モノツキ | ナノ


「久し振りに会ったことだし、時間があるなら少し話さないか」


そう言って、行き付けだと言う喫茶店に案内してくれたヒナミ曰く、彼女は市場リサーチの為、自ら街を歩いて、各地を視察していた所だったという。

一応、自身が帝都一の大企業の社長ということを考え、目立たないようサングラスをかけて変装してきたとのことだが、ヨリコには、正直まるで意味がないように思えた。

彼女は、己が著名人であることは自覚しているようだが、サングラスをかけただけで誤魔化せるような容姿やオーラをしていないというのは、自覚していないのだろう。
しかし、初対面の時は彼女が、かのアマガハラ・ヒナミであることに気付けずにいたのだし、案外効果はあるのでは――と思ったヨリコだが。
それでも彼女が目立つことには変わりないし、人が多い駅前通りでは、彼女の正体に気付いた者も相当数いたことだろう。

ヒナミは、気付かれずに済んでいると思っているようだが、恐らく、気付きはしたが恐れ多くて声をかけたりしていないだけ。或いは、アマガハラ・ヒナミがこんなところにいる訳ないと、気のせいで処理して済ませた、ということだろう。

にしても、視線なり何なり、気にならないものか。

大物過ぎるが故に、そういう方面には疎いのかもしれないなと思いながら、ヨリコはまたサングラスをかけ直したヒナミの顔を見遣った。


「そうか。茶々子くんの誕生日祝いのプレゼント探し、か」

「は、はい」

「それは素晴らしいことだな。茶々子くんも、さぞ喜ぶことだろう」

「そ……そう、ですね」


サングラスが必要なのは此方の方だと、ヨリコは赤くなった顔を冷ますようにミルクティーに口を付けた。
ただ小さく微笑むだけで、ヒナミは眩し過ぎるのだ。

美し過ぎる容貌のせいもあるだろうが、何よりその美貌を際立たせる為人だ。
魅力的な内面は、外見の美しさを更に磨き上げる。
凛然としていながら快濶で、男勝りでありながら女性らしさも欠かず、気品とユーモアを兼ね備えている。

誰もが惹き付けられてしまう、そんな彼女の稟性が現れた笑顔と来たら、まさに太陽と喩えるのに相応しい。
眼を焼かれそうだと思っても見入ってしまう。眩しくて仕方がないのに、顔を逸らすことが出来ない。

ヨリコは、カップを両手に握りながら、いつ見ても本当に綺麗で、素敵な人だなぁと息を呑んだ。
が、間もなく彼女の前に運ばれてきた皿に鎮座する物を見て、うっとりとヒナミに見惚れていたヨリコの眼は、大いに見開かれることになった。


「お待たせ致しました。三段パンケーキ・季節のフルーツ添えでございます」


ウエイトレスが運んできたのは、名の通り、三段構造の大きなパンケーキであった。

ふっくらと焼きあげられた、甘い香りを漂わせるパンケーキ三枚。
その間には、これでもかとホイップクリームとフルーツが挟まれていて。パンケーキの上にも周りにも、これでもかとフルーツとソースがあしらわれている。

かなりボリューミー且つ、豪勢な一品。それに、躊躇なく、妙に手慣れた様子でナイフを入れていくヒナミを、ヨリコは呆気に取られながら凝視していた。


あのアマガハラ・ヒナミが、パンケーキを。しかも、クリームとフルーツたっぷり三枚重ねのものを食べている。とても信じ難い光景だ。

別に、彼女がパンケーキを何枚食べていようが構わないし、悪いことでもない。
しかし、アマガハラ・ヒナミという人物のイメージからして、このようなパンケーキを注文するというのは、あまりに意外だったのだ。

もし街角インタビューで「アマガハラ・ヒナミ社長が、三段パンケーキを食べると思いますか?」聞いてみたとしても、解答者の九割は「NO」と答えるだろう。
それ位、予期せぬ組み合わせに直面したものだから、ヨリコが呆然としてしまうのは無理もないことだし、ヒナミ自身も此方は自覚しているようだった。


「フフ。いい歳をして、パンケーキなんて食べて、おかしいだろう」

「い、いえ!そんなこと!」

「ハハハ!そんなに必死にならなくてもいい。なんてない、冗談だよ」


またもヨリコをからかってみせると、ヒナミは切ったパンケーキを頬張って、「うん、美味い」と賛辞を呟いた。

アマテラスカンパニーの社長である彼女が、こんな風に甘味を好むなど、想像も出来なかった。
故にヨリコは、彼女の前にパンケーキが現れたことに大層驚いてしまったのだが。
こうしてヒナミが、心底美味そうにパンケーキを食べ進めているのを見ると、狐に抓まれたような気も次第に薄れていく。

此方が勝手にイメージを抱いていただけで、ヒナミとて、普通に甘い物を好みもするし、三段パンケーキだって注文もするのだ。

そう思うと、なんだかあれだけ眩しくて仕方が無かった筈のヒナミが、急に近く感じられて。
ヨリコは、このままもう少し、彼女に近付けはしないかと、思い切ってあれこれ尋ねてみることにした。


