはもう…入社面接とかに行くのかなぁ……)


あと一年。それで、ヨリコのこの日常は無くなる。

安らかな心地を与えてくれるツキカゲが消滅することも、社員達との関係が断絶されることもないが。
それでも、今のようにこうして、殆ど毎日顔を合わせることは出来なくなる。

気軽に会いに行って、談笑を交わし、ではまた明日と言うことも。あとたったの一年で、無くなってしまうのだ。


(……私………今のままでいいのかなぁ…)


それまで、こうして同じように繰り返し繰り返し、彼等の傍らにいるだけでいいのか。

ヨリコは照り付ける太陽に目を細めながら、顔を前に戻した。
またぼんやりとしていたというのに、体が覚えているのか。無事にいつも通り、時化た雑居ビルの前に辿り着いていた。


すぅと息を吸い込んで、ヨリコはぺちんと両頬を叩いた。

高い時給をもらって働かせてもらっているのだから、ぼんやりしていては失礼だと、気合いを入れてヨリコはロッカールームへと驀進した。


しかし、心構えを変えても未だ、心にしがみ付いて、離れてくれないものがあった。

ここ数日、ずっと。油断すれば頭の中をせしめてしまう一つの影が、じくじくとヨリコの心臓を急かしていた。


<これは、ついにイベント発生ってやつじゃないかと>




いつものように清掃用のつなぎに着替え、いつものように三階オフィスの扉を開けたヨリコは、いつものようではない室内の様子に目を丸くした。

湿気た事務所の中。集まった異形頭の社員達。同じ空間にあって然るべきその組み合わせであったが、今日はそこに一点のイレギュラーが混在していて。
ヨリコは大きく眼を見開いて、事務椅子の上で体育座りをするパソコン頭のウインドウを眺めていた。


「ら…LANさん……?ど…どうして三階に……?」


此方を一瞥するかのように頭を傾けた後、ノートパソコンのキーボードを弄り出したその青年は、いつぞやの大掃除以来見ていなかったLANであった。


あの騒動の後、余程昼行灯にこっ酷く叱られたのか、LANは律儀にゴミを提出していた。
故にヨリコはまた随分長いこと彼と顔を合わせず今に至っていた訳だが。二度目となる顔合わせが、まさか三階オフィスになるなどと、誰が予想出来たか。

恐らくLANも、想像だにしていなかったし、そのつもりも微塵もなかったのだろう。
凄まじい速さでダカダカとキーボードを叩く彼の周囲には、鬱屈した空気がどんよりと漂っているようだった。

そんなLANとは対照的な、底抜けに明るい空気を振り撒いて、サカナが実に楽しそうに声を掛けてきた。


「やぁやぁ、ヨリちゃん。いやー、実にいい驚き加減だね。僕はLANが降りてきた時、驚きのままに叫んで薄紅さんに怒られたものさ」

「お前はいちいちオーバー過ぎなんだ……」


こんなやり取りをしている三階オフィスだけでなく、此処には二階オフィスの人間であるシグナルと髑髏路、仕事がない時は気まぐれに顔を出す火縄ガンもいて。
一同はLANの周囲を囲むようにして、彼が開いているノートパソコンの画面を眺めていた。

これ程社員達が揃うことも珍しい――とヨリコが未だ驚きの余波に当てられていると、薄紅はサカナに向けていた呆れ顔を、真剣そのものの面持ちに変えて、手招きをした。


「ヨリコさん、こっちに来てもらっていいかな……この事態について、説明したいことがある」

「は、はい……」


この事態、ということは、やはり、現状は何等かの問題を孕んでいるということか。

ヨリコはこの場に立ち込めてきた不穏を掻き分けるようにして、社員達の元へと足を進めた。


「今、LANが此処にいるのは……こいつが引き篭もっている事態ではないからでな…。取り敢えず、これを見てくれ」


薄紅に言われ、横に退いた社員達に小さく頭を下げながら、LANの背後から顔を覗かせる。

ノートパソコンの形に沿った白い光が映る瞳は、やがて緩やかな衝撃を受けて、揺れた。


即座に理解には及べない。しかし、此処に映し出されているものが、この事態を招いたことには違いなくて。
ヨリコは腹の底で渦を巻くような不安を感じながら、急速に乾いてきた口を開いた。


