モノツキ | ナノ


「…どうぞ、お掛けになってください」


オフィスに連れられてきた女は、シグナルから事情を説明された昼行灯に応接間に案内された。

そして仕切りの向こうでは、騒ぎを聞きつけて上から降りて来たサカナが、妙にテンションを上げて修治に絡んでいた。


「見ました修治さん?!あの子、倶楽部ウタキリのナンバーワン嬢ですよ!シグナルさんに”面白いのが来た”って聞いてきたらまさか本物が見れるなんて!
写真で見るより可愛かったなぁ〜。僕もモノツキじゃなかったらお世話になりたかったなぁ〜」

「おい、聞こえたら失礼だろ。っつか、なんでモノツキ立ち入り禁止の店の嬢を知ってんだよお前」

「だって僕、副業でここらの風俗店のホームページ制作やってますもん。
より客を入れるために色んな資料もらってるからあの子がどれ程の腕前かも知ってますし。まぁ実体験じゃないのが非常に残念なんですけど」

「…あ、そう」


サカナが来た時点で嫌な予感しかしていなかった昼行灯が、うぅんとわざとらしく咳込んだが、女は茶々子に出された紅茶のカップを見つめたまま、何も言わなかった。おそらく、興味がないのだろう。

しかし。昼行灯はこの女のことも気掛かりではあったが、何よりヨリコが気になって仕方なかった。


純粋無垢で汚れを知らないヨリコが耳にするには、サカナの話には穏やかじゃないワードが多すぎる。

意味が分かっていない様子なのが幸いだが、意味を聞かれたらと考えるだけで落ち着かない。


だが、あくまで彼はプロの仕事人であり、有限会社ツキカゲの社長だ。昼行灯は雑念を振り払い、話を本題に持ち込んだ。


「えっと、まず…そうですね、お名前からお伺いしてよろしいでしょうか」

「…それは本名?源氏名?」

「……差支えなければ、両方お願い致します」

「じゃあ源氏名だけ。私はさっきの信号頭の人が言ってた通り、そこの風俗で働いてるヒメカ」


女、ヒメカは風俗嬢と言われればそう見える、巻いたハニーブラウンの髪を耳に掛けながらそう答えた。

派手めな化粧をしてるが、ナンバーワンを得るだけあってかなりの美人である。歳は二十代前半だろうか。短いスカートから伸びたすらりとした脚や、大きく開いた襟から覗く豊かな胸は男を骨抜きにするに十分な創りだ。

表情から少しきつめな雰囲気があるが、仕事中の彼女はまた違った顔を見せているのだろう。
仕事上、このような職柄の人間は数多く見てきた昼行灯にはそれが分かる。


「…では、ヒメカさん。本日のご用件はなんでしょうか?」


それまで昼行灯が参っていたような空気が、そこで一変した。


「勿論ご理解の上でこちらにお越しいただいたのでしょうが…我々が請け負うのは、この世界でおよそ敬遠される面倒事や汚い仕事。
それなりのリスクを貴方も背負うこと、並び仕事に見合った謝礼金をご用意いただくことを承知した上で、私共に依頼したいことでしょうか?
貴方は人間。望めば警察や、表の探偵業を営む者にも依頼は可能です。彼らに出来ず、私共に出来る内容であることでなければ、お引き取りしていただくことをお勧めいたします」


これまでヨリコが知る中で、ツキカゲに依頼を寄越してきたのは個人ではなく企業だった。

企業であればそのリスクも謝礼金もまだ各個人に分散することが出来るだろう。
だが、個人での依頼では、その負担が大きすぎる。ましてや、ヒメカは風俗に身を置いている。

彼女が本当にそこまでして依頼したいこととは何か。それを昼行灯は確かめておきたかった。
不用意に仕事を請け負えば、危険や面倒に曝されるのは此方だからだ。


ヒメカは、紅茶を一口啜ると、胸元に手を入れた。仕切りの向こうからサカナが「おぉっ?!」と声を出したのを、昼行灯は視線で制止した。

ヒメカが出したのは、封筒だった。それも、かなり厚みのある。


「…そこに、百万入ってる。もっと必要なら口座から下ろしてもいいわ」


ぼん、と乱暴にテーブルに百万を投げ、ヒメカは虚ろな目をしながらぽつりと言った。


「私に付きまとうストーカーを、徹底的に追い詰めて」


キャバクラ嬢や風俗嬢という特殊なサービス業に就く女性にはストーカーの被害が多い。
人気であれば殊更で、ツキカゲは度々各店舗の支配人たちからそういった面倒な客を影ながら始末していた。

始末と言っても、片っ端から殺すような真似はしていない。
あらゆる証拠を押さえた上で犯人を確保し、その上で徹底的に痛めつけて二度と店にも嬢にも近づかないよう脅している。彼らからすれば、穏やかなお仕事である。

そんな訳で、こういった依頼には特に驚くこともないのだが。ヒメカのように個人での依頼でくることは前例がなく、また、彼女の眼が昼行灯に向けられているようで、まるで違う誰かを冷ややかに見ていたことに、昼行灯は眼を見開いた。

尤も、その眼も何処についているのか分からないが。


「…ヒメカさんのお勤め先は、ウタキリでしたよね?あそこの支配人様からは何度もこういった依頼をいただいています。その…お店のナンバーワンである貴方が相談すれば、彼から動いてくださると思うのですが…」

「それじゃ駄目なのよ」


昼行灯の提案を突っぱねるように、ヒメカの緑色の瞳がぎょろりと動いた。

美人が台無しに思える程、その眼がぎらりと光っているのを、昼行灯は感じ取り、黙りこくった。


「…まずは、話をさせてちょうだい」


そうして昼行灯が改めて話を聞く姿勢を作ると、寒々しい言葉を吐いた舌を温めるように、ヒメカはもう一度紅茶に口をつけた。


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