モノツキ | ナノ



花綻ぶ桜が木枯らしに竦み、空に灰色の雲が層をなしていた時のこと。

もう四ヶ月前と思えばそう思え、まだ四ヶ月前と思えば、やはりそうとも思える。
長いようで短く、短いようで長い。そんな冬の日のことだった。


「あれ?昼さん、出かけるんですか?」


その日、仕事を終えた面々がパソコンをシャットダウンし、デスク周りを軽く片付けて、
上の階の自室に戻らんと帰り支度をしている中。昼行灯はコートを着込んでいた。

わざわざ上着を羽織らずとも、階段を登れば暖が取れる彼が、コートを着る意味と言えば外出に他ならない。
だが、仕事が一段落し、夜も更けた頃合い。
その日の夕飯もとっくに終えているというのだから、買い物ということはないだろう。

取引があることなど誰も聞いてはいなかったし、元来出不精である昼行灯が、わざわざ出掛けることもそうそうない。

故に、サカナ達は只ならぬ何かがある、と直感的に悟り、彼を呼び止めた。


「えぇ、私用で少し出ます。…これから暫く、こうして出ることが多くなると思いますが……お構いなく」

「私用、って……」


昼行灯の返答に、彼らは益々困惑した。公用で腰を上げることも渋りがちな彼が、自らこの寒空の下出向く程の用件とは何か。
それを聞き出すことすら躊躇われる程、昼行灯の声色は凍て付いていた。

揺らめきながら燃えている頭の炎も、この時は悍ましいと感じる程に蒼く。
彼らは、此方に一瞥もくれぬままドアノブに手を掛けて行った昼行灯の背中を見ながら、立ち尽くすことが限界だった。



突然のことに戸惑う社員達だったが、昼行灯がオフィスを出て暫くすれば、彼らの頭は存外すんなりと平静を取り戻した。

得体が知れないものを前にすれば人は困惑するが、その正体が分かればたちどころに落ち着くもので。
サカナ達もまた、昼行灯の行動原理の糸口が見えるや、すぐに不安は払拭された。

昼行灯の言う私用に覚えがなければ、彼らは立ち竦んだままでいただろう。
だが、その時一つだけ。ただ一つだけ、彼らの頭に過るものがあった。


「やれやれ…うちの社長は本当に世話焼きなことで」


吹き荒ぶ冬の風にコートを靡かせ、ランプの炎が深海のように暗い道を照らしていく。
何の迷いもなく真っ直ぐに、革靴は乾いた音を鳴らし、青い炎が闇に溶けていく。

帝都の夜に生きる者であれば、眼に見ずとも耳にしたことはあるだろう。
影に融け込むようにして冷たい火を燃やす、裏社会の深淵、人外中の人外。


「ぎゃあああああああああああああああぁあああ!!」


無明の迎え火と呼ばれた男の存在を。


「な…なんだよ、お前!モノツキが……俺らに何の用だ、っひいいぃ!!」


ガァン!と鈍い音と共に、腰を抜かした少年の頭の横に、鋼鉄の杭が突き立てられた。

あと寸分違えば耳を抉る位置に刺さった鉄製の蝋が、冷え切った冬の空気と、低温の光を放つ。
頭の横だけでなく、肩や脚、腹や首に至るまで まるで標本を作るように少年の体の周りに杭は打たれていた。

直に刺されている訳でもないというのに、微塵も動けぬ状態で。
学生服を壁に縫い付けられた少年は、視線だけを動かして周囲を見た。

周りには、四肢を打ち付けられたように地面に転がっている、少年の仲間達が複数名。
そのほとんどは気を失い、残った者も声を出せずに怯え、震えている始末で。


「……私は、自他共に認める出不精でして。自社から出る時はおおよそ交渉と決まっていましてね」


表では肩で風を切り、向かう所敵無しであった。派手な外見に、常に群れ成す仲間達。
歩けば誰もが道を明け渡し、若者の間では多少なり知れ渡った悪名を持つ学生達。
社会の闇が集うウライチにまでツテを持ち、自分達に敵は無いと思っていた。

そんな彼らが持っていた自信も、体裁も、何もかもが一瞬で崩された。


「交渉、致しませんか?ミソラ・リョーさん」


脳髄を直で掴まれるようにして、彼らは理解させられた。自分達が所謂、井の中の蛙でしかなかったことを。

そして、本当の恐怖がどんなものか。それを齎す人間が、いかなる存在か――。


「言わずとも、内容はご察しいただけると思います。…掴んだネタで誰かを脅そうと思案している賢さを持つ貴方なら……ね」

「何…何言ってんだよお前……っ!」

「分かり切ったことをわざわざ口にさせないで下さい。前言撤回には早過ぎるでしょう」


脱色して痛んだ金髪を掴まれ、リョーの後頭部が壁に小さく叩き付けられた。

打った頭よりも、握られた髪の付け根から痛烈な痛みが走る。
ぎりぎり、首を絞め殺すように込められた力が、必死に冷え切った炎から眼を逸らそうとするリョーの顔を逃さんと固定する。

獲物を捕らえた獣の爪の如く、深く食い込む恐怖が、彼を離さずにいる。


「ヨリコさんに何かしようとすれば、その狡いだけの頭に穴開けるって言ってんだ、糞餓鬼」


研ぎ澄まされた刃物に似た殺気は、彼に全てを悟らせた。


この男の世界に入ってはいけない。

視界の端に映ることも、間接的に関わることも、正しく生きていたいのならあってはならないことなのだ、と。
狭い世界で大手を振って歩んできた彼は、この瞬間、初めて凶悪な外敵の存在に気が付いた。

井の底の殿様蛙は、荒波の中で牙を剥く鮫の前で、ようやく自分の矮小さを自覚したのだった。


「……楽しく生きていたいのなら、弱みを握る相手は選びなさい。
そして…情報は扱いに気を付け、然るべき相手に正しく使うことです」


煌々と燃える炎が大きく揺らめいた。

それはまるで捕食者の眼のように光り、怯えきった蛙は、ただただ頷くことしか出来なかった。


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