モノツキ | ナノ


忘れもしないあの日。”真実の民”によってヨリコが連行された後、手詰まりの現実に叩きのめされていた自分の想いに応えんと、ラグナロクへの最終準備を始めた時、彼は自らつくも神の呪いを脱ぎ捨て、パソコン頭のモノツキLANから”真実の民”マドカ・ナナミとなった。
だが、ラグナロク決行後間も無く、彼は再び、モノツキの姿へ戻っていた。

無論これは、彼自らの意思に因るもので、あの日脱ぎ捨てた呪いを再び被ることで、彼は異形の頭を取り戻し、パソコン頭のマドカ・ナナミとして暮らしている。

もうその身分を隠す必要も無いのだし、兄との確執は未だ残っているとはいえ、彼が自ら接触してくることもないのだ。


ラグナロク終結の後、”真実の民”の殆どは姿を消した。

アマガハラ・ヒナミは彼等も帝都管理局に招こうとしていたのだが、新世界プログラムはパソコンを媒体にした、彼等によって邪道の霊術式だ。それを学ぶ気も取り扱う気もないと言ったマドカ・ミツルを筆頭にして、彼等はこの世界の何処かへと消えて行った。

先祖代々受け継いできた使命を果たせぬまま、世界の終焉を見届けてしまった。その事実が、彼等の胸に穴を開けているのだろう。

つくも神の抹殺と、この世界の奪還。その為だけに生きてきた彼等には、次に何をすればいいのかさえ分からない。
だから、彼等の消失は、言うなれば自分探しの旅のようなものだろうと、ナナミ自身は一族の失踪については気にしている様子はない。

だとすれば、何がナナミを再びLANたらしめているというのか。それが気掛かりなのだという眼に見つめられたまま、ナナミは今一度この姿に戻った理由を語る。


「顔出ししてるとあんま落ち着かないっていうか……今はモノツキが表歩いても、糾弾される訳じゃあないし」

「でも、やっぱ気にならないか。未だに偏見とか残ってるし」

「そりゃね」


政界進出と共に、ヒナミはある条例を定めた。それは、つくも神の支配時代に差別されてきたモノツキ達の人権保証条例だ。


忌むべき罪人として虐げられてきたモノツキ達に、今一度、人としての自由と尊厳を。

それが、人のものになった世界が踏み出すべき最初の一歩であると、ヒナミはモノツキを再び陽の当たる世界へと導いた訳だが、未だ世間のモノツキに対する眼は、穏やかではない。


「モノツキはかつての神を怒らせた大罪人……裏世界でこそこそ生きてる犯罪者。そういう眼は今も感じるし、俺は間違った認識じゃないと思ってる。事実、俺達は、あの小さな神様達に罰せられたはみ出し者で、迫害された先で生きる為に汚いこともしてきた。俺なんかは引きこもりながら、どこぞの会社のデータ盗んだりぶっ壊したり、その程度だったけど……中には人を殺してきた奴もいる。それを恐れたり警戒したりってのは、当然のことだと思う」


例え始まりが神の定めた罪であっても、其処から人としての罪を犯してしまったものは多く存在する。全てのモノツキが正真正銘の犯罪者という訳ではないが、清廉潔白な、純正の被害者であるモノツキばかりでもない。

モノツキの人権保証条例についても、実に多くの意見が寄せられ、ヒナミを糾弾する者も多かった。かつて実弟を追いやっておきながら、今更になって彼等を擁護するというのか、と。


だがヒナミは、反対意見一つ一つを目に入れ、耳に入れ、その上で自分がこの条例を掲げた理由を演説し、帝都民を黙らせた。


――仰られる通り、私もまた加害者だ。家の為、会社の為、神の定めたルールに則り、弟を追いやり、彼が座る椅子を奪い取るようにしてアマテラスを手に入れた。だからこそ、私は今更でも、彼や、彼の仲間達を守りたいと思う。我々が自らの潔白を保つ為に虐げてきた者達に、ようやく堂々と贖える時が来たのだ。厚顔無恥と言われようと、手前勝手と言われようと、私はこれだけは譲れない。彼等が人の罪を犯しているとしても、だ。我々には、支配者たる神に従い、救いの手を求める彼等を振り払った罪がある。モノツキも人間も、共に許し合って初めて、この世界は本当に人のものになったと言えよう。その為に、この条例が必要なのだ。つくも神が残した呪いの、最後の一つが無くなるその日。我々人類は、初めて世界を手にすることが出来るのだ。


