モノツキ | ナノ
ヨリコは、理解出来なかった。
全てを把握するには、未だ情報が足りなくて。何より、理解したくないという気持ちが、思考回路を滞らせて。
この場から切り取られてしまったような混迷に陥りながら、ヨリコはただ、レイラが昼行灯を問い質す様を、見ているしか出来ずにいた。
「アマガハラ・テルヒサ。貴方は昨晩、何処で、何をしていたの?」
ヨリコが立ち尽くす中。レイラは敢えて、繰り返す。
彼女が現れる寸前までのやり取りを、見せつけてやるかのように。レイラは、終わらせてやることを許さず、昼行灯に問う。
「ヒナミ様が襲われた推定時刻は、深夜十一時頃。その時間、貴方は何処にいて、何をしていたのか。それを証明出来る人はいるのか……それさえ、話せないというのかしら?」
「……!」
そこまで言えば、嫌でも分かってしまった。
未だ足りないピースは幾つもあるが、それでも、レイラが何故此処にいるのか――その所以が、ヨリコにも見えてしまった。
「ヒナミ様は、あの日、自室で秘密裏に誰かと会っていた。屋敷のメイドも、ヒナミ様が『急な来客だ』と言って、自らお茶を持って行かれたのを目撃しているわ。
あの時間帯、秘密裏にお部屋に通されるような人物……それが、ヒナミ様を刺し、逃走した犯人。……思い当たる節が、あるのではなくて?」
ネクタイを引き、レイラは噛み付くような眼で、昼行灯を捉える。
もう、何処にも逃げ場などないのだと教え込むように。レイラは語尾にわざとらしい疑問符を付けながら、昼行灯を追い詰めていく。
そこで限界が訪れたのは、ヨリコだった。
「やめてください!!」
これ以上、昼行灯が痛めつけられていくのを、見ていられなかった。
散々に甚振られ、心に無数の傷を抱え込んできた彼に、どうして更に惨たらしい仕打ちをするのだと、ヨリコは渾身の力で叫んだ。
「何なんですか、さっきから……。昼さんのこと、犯人だと決めつけたような言い方ばかり……っ!」
許せなかった。
笑いながら、彼を絞首台の向こうへと追いやろうとしているレイラが、宛ら、これまで昼行灯を理不尽に傷付けてきたもの全ての権化のようで。
ヨリコは、昼行灯を庇い立てるように、一歩前に踏み出し、レイラに食ってかかった。
「昼さんは、ヒナミさんを殺そうとしたりなんてしません!!昼さんは、そんな人じゃ――」
「そんな人……ねぇ」
懸命に昼行灯を庇うヨリコを見て、レイラの瞳は一層、嘲りと酷薄の色を濃くした。
抗いは、凡そ嗜虐を煽るものである。
それが健気であればあるだけ、その柔く尊い想いを、粉々に砕いてやりたいという欲求に駆られる。
故に、レイラは昼行灯の為にと憤慨し、噛み付いてきたヨリコにとって最も手酷い術で、彼女を折ることを決めてしまった
「貴方……確か、ヨリコさんって言ったわね」
昼行灯のネクタイから呆気なく手を離すと、レイラは踵を返し、ヨリコに対峙した。
正面から、叩き潰すつもりなのだ。
彼女の想いも、願いも、祈りも、心でさえも。悉く取り上げて、粉砕して、蹂躙して、欠片さえ残さず台無しにしてやろうと、レイラは笑む。
それが、昼行灯を突き落す最後の一手になることを、確信しながら。
「ねぇ、ヨリコさん。貴方は一体、彼の何を見て、実の姉を手にかけるような人じゃない……って言えるのかしら?」
戦慄を覚える程の艶やかな微笑で、レイラはいやに優しく問い掛ける。
まるで、間違いを受け入れられない子供を諭すように。愚かなのは貴方なのだと、思い知らせるように。
「流石に知らない訳ないわよね?この男が、何の為に此処にいて、何をして生きてきているのか」
「……それは、分かっています」
昼行灯は裏社会の人間で、汚れ仕事を請け負い、その手を血で穢している。
そんなことは、分かっている。
分かっていて尚、自分は、昼行灯が実の姉を手にかけたりしないと、信じているのだと、ヨリコはぐっと拳に力を込めた。
未だ収まらない怒りを抑え込むように。ヨリコは両の手を握り締めながら、レイラの問いに答える。
「けれど、昼さんは好き好んでそうしてる訳じゃありません……。そうしないとならない理由があったから、昼さんは……」
「あぁ、そう……。そういうことなの、ね」
だが、レイラが最後まで耳を貸すことはなく。
ヨリコの主張を鼻で笑殺すると、レイラは小さく震える彼女に、一歩詰め寄った。
「つまり貴方は、彼は仕事や正当防衛で、仕方がなく人殺しをやってきただけだから、私怨の為に誰かを殺そうとしたりしない……と、言いたい訳ね」
最初から、見え透いていたかのような、呆れた物言いだった。
それにヨリコが気付いていたのなら、彼女は律儀に、レイラの問いに答えたりしなかっただろうに。
最早、何もかもが遅いというところまで来ていることさえ見えないままに、ヨリコは罠にかけられた。
レイラが張り巡らせた、昼行灯の心を今再び殺す為の罠に。
「でも残念。貴方が思っている程、この男は出来た人間……もとい、モノツキじゃないのよ」
哀れみを込めた声でそう呟いて、レイラはシャツとスーツを一緒くたにして引っ張り、大きく開いた胸元を見せた。
黒いスーツによく栄える、白く滑らかな女の肌――。そこには、見るも無残な傷痕が刻まれていた。
「…………それ、は」
何を意味するものなのか。
見開いた眼で、それを凝視しながら、ヨリコは尋ねた。
半ば、答えが分かっていても尚。これが杞憂であるようにと、僅かな可能性に縋って、ヨリコは問わずにはいられなかった。
そんな彼女の想いを蹴散らすようにして、レイラは真実を、酷く冷たい笑みで告げる。
「かつて、彼が私を殺そうとした痕よ」
昼行灯はそれを、ただ黙って聞きながら、回顧した。
彼女の肌に奔る傷と同じく、決して消えることのない、己が犯した罪を。