モノツキ | ナノ


「仕事でも、正当防衛でもない。彼は、自らの感情の高ぶりに身を任せて、私を殺そうとした。……周りが止めていなければ、殺していたでしょう、ね」


胸元を正しながら、そう語るレイラを、誰も止めはしなかったし、否定もしなかった。

それが、彼女の言うことは紛れもない真実であることを突き付けてきて、ヨリコは何も言えず。
昼行灯もまた、言い訳や弁明をすることもなく――出来る訳もなく、沈黙していた。


「今回だって、そう。長年ヒナミ様に抱き続けてきた憎悪を暴発させ、衝動的に彼女を襲い、手にかけた……そういうことなんでしょう?昼行灯」

「…………」

「……都合が悪くなるとすぐにだんまり。何も変わってないわね、貴方」


あっさりと、拍子抜けするくらいに容易く訪れた沈黙に、レイラは呆れたと言わんばかりに、大きく溜め息を吐いた。

白けたのだろう。
あまりに自分の思うように事が運び過ぎて、破壊のし甲斐もなく全てが終わったことが、つまらないのだ。

不都合なことは、何もない。寧ろ、淡々と事が済んだのは、喜ばしいことだ。ただ、面白くないだけで。


「いいわ。貴方から話すことがないというのなら、此方で調べさせてもらうだけのことよ」


レイラはそれだけ言い残すと、最早用済みだと言わんばかりに、さっさとオフィスから退室していった。

何時の間にか、扉の向こうには黒いスーツに身を包んだ屈強な男達が数人待機していて、レイラは彼等と共に、何処かへ行ってしまった。

調べさせてもらう、と言っていたからには、そうするつもりなのだろう。
彼を糾弾する材料探しの為、レイラはあの男達を引き連れて、階段を上がり、彼の部屋を目指しているに違いない。

最初からそうするのが目的で、彼女は此処に赴き、昼行灯の許可を得に――否、ふんだくりに来た、ということなのだろうが。
そも、何故レイラがそんなことをするのか。そこだけが、未だ見えずにいる。

ヨリコはらしくもなく、露骨に顔を顰めて、閉まったドアを怪訝の色が浮かぶ眼で見詰め、口惜しそうに声を零した。


「……何なんですか、あの人は」


レイラに、言いたいだけ言わせてしまったこと。何も言い返せぬままでいたこと。昼行灯を、庇いきれずにいたこと。
それが、とても堪えられないのだろう。震える声で精一杯それだけ呟くと、ヨリコはギリ、と歯を軋らせた。


彼女が何かに対し憤慨することは、そう多くはないが、少なくもない。

これまでもヨリコは、理不尽や不条理を前にすると、怒りを露にし、憤ることがままあった。
しかし、彼女がこうも憤怒に戦慄くことは、一度も無かったように思われる。


――そんなことを考察しているのは、自分が思っているよりも余裕があるからなのか。いや、既に諦めを付けてしまっているからか。

薄紅は、いよいよ今回はどうにもならないかもしれないと息を吐くと、力無い声で返答した。


「…………ハイジマ・レイラ。君もよく知る、アマガハラ・ヒナミの秘書だ」

「秘、書」


予想だにしなかった答えに、ヨリコは竦んだ。

アマテラスカンパニー社長秘書という肩書きを持つ彼女が、ヒナミ襲撃の件で、此処に訪れた。
その事実が腹の底に圧し掛かり、足元から絶望感がせり上がってきて、ヨリコは眩暈がしそうだった。


「そんな人が、どうして……」


思わず口にしてしまった疑問に、誰も答えてくれなければよかった。

そうしたら、何もかも有耶無耶に出来たのに。
よりにもよって、誰に向けたでもないその問い掛けに答えたのは――昼行灯だった。


「……昨晩起きたアマガハラ・ヒナミ襲撃事件。その犯人が、とうに死んでいる筈のアマガハラ・テルヒサによる犯行だった場合、表沙汰になる前に社内で揉み消す為……でしょうね」


他人事のようにそう呟くと、昼行灯は椅子を引いて、腰を上げた。

もう、項垂れているのさえ馬鹿らしくなったのか。
心なしか曇って見えるランプを上方へ傾け、力無い足取りで歩きながら、昼行灯は本の一文でも読み上げるかのような調子で、続ける。


「私の存在が露見することは、アマテラスのブランドイメージを著しく損なうことになる。
マスコミに嗅ぎ付けられる前に、私を捕え、秘密裏に処置した後……適当な人物に濡れ衣を着せる。そういう運びで、彼女がこんな所まで来たのでしょう」