「…この人、は」

「……うちの、元社員だ」


パソコンの画面には、LANが今し方、サーバーに侵入し入手したのであろう。いくつかのファイルが開かれていた。

その一つ。特に大きく映し出された画像に、ヨリコはごくりと唾を飲んだ。


唾液が嫌に酸っぱく感じるが、これは不吉の味か。

プリンター頭の男の写真を前に、薄紅は顏を顰めながら、静かに口を開いた。


「こいつは、名をインキといって……七年前に解雇された男だ。今こいつは…反帝都政府組織・サカヅキのリーダーとして活動している。
サカヅキは、帝都でもそう規模の大きくはない過激派テロだが……構成員が全てモノツキという異色の組織だ」

「……全員、モノツキ…」


帝都クロガネには、多くの反帝都政府組織が存在している。

彼等は、つくも神から与えられたこの世界で、今後人類がどうあるべきかを訴えるべく、武器を手に取り、政府官僚や関係者、時に敵は同じである筈の同業者までもを襲っている。

限りある箱庭の世界を、どれ程拓き、どのように使い、どんな利益に繋げていくのか。それについて実権を握っているのは、選ばれし帝都政府の官僚達である。
帝都民を代表し政を行う彼等の手により、この世界は削られ、均され、築かれ、そして、崩されていた。

木々を切り倒し、川を埋めて、時に小さな町を潰して。民の血税を注いだ果てに作られたのが、彼等の懐を豊にするだけの娯楽施設や、無意味極まれる建築物であったり。
次から次へと建てられた工場が、連鎖爆発するかのように、これまた次から次へと潰れて廃墟と化していったり。
こうした不安を募りに募らせた結果。実力行使へと踏み出してしまった改革希望者達こそが、反帝都政府組織のテロリスト達であった。


その内情は、開拓の為に住居や職場を取り潰された者、無計画な運営により職を失うことになった者、
強引な土地開発による自然弊害を受けた者、保守派ばかりの政府官僚に苛立ち武器を手に取った者など…。
偏にテロリストと言っても、組織によって活動目的はまるで異なり、民間にすら手を掛ける超過激派もあれば、デモに等しい行為の多い穏健派もある。

では、この男――インキは、どのような思想を抱いて政府に牙を剥く道を選んだのか。

それは問うまでもなく、ヨリコにも察しがついたし、薄紅も敢えて説明することはなかった。


「その特性上、ツキゴロシに目をつけられてあまり大きく活動出来ていなかったんだが…最近、勢力を上げてきたことに加え、
俺らが仕事でツキゴロシを片付けて手薄になったことで…最近調子付いているらしいんだ」

「で、ついにこんなおおっぴらな事件まで起こしてしまいまして」


LANがマウスカーソルを動かし、別の資料をアップにしたところで、ヨリコは嗚呼と零れ落ちそうな声を呑み込んだ。

家の環境上、居間にいることが殆どないヨリコは、必然テレビを目にすることも少ない。
だがそれでも、彼女はこの”事件”を知っていた。

街頭モニターで取り上げられているのを見ただけでも、朝食の後片付けをしている傍ら、流れるニュースを耳にしただけでも、強烈に印象に残る程に凄惨な”事件”だった。


見事に引っくり返った、大小様々な車の骸と、焦げついたアスファルトにこびり付いた血の跡。

つい数日前に起こったその惨劇は――帝都東第七線爆破テロ事件と、そう呼ばれていた。


「政府のお偉いさんが乗った車を狙い、道路を爆弾で吹き飛ばした結果。巻き込まれた一般人を含めて死者十八人、負傷者三十四人。
更に、道路閉鎖による運行被害で、あっちこっち大迷惑。
こうなっちゃうと警察も動かなきゃいけないからさ。サカヅキを摘発する為に、怪しいとこを調査するってことになって…」

