モノツキ | ナノ


「ダ、ダメだってば火縄ちゃん!大人しくしてないとぉ…っ!!」


前から抑え込むようにして、小さな体を抱き固めるが、それはまるで、抱かれるのを嫌う猫のようにもがき、すり抜けようとしてくる。

幾ら子供と言えど、相手が殺し屋を名乗る少女であると、ヨリコでは荷が重く。
酸素マスクを外し、点滴を引き抜いて飛び起きた火縄ガンは、病室の出入り口を目指して走り出そうとしていた。


「火、縄ちゃんっ!!!」


間一髪、伸ばした手が火縄ガンの細腕を掴んだ。
もう離すまい、とヨリコは必死に手に力を入れるが、火縄ガンの体はそれでも進もうとしてくる。

下手すれば此方を引き摺ってでも、此処から出て行こうとしている力の強さに、
ヨリコは必死に踏ん張りながら説得の声を上げた。

茶々子が昼行灯達に、火縄ガンの意識が戻ったことを連絡する為に外に出て、
藥丸やサヨナキも他の病室へ行ってしまった矢先。まさかこんなことになってしまうとは。
誰かを呼びに行く余裕もないヨリコは、とにかく彼女を逃がしてはなるまいと、とにかく火縄を宥めようと試みた。


「まだ安静にしてなきゃダメだよ!早く戻らないと…っ!」

「うるさい!!!」


駄々っ子のような声に目を丸くするのも束の間。
硝煙を立ち上らせながら、火縄ガンの銃口が此方を睨み、震える声を響かせてきた。

怒っているようで、泣いているような。そんな様子にヨリコの心臓が冷やされた。
いつも飄々とし、調子の外れたような甲高い笑い声が似合う火縄ガンが、激情のままに声を荒げていることが、信じられなかったのもある。
だがそれ以上に、彼女が露にした感情が、ヨリコの胸に鋭い針を刺していた。

その刺々しさが、そのまま火縄ガンの抱える痛みに思えてならなかった。
困惑するヨリコを前に、ぜいぜいと息をする火縄ガンは、更に叫ぶ。


「ワタシは、殺さなきゃならないネ…殺し屋が、殺さずに寝てたら…それ、殺し屋じゃないヨ…だから離すネ!!!」


びくっと体が竦んだ隙に、火縄ガンの腕を掴んでいた手が振り払われてしまった。
しまったと手を伸ばすが、今度は何も掴み取ってくれなかった。

空を握った手の感覚にヨリコが青ざめる中、バンとドアが開く音がし――そして、パァンと乾いた音が響いた。


「…何してるのよ、火縄」



ヨリコの横に、火縄ガンがどしゃりと倒れた。

彼女が飛んできた方向へと眼をやると、そこには手を赤くした茶々子が、肩を動かして息をしていた。


「茶々子さ、」

「貴方!!自分が今、どういう状態か分かってるの?!!」


病室の壁に天井に、張り裂けそうな茶々子の声が響いた。

その残響が消える前に、茶々子は尻餅をついたまま打たれた場所を押さえる火縄ガンの患者衣を掴み上げた。
普段の彼女からは想像も出来ない厳しい怒声に、ヨリコの方が言葉を失ってしまった。


「死にかけて、さっきようやく目が覚めたばっか…それなのに、外に行って殺しだなんて……馬鹿なこと言わないで!」

「馬鹿なことなんかじゃないネ!!」


だが、それでも火縄ガンを焦がす衝動は消えなかった。


「ワタシはこれ以上となく大真面目ネ!茶々子には…茶々子には分かってるはずヨ!!」


バララ、と小さな薬莢が、病室の床に転がり落ちた。

カランカランと音を立てて、転がっていくそれは、まるで涙のようだった。
それに気づいてしまった時、ヨリコの喉が横隔膜までひくついた。

しかし、茶々子は動じない。ぴくりとも動かず、寧ろ体を固めて、喚き散らす火縄ガンを見ている。
子供の駄々を聞き届ける母親のように、茶々子は動かない。


「ワタシは…ッ!殺さないと生きていけない!!
何があっても、何になっても…ワタシは、殺さなきゃワタシじゃなくなるネ!!
分かってて…何でワタシを止めるネ!茶々子!!!」