「……ヒナミさん、甘い物がお好きなんですか?」

「あぁ。弟と同じだ」


ヒナミは、パンケーキを頬張りながら、此方の質問に心安く答えてくれた。


「私は洋菓子、弟は和菓子が好きなんだがね。どちらも甘党な点は同じだ。顔立ちはよく似ていると言われてきたが……舌も似ているのかもしれないな」

「成る程……」


いつぞや、ほんの一瞬だけ見えた昼行灯の素顔と、ヒナミの顔は実によく似ている。

非常に整った目鼻立ち、長い睫毛、特徴的な黒子。両親の良いところを良い形で受け継いだのだろうその容貌に加え、味の好みまで似通っているとは。流石は姉弟と言うべきか。

では、好き嫌いも一致しているのだろうかと、ヨリコは更に質問を繰り出した。


「じゃあ、ヒナミさんもお漬物嫌いなんですか?」

「漬物?」


言われて、暫し沈思したヒナミは、何かまずいことを言ったかとハラハラしだしたヨリコに、少しあくどい笑みを見せた。


「そうか……。あいつめ、あの歳になってまだ好き嫌いが克服出来ずにいるのか……」

「!!」


聞き捨てならぬことを聞いた、と口角を上げるヒナミに、ヨリコは狼狽した。

自分が迂闊なことを言ってしまったが為に、昼行灯にとって不利益な情報を、ヒナミに与えてしまった。
それを彼女がどう使うのか定かではないが、どうか責めたりしないでやってくれと、ヨリコは慌てて弁明した。


「で、でも!セロリの浅漬けは食べられるって言ってましたよ!昼さんも、好き嫌いにちゃんと立ち向かってるんです!」

「フフフ。そうかそうか」


あんまり必死になって言われたので、可笑しいというより、微笑ましくなってしまった。

ただの冗談に逐一過敏に反応して、他人事なのに一生懸命フォローを入れて。彼女は、本当に真面目な子なのだなと、ヒナミは眼を細めつつ、コーヒーを飲んだ。
遅れて、またからかわれていたことに気付いたらしいヨリコは、少し不貞腐れたような面持ちで、それを見遣る。

カップに向けられた伏し目に、光る長い睫毛、弧を描く口元。
コーヒーを一口飲むだけで魅了してくる彼女の麗しさに、ヨリコが膨れ面をするのも忘れて見惚れていると、やがてヒナミはカップを置いて、感慨深いというような声で呟いた。


「君は、弟と色んなことを話しているみたいだな。一年も近くにいれば当然とも思えるが……あいつが自分のことを話していること事態、途轍もないことに思えるよ」

「……そう、です、か?」

「弟は昔から、自分のことを話す性格ではなかったからな」


言いながら回顧して、ヒナミは眉を少しばかし下げた。

それと同時に、彼女の顔はまるで、太陽が雲に覆い隠されたように暗くなったように見えて、ヨリコはこくりと息を呑んだ。


「自分の本音を話せる環境にいなかった為かもしれないが……弟は、幼い頃から自分のことを話さなかった。
好きなものも苦手なものも、何がしたくて何処に行きたいのかも……全部、誰かが読み取ってくれるのを待っているように思えた」


アマテラス次期社長として、アマガハラ家の御曹司として、テルヒサは抑圧された生活を余儀なくされていた。

幼い頃から習い事や勉学に勤しみ、礼儀作法を叩き込まれ、帝都一の大企業のトップに立つに相応しい人間になるようにと教育されてきた。
そんな日々に文句の一つも言わず、幼少の頃より賢かった彼は、己の立場を弁えて、周囲の期待に応える為にと、自身の心を押し殺し続けてきた。

その結果。彼は人への甘え方を知らぬままに成長し、いつしか、自らの心の内を明かすことが出来ない人間になっていた。

言いたいことも言えない。伝えたいことを言葉に出来ない。感情を形にせず、潰してばかりいる。
なんと哀れな、と思った時には、彼のその性分は、ヒナミの手に負えないものになってしまっていた。


「私はそれを分かっていて、敢えて、誰かに弟の気持ちを伝える……ということはしなかった。そうすることは、弟の為にはならないだろうと思っていたからだ。
そのせいだろうか。弟は、昔から私のことを、あまり好いてはくれなかった。……いや、寧ろ嫌っていただろうな」


なんとかしなければと努めてはみたが、ヒナミのしてきたことは、逆効果であった。

寄る辺が無かったが為に、感情の吐露が出来なくなってしまった彼に、伝えたいことがあるならば自ら口にせよという荒療治は通じず。
血を分けた姉にさえ、自分の心が見えていないのだと、そう思い込んだテルヒサは更に塞ぎ込み、深い孤独に陥ってしまったのだ。

そうして、ヒナミとテルヒサの間には確執が生まれ、いつしか互いに距離を置くようになり――間もなく、テルヒサは手遅れの域に達してしまったのである。


「私が、弟に対抗心を抱いていたのもあっただろう。念願の跡継ぎだからと、丁重に扱われる弟に……私は、少なからずコンプレックスを持っていたからな。
表に出さないようには努めていたが……それでも、悟られていたらしいな。お蔭で、弟との間には随分溝が出来てしまったよ」


今でも目蓋を下ろせば、鮮明に思い出せる。

此方を恨めしそうに見てきた、鬱屈した眼差し。その内、視線を向けてくることさえ無くなった、自分と同じ色をしている筈の瞳。

嗚呼、弟は自分を咎められているのだと痛感してから、話すことも徐々に無くなっていって――それが、更なる悲劇を生み出してしまった。


ヒナミは、見るに堪えない自嘲を浮かべ、その日を思い返した。

もうこれ以上、眼を逸らしてはならない。
救いを求めている弟に報いる為、己の罪を見詰め直さなければ、同じことが繰り返されるのだ。

この胸がどれだけ痛むことになろうとも、向き合わねばまた傷が増えるだけだと、ヒナミは痛切な作り笑いを浮かべ、静かに懺悔した。


「その上私は、弟が得る筈だったものを全て奪ってしまった。挙句、それを顔に出して、喜んでしまった。……これで、恨まれない方がどうかしていると思うよ」


prev next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -