モノツキ | ナノ


最初は、あーいい体してる人だなぁ程度にしか思っていなかった。


(あれ、サカナちゃんお昼は?)

(いやー、うっかり買ってくるの忘れちゃいまして)

(カップ麺ならあるっつってんだが、こいつインスタント食えないんだと)

(そうなの?)

(えぇ。僕、インスタントとか冷凍食品が苦手で……)


話してて普通にいい人だし、こんな人が先輩で、ラッキーだなーとも思った。ちょっと一線とか越えられたら、いいなーとか考えてた。

それくらいの感情しかなかったし、それくらい割り切っておいた方がいいだろうと思ってた。

僕みたいな人間は、いつ見限られたっておかしくないんだから。適当な気持ちで、適当な関係で、適当な距離感を保っているのが一番だって。
健全と言える範囲内の邪な気持ちを持って、彼女のことを見ていた。それなのに――。


(じゃあ、私のお弁当あげる。私、カップ麺食べるからいいよ)

(え、あの、でも)

(あっ、安心して。私のお弁当、ぜーんぶ私手作りだから。これでも私、料理には自信あるのよ)

(そ、そうじゃなくて……。大丈夫ですよ、一食くらい食べなくても。申し訳な…………)

(ふふふ。お腹の虫は正直ね)


強烈に、惹かれてしまった。

当たり前のように与えられる優しさに、温かさに、僕の下劣な決意なんて意味を成さなくて。
顔も見えない彼女の微笑みに、僕は絆されていた。脅かされていた。


(申し訳ないなんて思わなくていいのよ。私がいいって言ってるんだし。後輩くんは、先輩の好意に甘えておくべきよ)


僕みたいな奴が、人を好きになるなんてこと、あっちゃいけないのに。

触れてほしいとか、愛されたいとか、本当の僕を見てほしいとか。そんなこと、望んではいけないのに。


(どう?おいしい?)

(…………はい)


この人には、見捨てられたくないと思ってしまった。

そんな心の綻びから、どんどんどんどん、浸水していって。


(んん。確かにうめぇが、量足りねぇんじゃねぇかぁ?)

(ちょっとぉ!そう言うなら食べないでよね、シグくん!)

(そうだサカナ、俺の弁当も少しやろう。うちの嫁の作ったものだ、美味いぞ)

(まーたお前は隙あらば嫁自慢か)

(いいですねぇ、手作りのお弁当……)

(飯の時まで陰鬱な空気出すなよなぁ、昼行灯よぉぉ)


気付いたら、僕は溺れていた。

あそこにいる誰も彼もが大事になってしまって、それを全部抱えていたくなってしまって。
僕は、寧ろ怖かった。

明かりが射すことで、本当の僕が見えてしまうことが。それによって、また見捨てられてしまうかもしれないことが怖くて仕方なくて。僕は、光を浴びることを避けて、必死に隠れてきた。より深くへ、誰の眼にも届かない暗い水の底へ潜るように、自分の心を忍ばせてきた。


だから、最後の最後まで、誰も僕の本当の顔なんて、分からないままでいられただろう。

それでよかった。それで――よかったんだ。


「よう、ミナト」


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