モノツキ | ナノ
――ストーカーが始まったのは三ヶ月前。
私は店に入ってすぐ売れて、いつもボーイの車の送迎がついてたから今まで被害にあったことは殆どなかったわ。
あっても、すぐオーナーお抱えの暴力団まがいの人たちが見つけて痛めつけくれてたし。
でも、今回は違った。私がいつものように車を降りて家についた時から、もう違ってた。
家の扉が真っ赤なペンキで塗りつぶされて、部屋の中も全部荒らされてた。
盗まれたものはなかったけど、とにかく気持ち悪い雰囲気が漂ってて、その日は近くのホテルに泊まったわ。
ボーイが連絡して、すぐにオーナーが手配してくれた人たちがストーカーを探した。
いつも三日くらいで見つかるから、私はそれまでホテルで過ごそうと思ってた。
でも、犯人は見つからなかった。
オーナーは新しい部屋を用意したからそこに住めって、近くのいいマンションをくれたけど、そこでもすぐに異変は起こった。
マンションはオートロックで人も多いからって安心してた。けど、そんな私を嘲笑うようにストーカーは来たのよ。
前みたいな派手な被害はなかったけど、明らかに人が入ったって分かる痕跡がいつも帰ってくるとあった。
あぁ、あいつが来たんだって分かった日から、私はまたホテル暮らしに戻った。
気味が悪くて警察に頼んでパトロールを強化してもらって、ボーイたちにも私の部屋を見回りしてもらった。それなのに、被害は止まらなかった。
毎日帰ると必ず、ベッドには誰かが入っていた温度があって、お風呂も使っていないのに常に濡れていた。
思い切って部屋にカメラもつけてもらったわ。でも、何も映らなかった。
結局警察には最初の事件以外ただの思い込みとされ、相手にされなくなった。
オーナーやボーイにも迷惑かけられないから、私は勘違いだって思い込むようにして、ある日初めて違和感を感じる自室で夜を明かすことにした。
「でもね、私その夜気付いたのよ。電気を消して、ベッドに入って三時間くらいした頃…何か物音が、私の部屋からすることに。暗がりの中で、誰かが確実に動いていることに」
ヒメカは話している間も、ずっと虚ろな目をしていた。
だが、話の核心に触れた途端。彼女の瞳は一気に荒々しい殺意に揺らいだ。
「こういう時、起きて騒ぎ立てたら殺されるかもしれないって私分かってたわ。だから、暗闇の中、寝たふりをしながらうっすらと眼を開けた。
最初は暗くて何も見えなかった。でもね、暗闇に目が慣れてきたころ見えたのよ…私のすぐ目の前で、息を荒げてにやける男の姿が!!」
ヒメカはバァン!!とテーブルを叩いた。
恐ろしさよりも怒りが遥かに勝っているのか。ともあれ、話の核心はまだこれからのようだった。
ヒメカはすっかり荒れた髪を柳のようにしな垂らせ、まるで井戸の底から出てきた亡霊のような顔をしながら続けた。
「私ね、その顔知ってたの。お得意だったからだけどね、でも貴方たちも、オーナーもボーイも警察も聞いたら分かるわ。
ねぇ、誰だと思う?三ヶ月もネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチ人のこと苦しめてきた糞変態野郎!!」
ヒメカの顔は、もはや鬼の形相だった。最初はしゃいでいたサカナも、今や完全に仕切りの向こうに下がってしまっている。
それまで無表情で淡々そ喋っていたヒメカは、ゲラゲラとひとしきり笑ったあと、すぐにその顔をあの虚ろな表情に戻した。
ただ、その眼には溢れんばかりの憎悪を携えて。
「帝都警察の署長の息子だったのよ、私のストーカー」
しぃん、とオフィスに静寂が差した。その悍ましい程の静けさの中、ヒメカは、またくっくと笑いながら、話を続けた。
「私、その瞬間みーんな気付いたの。気付いちゃったのよ。
なんで犯人のしっぽすらつかめなかったのか、どうして誰か入った痕跡はあるのに警察の仕掛けたカメラには何も映らないのか、オートロックのマンションに立ち入れちゃうのか、オーナーがわざわざマンションまでご丁寧に手配してくれたのかは、堂々と扉から帰っていくあいつを見て分かったわ。
入る時も同じように扉から入ってきたんでしょうねー、あの素人童貞がぁあああああああああああああああ!!」
昼行灯は納得した。
確かに、これまでのストーカー退治依頼はどれも相手が一般人であった。支配人自ら依頼に来るのも、店にとって害になる者を払う為で、金に見切りのつく一般人のストーカーならいくら掃除しようが構わない。
だが、今回の相手は帝都警察の署長息子。バックに控える権力も、店に回る金も、風俗嬢一人売っても仕方ないほどにでかい。
そして、店にも警察にも裏切られたヒメカが頼れるのは、ここ位しか残っていないことも、昼行灯は理解した。
「だからお願い。あいつをもう二度と女も見れないくらいに痛めつけて。
別に今更、体売ることに抵抗も糞もないから、これで足りないならいくらでも働いて上乗せするわ」
ヒメカは、ここで依頼を受理されなければ男を殺す、そんな目をしていた。
彼女を突き動かすのは、最早権力を盾にした悪質なストーカーへの憎悪しかないのだ。道徳も何も、彼女の心には響かない。
「…一つ、確認しますが。殺してしまわなくてよろしいのですか?生きて帰したら、貴方に次何が起こるかも保障出来ません。加えて、またその方に被害に合われても、私共はまた謝礼金をご用意いただけないことには動けません。それでも、痛めつけるだけでよろしいのですか?」
「えぇ、いいわ」
ヒメカの返事は恐ろしいほどに早かった。
「だって、私が長い間苦しんだのに、あいつが死ぬのは一瞬でしょ?不釣り合いじゃない。徹底的に痛めつけて一生地を這うように生きてもらえれば、私は満足だわ。
あぁ、でも。また被害が出ないように痛めつけられる自信が貴方たちになかったなら…縛り上げて私の前に連れてきてくれていいわ。
そこで私が、あいつを殺すから」
ヒメカの眼は本気で、そこに一切冗談はなかった。
これはもう梃子でも動かせまいと、昼行灯は小さく溜息を吐き、百万が入った封筒を手に取った。
「こちらは、前金としていただきます。残りは、今後の貴方の生活に件の方が介入してくるか否かで決めさせていただきます」
「……じゃあ」
「お引き受けいたします。我が社の名に懸けて」