その手をも振りほどき、火縄ガンは血反吐を吐きそうな位に叫んだ。
声に出さなければどうにかなってしまう。そんな必死さがひしひしと、鼓膜から伝わってくる。


ヨリコには、理解出来なかった。何故こんなにも、火縄ガンが殺すことに執着しているのか。

まだ十歳前後の少女が、どうしてこうなってしまったのか。
それを知っているのは、この場では当人と、茶々子だけだ。

知っているからこそ、火縄ガンは声を上げ、茶々子は黙っている。


「何か…何か言うネ!!茶々子ォオオオオオ!!!」

「!! 茶々子さん!」


刹那、火縄ガンが吠えたと思えば、ぎらりと凶悪な光がヨリコの眼に映った。
いつの間にくすねていたのだろう。

藥丸の注射器を持った火縄ガンは、ついにそれを向けることも辞さないという勢いで、茶々子へと踏み出した。
だが次の瞬間。その体はぐらりと床へと倒れ込み、火縄ガンは沈黙した。


「ふぅ、やれやれ。油断も隙もない子デスね」

「チッ、手間かけさせやがって…」

「ご苦労様デス、サヨナキ」


いつの間に其処にいたのだろうか。火縄ガンの後ろには、手に二本注射器を持ったサヨナキが立っていた。

一本は火縄ガンがくすねた物。もう一本は、今し方、彼女に打ち込んだものである。


「本当はボクが打ちたかったとこデスが、患者さんとお客様の安全が第一デスからね」

「仕事にてめぇの性癖持ち込むんじゃねぇよ、スットコドッコイ」


ドアの方からのそのそやってきた藥丸に罵声を浴びせると、サヨナキは注射器を彼に投げ渡し。
空いた手を使って火縄ガンを引っ張り起こしてベッドへと連行していった。

その間、火縄ガンはだらりと項垂れて、身じろぎ一つ起こさない。
そんな様子を見て、茶々子は踵を返し、慌てて藥丸へと顔を向けた。


「藥丸先生、火縄ガンは……」

「安心してくだサイ。今サヨナキに打ってもらったのは、ただの睡眠剤デス。
即効性があって強力なので驚かれたでしょうが、しばらくはこれで大人しく寝てくれマスよ」


藥丸はぽんぽん、と茶々子の肩を叩いて、きらりと注射針を光らせた。

まるで歯を見せて笑っているような様に、ヨリコ達の肩からふっと力が抜けた。
いきなり倒れてしまったものだから何事かと不安だったが、眠っているだけなら一安心だと、二人は胸を撫で下ろす。


「それより!これから鎮静剤の方をいただきマスね。他にもご要望があれば、脱出防止に筋弛緩剤なんかも…」

「いいから最低限のモンだけ打ってこい!」


そんな彼女達の前で、藥丸は何処から出したのか、両手に大量の注射器を持って、まるで空気の読めない興奮したような声を出した。
が、即座にサヨナキに蹴り飛ばされたので、藥丸はシリンダー内に溜まった液体をぶくぶくさせながら、渋々注射一本だけを打つ作業に入った。

一応職務上、藥丸はサヨナキの上司にあたるのだが、これでいいのだろうか。
拗ねた子供のように何かぶつくさ呟いている藥丸の背中を睨むと、サヨナキは「チッ」と舌打ちをした。


「このガキに騒がれたら、おちおち他の患者も診てられねーんだからよ。さっさと打つモン打って大人しくさせとけ」

「…すみません」

「あぁ、いや。アンタが謝ることじゃねーさ」


小規模であるが、故に人手も足りていない此処ニコニコクリニックで、一人の患者に手間を取らせて申し訳ないと茶々子が頭を下げるが、サヨナキは気にするなとひらひら手を振った。

物言いも面構えも恐ろしい彼女だが、存外気の利く性格らしい。
茶々子の気苦労を分かっていると言った調子で、サヨナキはくっと親指で、寝かしつけられた火縄ガンを差した。