「リーダーがかつて在籍していて、今現在もモノツキの巣である此処も、その調査対象になってしまい…一人一人取り調べと、家宅調査をされている訳だ」


全く迷惑極まりない、と。うんざりしたように言う割に、社員達は誰も、危機感のようなものを抱いてはいないようだった。


本来であれば、彼等のような叩かずとも埃が出てくる。寧ろ埃まみれの者は、警察に介入されればそれで終いだ。

だが、此処ツキカゲは、その警察の喉を握り潰す材料と力量を有しており。その厄介さと、ケースバイケースの使い勝手もあるので、彼等は眼を瞑られて、今日まで至っている。

そうもいかなくなったのは、今回此処の元社員であるインキが、先陣を切ってとんでもないことを仕出かしてしまったからだが。
社員達は全員、彼との繋がりを調べられたところで問題にはならないと、そう確信しているのだろう。

だからこうして、冗談を交えながらヨリコに状況を説明しながら、自分達で勝手に調査を進めているのだ。


「まぁでも、あちらさんもこっちのことはよく分かってるからよ。俺らがインキと、今なんも繋がりないないってんなら、見逃してくれるってよ。
けど、何があるか分からないから…こうして全員部屋から出て、潔白証明しなきゃなんねーってことで」

<メンテ以外でネトゲ禁とかマジ最悪>


帝都警察の、本件に纏わる極秘ファイルを腹いせにと次々開きながら、LANは頭の画面に愚痴を浮かべた。

これは、見付かっても大丈夫なのだろうかと、次第に別方向の不安を覚えてきたヨリコであったが、それでも忘れてはならない、伝えなければならない。
薄紅は改めて、今回この有限会社ツキカゲに降り掛かった火の粉について、ヨリコに告げた。


「ヨリコさん。インキが退社してから七年も後に来た君には、勿論関係のないことだが……警察としては、君にも話を聞いておきたいところだろう。
恐らく後で取り調べの為に二階に呼び出されることになるだろうが……聞かれたことには、正直に答えていい。
君が答えたくないと思ったことについては、黙秘を貫いても構わない。君は、此処で何も、後ろめたくなるようなことをしていないんだ…堂々と振る舞っていい」

「は、はい……」


薄紅の言ってきたことは、全て当然のことだが、ヨリコは一足早く安堵の息を吐くことが出来た。

無関係とは言い切れないとはいえ、今日まで名前も知らなかったテロリストについて聞かれても、自分が話せることがないのは相手も分かっているだろう。

早々に其方の取り調べが切り上げられて、自分みたいな人間が此処にいる理由だなんだを聞かれてしまったらどうしようかと思っていたのだが――確かに自分は、此処で掃除のアルバイトをしていただけだ。


全て正直に言えば、それで言い。
嘘を吐いたり、真実を上手いこと包み隠したりが出来ないヨリコには、それが許可されたことが、とても有り難かった。

しかし、不安は波のように、引いてはまたすぐに押し寄せてくる。
オフィスをくるりと一周見回した後に、ヨリコは踵が浮いてくるような感覚に見舞われたまま、ぽつりと呟いた。


「……ところで、あの……昼さんと、すすぎあらいさんは?」


今、三階オフィスにはツキカゲの殆どの社員が集っている。しかし、殆どであって全員ではなく。今回もまた、欠員がいた。

昼行灯と、すすぎあらいである。


今日ツキカゲに来てから、廊下で擦れ違うこともなかった二人は、今何処にいるのか。
その答えは、ヨリコの心臓にまた新たな憂慮の鼓動を起こした。


「…すすぎあらいは二階で、昼行灯は外だ。あいつは取り調べとはまた違う…別の話があって、席を外している」

「別の、話……」

「依頼だ。反帝都政府組織・サカヅキ摘発の…な」

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