長い静寂の後、万雷の拍手と喝采を生んだこの演説を、ヒナミの間近で聞いた日から、ナナミは何となく取っておいていたパソコン頭の呪いを被るようになった。

ヒナミに感化されていないと言えば嘘になる。だが何より、モノツキとして出歩いてもいいのなら、そうしていようと思ったのだ。


「だけど、暫くはそれでいいとも思う。かつての、神による神の為の恐怖政治の象徴であるモノツキというアウトサイダーを、人が、社会が忘れるには、未だ早過ぎるからな」


この頭を見れば、人々は嫌でも意識するだろう。

つくも神に支配されていた時代に生まれた、モノツキという哀れで愚かな存在を。それを受け入れ始めた社会を。好意的にせよ、反感的にせよ、彼等は自分の頭を見て、考える。

この世界は今後どうあるべきか。これからどのようにしていくべきか。人の手に渡った世界に必要なのは、そういう考えであり、自分の仕事はそれを形にしていくことだ。


顔を隠しているのが落ち着く、というのも大きいが、ナナミはそんな想いもあって、モノツキの姿でいるのだが。


「…………何か」

「いや。お前、真面目なこと言ってる時はかっこいいよなって」

「…………はぁ、そりゃどうも」


素顔の方がいいというのなら、それも吝かでは無いのだが、モノツキ姿でもそれはそれで、というような彼女の顔は、どうにも困る。
少し前まで見られなかった女らしさとか落ち着きとか、そういうものも相俟って、心臓が擽られているような気分になる。

そんな感覚を呑み込むようにコーヒーを流し込むと、ナナミは着替えが掛けられたハンガーを取って、自室へ向った。



「んじゃ、そろそろ時間なんで…………ってか、あんたは学校とかいいの」

「今日の授業は午後からだからな。もう少しゆっくりしてから行く」

「……あっそ」


アイロン掛けされたシャツに袖を通しながら、何となく鏡を見遣る。

彼女が買ってきたオフィスライクな服は、もっさりと伸びた黒髪より、角ばったパソコン頭の方が似合っているように思える。


――たまには、散髪にでも行こうか。


この姿である以上、頭髪の機微に意味なんて無いのだが、こざっぱりとした頭を見た彼女のリアクションを思い浮かべると、悪くない気もする。

おお、まるでリア充のようではないかと自分を茶化しながら部屋を出ると、台所で皿を洗っていた彼女に微笑まれた。


「いってらっしゃい。また夕飯作りに来てやるから、早めに帰ってこいよ」

「……進捗次第で」


お前はヨリコの命の恩人だからなと、そんな定型文を何度も引っ提げては、何かと世話を焼いてきて、いつの間にかこうして家に上がり込んでくるようになった。

押し掛け女房という言葉があるが、果たして向こうにその気はあるのかどうか。それを確める選択肢は、一体いつになったら選ぶことが出来るのかと後頭部を掻きながら、ナナミは履き潰したサンダルに爪先を入れかけて、隣のスニーカーを履いた。


「いってきます、ケイナ」

「おう。あいつによろしくな、ナナミ」


今日は早く帰ろう。夕飯の匂いと共に出迎えてくれる彼女に、散髪した頭を見せる為に。


不思議と駆け足になって職場に向いながら、ナナミは想う。


人生にラスボスは無くとも、中ボスは数多く存在している。彼女――イヌイ・ケイナも、自分の人生に於ける中ボスの一人だろう。

さぁ勇者よ、どうにか彼女を攻略して、最良の分岐ルートを手に入れるのだ。


実はとうにそのルートに入っていることを知らぬまま、ナナミはめでたしめでたしの向こうへと駆けていくのであった。


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