モノツキ | ナノ
何処にいても弾かれて、何処にいても溶け込めず、何処にいても消えてしまいたい衝動に襲われていた。
そんな私を、最初に受け入れてくれたのは貴方だった。
(私は、貴方のことを信じています。頑張り屋で、明るく…礼儀正しい、人の為に涙を流せる貴方のことを)
(だから、貴方が何を抱えていても、どこの誰に拒絶されても…関係ありません。私の目の前のヨリコさんを…私は、信じます)
自分を知ってもらうことが怖くて怯えていた。そのくせ、誰かに認めてもらいたいと願っていた私を、貴方は抱きしめてくれた。
どうしようもない時に声をかけて、俯いた時は頭を撫でて、闇の中にいる時は照らしてくれて。
その優しさがあまりにも心地よくて、気付けずにいたけれど。
出会ってから今日まで、貴方はいつも――。
「……コ……おい……リコ…………ヨリコ!」
引っ張り上げられた意識の先、ぱちくりと瞬きをして、はっきりとした視界には、不安げに顔を顰めたケイナがいた。
どうやら、随分呼びかけられていたのに気付けていなかったらしい。
ヨリコはまたやってしまったと、苦笑いを浮かべ。ケイナはようやっと反応を示したヨリコをコンと軽く小突き、呆れ混じりの笑みを返した。
「もうホームルーム終わったぞ。バイト、今日もあんだろ?」
「ご、ごめんねケイちゃん。私、またボーっとしちゃって……」
「……ボーっとしてる自覚あんのか」
「うん…最近気が付くと、頭がぼやーっとしちゃってて」
夏休みが終わり、二学期に入ってからというもの。ヨリコはずっとこの調子であった。
ふと目を離せばぼんやりと、何か考え事をしていて。暫く声をかけるとはっとなって戻ってくる。
それはまだマシな方で、酷い時にはノートにみみずが走っていたり、別科目の教科書を机に並べていたり、
体育の際に上履きのままグラウンドに出様としたりと、無意識のままに体を動かしてとんでもないことになっている。
しかも、どうやら家でも同じような状態になっているらしく。
先日は昼食の時間に弁当を開けたところ、二段構造の弁当箱の中身が全て白米になっていたし、今日に至っては鞄の中から出てきたのは弁当箱ではなく、食パンであった。
これはもう、病気か何かなのではないかと心配していたケイナだが、流石のヨリコもこの事態を深刻に思っているらしい。
眉を下げ、両手で頬をぺちぺちとしながらあれこれと考えて。もしかしてと、鈍っている頭で辿り着いた仮説を一つ、ヨリコは口にした。
「…これが夏バテなのかな?私、初めて夏バテしちゃったのかもしれない…」
「……まぁ、お前は今年の夏、バイトかなり入れてたしなぁ…」
そうは答えたものの、絶対にそうではないと、ケイナは確信していた。
確かに、夏バテというのは夏が終わった頃にやってくるものだというが、ヨリコのこのぼんやりっぷりは夏の暑さや疲労云々が問題ではない気がするのだ。
それでも、敢えてヨリコの見当違いな考えに便乗したのは、詮索をしたくなかったからだった。
「つか、夏に散々働いてたんだし、ちっと休みもらった方がいいんじゃねぇか?」
「ううん!頭はダメでも、体は元気だから大丈夫!」
「……その言い方、なんかアレだな…」
ヨリコは、自分の様子がどうにもおかしいことは自覚していても、その原因までもは分かっていない。
では、一体何が彼女をそうさせているのか。
それを突き止めて、ヨリコに全てを分からせるのが、ケイナは嫌だった。
頭の片隅にある、一つの予感。それがもし的中していて、ヨリコが自身を狂わせているものが何か知ってしまった時。
彼女が、いよいよ自分の手の届かないところまで行ってしまいそうで。ケイナは眼を瞑っていたかった。
「って、いけない!そろそろ行かないと……じゃあね、ケイちゃん!また明日!」
「あ、お…おう!じゃあな、ヨリコ!!」
それが例え、彼女の為にならないと分かっていても。
自分が知らないフリをしていたところで、誰かが必ず、ヨリコを蝕むものの正体を教えてしまうと痛感していても。
ケイナは、その時が引き延ばせるのであれば、出来る限り先送りにしたかったのだ。
「……また、明日」
悲しい程によく利く鼻をすんと鳴らすと、夏の残り香がした。
廊下の向こうへと消えていく彼女の背中を見送って、ケイナは首を数回横に振った。
いつもヨリコが、こんな風になる時――決まってちらつくあの男の影を振り払いたくて。
頭に浮かぶ、最もそれらしい可能性を、無かったことにしたくて。