モノツキ | ナノ
詐欺でお金を稼ぐようになってから、二年。
十七歳になった僕の身に降り掛かった最初の罰は、予期せぬ母親との再会だった。
「ミライ、今日のご飯どうしようか」
「えっとねぇ……おかあさんがつくってくれるなら、なんでもいいよ!」
最後に顔を見てから十年以上経っていた。
それでも。ずっと網膜の裏にこびり付いて離れなかった、かつての面影が残る顔を。見間違うことなんてなくて。
僕は、車道一つ挟んだ向こう側で、小さな子供と仲睦まじく手を繋いで微笑む母の姿を凝視して、呆然と佇んでいた。
「そう?じゃあ、今日はミライの好きなハンバーグにしようか!」
「やったぁ!」
僕は、あんな風に笑顔を向けられることも、好きな物を聞かれることも、手料理を振る舞われることも無かった。
手を伸ばしたって触れられなくて、声を出してみたところで届かなくて。
どれだけ望んでも、どれだけ求めても、どれだけ願っても、どれだけ祈っても、ぜんぶぜんぶ駄目で。
それなのに、どうして、なんで、どうして。
「じゃあ、お買いものしてお家に帰ろうね。ミライ」
自分で自分を騙し込んで、無かったものにしようとしてきたことが、一気にフラッシュバックした。
それはまるで、僕が押し殺してきた感情が、僕自身を責め立てるように、止め処なく。
ついに刮目せざるを得なくなった現実に打ちのめされた僕は、放心状態のまま街を彷徨って――気付いた時には当時の事務所に戻って来ていた。
(信じられないな……子供一人で、一ヶ月も)
(以前から、疑いはあったのですが……何度か保健所の指導も入っていたようなので、大丈夫だろうと……。それがまさか、こんなことになるだなんて)
(家を空けてるのが殆どでしたね。一週間帰らないこととかもあって……その間、あの子はずっと一人で)
(殴られたりとか、そういうのは無かったと思います……。ただ……ウオザキさんは、本当に何があっても子供に構わなかったみたいで……)
その日は休みで。ヤニ臭い、穢れきった空気が立ち込める狭いオフィスには、誰もいなくて。
それが良いことなのか、悪いことなのかも分からないまま、一人、ふらふらと覚束ない足取りで歩いていた時だった。
オフィスで飼われていた、大きな熱帯魚と目が合ったのは。
「こんな真似をして、ぬし自身が檻を脱することが出来る訳もあるまいに」
衝動的に、彼は水槽を引っ掴み、床に叩き落とした。
見えないものに取り囲まれ、阻まれて。ただ生かされているだけで、見捨てられることがあればそのまま息絶えるしかない。
そんな、まるでかつての自分を彷彿とさせる魚の姿が、無性に腹立たしくて。ミナトは言葉にならない言葉を叫びながら、水槽を破壊した。
床に叩きつけられた衝撃で、硝子は砕け、水は飛び散り、瞬く間に辺りは惨状と化した。
その中で、水を失った熱帯魚が跳ねるのも気に留めず。ミナトは水槽が置かれていたシェルフを執拗に蹴りつけた。
つくも神が彼に声を掛けたのは、シェルフの戸が陥没し、形が歪み出した頃だった。
「全く、派手にやらかしたものよ。巻き込まれたこやつは、堪ったものではあるまい」
「…………」
言われて、視線を向ければ、熱帯魚は力を失い、床に倒れ込んでいた。
その姿さえも、かつての、あの狭いアパートの一室で衰弱していた自分を彷彿とさせてきて。ミナトは熱帯魚を、辺りに散らばる硝子諸共、踏み潰した。
殺してやりたかった。
あの時、母親を妄信し、布団の中で蹲り続けていた幼い自分を。
母親は自分のことなど微塵も愛してなどいなくて、新しい搾取相手を見付けたから用済みになった自分を捨てて、逃げて行ったのだと。
あんなものを見る前に、こんな想いをする前に、殺してやりたかった。
だって、その方が、ずっとずっとマシだろうと。堪え切れず涙を零した彼の眼は、間もなく、つくも神の手で覆われて。
その暗がりに身を投げるようにして、ミナトはあっさりと床に膝を付いた。
「のたうつくらい、してみせい。死にかけのサカナよ」
眼を見開くと同時に、剥がされた手の向こうで、嗤うつくも神の姿が見えた。
抗うこともしないままに、全てを奪われた少年が、とびきりの皮肉を込められたその名に呆然とする中。
つくも神は、これ以上となく口角を上げて、もう一度。罪を刻み込むように、彼の忌み名を囁いた。
「囚らわれたままの哀れで、愚かなわっぱよ。ぬしの名はこれより――サカナだ」