それはまるで、断崖絶壁の向こうへと発つ人のような有り様で。見ていられないと、ヨリコは声を張り上げた。


「だ……大丈夫ですよ昼さん!」


何が、大丈夫なものか。

分かっている。こんなことを言っても、慰めにもならない。寧ろ、彼を虚しくするだけになるかもしれない。自分の言葉は今、ひた無力だ。

そう痛感していても、昼行灯を留めておかなければならないと何かが警鐘を打ち鳴らしていて。
ヨリコは必死に、彼を呼び止めるように声を掛ける。


「本当の犯人がすぐ見つかって、誤解も解けますよ!それに、眼が覚めたらヒナミさんも証言を――」

「本当にやったかどうかは、関係ないんですよ」


だが、ヨリコは遅かった。

何か言うのなら、もっと早くに――レイラが此処を去る前に、口にすべきだったのだ。
既に、何もかもが手折られた後であったとしても、だ。ヨリコはあの時、即座に口を開くべきだった。

沈黙が、昼行灯の失意を一層膨らませるその、前に。


「アマテラスの財力と権威があれば、虚実が真実に、真実が虚実になります。私が何を言おうと、言うまいと……アマテラスが私を犯人としたのなら、全て無駄なことです」

「で、でも……」


もし、レイラがあの傷を、昼行灯の罪を曝すことがなければ。ヨリコはあのまま、彼女に噛み付き続けていられただろう。
昼行灯が、実の姉を、ヒナミを手に掛けることなどないと、叫んでいられただろう。

しかし、ヨリコはレイラの傷痕を目にして、竦んでしまった。

消えることのない罪過の証を、昼行灯の色濃い影を前にして、彼女は、怯んでしまったのだ。
それが、決定打になってしまうとも知らずに。


「昼さんは……やってないんですよね」


今も、ヨリコは昼行灯を信じている。信じなければ、いけないと思っている。

例え過去に、愛した者の命を奪おうとしたことがあったとしても。彼がヒナミを殺すことなど、絶対に有り得ない。ヨリコはそう信じている。

だから、彼がただ一言「そうです」と、自分が無実であることを主張してくれればよかった。
それだけで、もう何にも怯えることはないからと、ヨリコは縋るように問うが、もう手遅れであった。


「昼さんがヒナミさんを殺そうとするだなんて、そんなこと……」

「……ヨリコさん」


伸ばし掛けた手から逃れるように、昼行灯はヨリコから一歩、距離を取った。

ただそれだけなのに、彼がもう、二度と手の届かない所まで行ってしまったように思えて。
ヨリコは中途半端な位置で止まった手を、握り潰されたように痛む心臓の前に置いて、懸命に呼吸した。


目の前が、眩んで、霞む。

そのまま何もかもが、白く淀んで消えてしまいそうな中。昼行灯の、全てを投げ捨てるような声が、響く。


「私は……依頼でもなく、正当防衛でもなく……ただの私怨で、人を殺めようとしました。先程、彼女が……レイラが、言った通りです」


まるで、今際に残す言葉のように言いながら、昼行灯は扉を開いた。

どうせ最後なら、もっと他に言うことがあるだろうに。
喉の奥で悲鳴を上げる、押し殺し続けてきた言葉達の喚きを嘲りながら、昼行灯は口角を上げた。


(何も変わってないわね、貴方)


全く、その通りだ。

自分はあの時から、何一つ変わっていない。
相も変わらず臆病で、伝えるべき言葉を口にせずに、きっとこの心は理解される筈だと、全てが台無しになるまで待ち続けている。

それで救われる訳がないと、散々痛感してきた筈なのに。結局、最後の最後まで、自分で自分を殺し続けて。


馬鹿な男だ。本当に、救いようのない。

そんな自分が、一体どの口で、貴方を愛しているなどと、のたまえるのか――。


昼行灯は、いっそ高笑いしたい衝動を抑えながら、歪んだ自嘲の笑みを浮かべ、最後に一度だけ、振り返った。

砕かれた希望の残骸が、自分の後をついてこないように。残り少ない時間で、もう二度と、期待などしてしまわないようにと。
昼行灯は全てを此処に切り離して、閉じ込めるように、言葉を置いて扉を閉めた。


「私は…………貴方が思うような”人間ではない”んですよ。ヨリコさん」


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