「アンタも大変だなぁ、茶々子。こんなガキのお守りの為に、昨日からろくすっぽ寝てねぇんだろ?
なんだったらこのガキ、ガチガチに拘束しといてやろうか?そしたら、アンタも昼行灯共と連絡取りやすいだろ」


ただ、やはり考え方の根っこは暴力的であった。

茶々子が了承すれば、何の躊躇いもなく火縄ガンを拘束する気に満ちているサヨナキを見て、ヨリコは恐る恐る茶々子へと視線を移ろわせた。

年端もいかない女の子を拘束するなど、やめてほしい。
そう言いたいところだが、彼女を止めることが出来なかった自分に発言する権利はないと狼狽え、ヨリコは眼で訴えかけることしか出来なかった。

だが、そうせずとも茶々子は、ヨリコの望む答えをサヨナキに返した。


「…いえ、大丈夫です」

「そうかい」


サヨナキはそれだけ言うと、こっそりもう一本注射を取り出している藥丸の首根っこを引っ掴んで、彼を引き摺りながら病室を後にした。

バタンとドアが閉まると、先程までの喧噪が嘘のように部屋が静まり返った。
間もなくシィンと、静寂の音だけが、病室に満ちていく。


「…ごめんなさい、茶々子さん」


その沈黙を最初に引き裂いたのは、ヨリコだった。


「私が、ちゃんと火縄ちゃんを止めてたら…」

「あ、謝らないで!ヨリちゃんは悪くないわよ!」


耐え切れないと頭を下げるヨリコに、茶々子は慌ててフォローを掛けた。

性格上、責任を必要以上に感じてしまう彼女のことだ。
仕方ないことだと分かっていても、重く受け止めずにはいられなかったのだろう。
茶々子はしゅんと俯いたヨリコの頭をよしよしと撫で、彼女が顔を上げる頃、カチャリと蓋を鳴らして下を向いた。

陶磁のティーポッドが、いつもよりも冷え切った印象を纏っていた。


「悪いのはあの子だし…私も、電話じゃなくてメールで連絡すればよかったのよ。そしたらすぐ戻れたのに…」


フォローをしておきながら、茶々子も思わず下向きになってしまった。

彼女にとってもこの事態は深刻なものだったのだろう。
何も知らないヨリコもまた不安だが、全て知っているからこそ、茶々子の心労もまた、大きかった。


「…今は、こういうのやめよっか」


茶々子は困った笑みを浮かべているような調子でそう言うと、すっかり大人しくなった火縄ガンが眠るベッドの脇に置かれた椅子へと腰かけた。

同時に、安いパイプ椅子がきぃ、と小さく軋る。


「本当に火縄には困っちゃったわ。起きて早々暴れ出すだなんて…死に急ぐようなものよ」


茶々子はそっと手を伸ばし、火縄ガンのマズルに優しく触れた。
目じりに溜まった涙を拭ってやるようなその動作に、ヨリコはしばし息を呑んだ。

異形の呪いを掛けられ、涙を見せることすら許されない罪人・モノツキ。
今目の前で寝込んでいる火縄ガンも、彼女に触れている茶々子も、何らかの罪を咎められ、この姿になっている。

自分以外の者には、何一つ理解されることのない異形の姿。
だが、そんな中で、茶々子は火縄ガンの涙を拭ってやっていた。

彼女の手には、金属の感覚と、鉄の匂いだけしか残っていないし、手で触れた場所が目元なのかすらも分からないが。
それでも、茶々子の手には迷いはなかった。それに、ヨリコは圧倒されていたのだった。


「…本当に、どうしようもない子なんだから」

「………茶々子さん、」


その傍らでは、繋ぎ直された点滴が、ぽつんぽつんと落ちていた。

火縄ガンの細い腕には太いのではと感じられるその管と、腕を覆うガーゼを見ながら、
茶々子は前髪を握り潰すかのように、手を額の辺りでぐしゃりと握った。

ヨリコは黙って、震える彼女の肩に触れることしか出来なかった。


彼女達が抱える痛みを、何一つ知りえない自分には、火縄ガンの涙を拭ってやることは出来ない。

残された人の体を支えようと手を添えることが、無知なヨリコの限界だった。


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