モノツキ | ナノ


昼行灯は珍しく、一切仕事に見向きせず自室で過ごしていた。

どこかやる瀬なく、これといって何かをする気にもなれず。昼行灯は普段見もしないテレビを付けて本をめくっていた。

だが、テレビも本も中身が頭に入ってこない。気が付くと考えているのは、ヨリコのことばかりだった。

自分に笑顔を向けるヨリコ 一生懸命仕事をこなすヨリコ 自分達を心配し切なげに眉を下げるヨリコ その他どれも魅力的に感じるヨリコ多数。
間違いなく社員達に叩かれてもおかしくないほどに、頭に浮かぶのはヨリコのことばかりで。それを自覚する度昼行灯はソファに頭を埋めて「あぁああ……」と自己嫌悪の声を垂れ流していた。言うまでもないが、重症である。

こんな姿まで知られたら、間違いなくヨリコは自分から離れていくだろう。ついでに精神科医師と警察も連れてこられると思う。


昼行灯はどうにか気を紛らわそう、と埃を被ったコンポにも手を伸ばした。

とにかく雑念を振り払う何かがほしい。そう思ってコンポのスイッチを押そうとした時。
昼行灯の脳裏に、思い出したくもない光景が鮮明に浮かび上がった。


「…………」


昼行灯は、コンポに背を向けた。テレビも消し、すっかり音がなくなった部屋でソファに座り込んだ。

そう、こんな風に 何も考えたくないという時に浮かぶのはいつも同じものだった。

あの日あの時、犯した過ち。その代償と、受けた呪い 自分を嘲り消えていく異形の存在――。

決して忘れられることのない地獄の幕開けは、今も昼行灯の頭に深く根付いていた。
このランプの頭の呪いを受けた日から、全てが始まり全てが終わった。その瞬間を、昼行灯は忘れられなかった。


やがて、コンコン。と、やっとヨリコから離れていた意識を、ノック音が呼び覚ました。

薄い鉄扉を叩く軽やかな音。その主に宛てはなかったが、恐らく茶々子かサカナ辺りだろう…と昼行灯は無視を決め込むことにした。


あの二人に絡まれると本当に面倒だ。今自分の神経が逆なでされれば何をするか分かったものではない。
ツキカゲの平穏の為に、昼行灯は寝たふりをすることにした。


コンコン コンコン。

今日はやたらとしつこい。昼行灯は今こそコンポを付ける時かと考えだした、その時。


「昼さん?!!昼さん!大丈夫ですか?!!」

「?!!!」


何かに弾かれたかのように昼行灯が玄関まで走っていくのに五秒と掛からなかった。

勢いよくドアのカギを開け、昼行灯は力任せにドアノブを捻った。そして。


「ふぎゃん!」

「………………」


ごちっと鈍い音がした。


「ヨ、ヨリコさぁああああああああああん?!!」


あまりに勢いよく開けたせいで、ドアはヨリコの額に当たったようだった。
間一髪ヨリコが身を引いたからまだしも、最悪ヨリコは顔面を強打していたかもしれない。

焦るとロクなことにならないと、青春もとっくに過ぎた程のこの人生で知ってきたというのに。





「……すみませんでした」


昼行灯は氷嚢を額に当てるヨリコの前で土下座した。ザ・土下座という感じの、まさに土下座の代名詞とも言えるほど完璧な土下座だった。


「い、いえ…私こそ勘違いして騒いじゃってゴメンなさい…」


ヨリコはソファから降り、昼行灯の頭を上げさせた。

あまりに返事がないので昼行灯が倒れているのでは、とドアを叩きだし、ガチャリという音がして身を引いた時にはこれだったので若干釈然とはしないが、それでも昼行灯を咎める気はヨリコにはない。

やっと土下座をやめた昼行灯は、とりあえずヨリコに飲み物を出すことにした。
ヨリコは遠慮したが、そこは一切譲らなかった。


「………………」

「………………」


そこから沈黙が続いた。

思えば二人きりになるとよく静かになるとか、気晴らしにならないかと部屋を掃除してみてよかったとか、というかヨリコが自分の部屋にいるとはどういうことか、成行きで部屋に入れてしまったがこれはまずいのではないだろうか、などと昼行灯は忙しい頭から煙を出しそうだ。

片やヨリコは、というと。いざ引き受けたはいいが、やはり本人を目の前にすると気まずさが否めないのか。
飲み物をちびちびと飲みながら、昼行灯が何か切り出してはくれないかと窺っていた。

どちらも互いに話しかけ辛い。だが、それでもこの沈黙は打破したい。


「「あの」」

「………………」

「………………」


同時に切り出したことでより気まずくなった二人は、耐え切れず顔を逸らした。

短い付き合いだが、それにしてもここまで気まずくなったことがあっただろうか。間違いなくないだろう。

昼行灯はヨリコを、ヨリコは昼行灯を互いに観察しながら機会を窺っていたが。やがて昼行灯が、思い切って切り出した。


「…ヨリコさん、その……今日は、どういったご用件でしょうか」


これを訪ねていいものかと迷った昼行灯だったが、何せ彼の心臓はもう限界に近かった。

ヨリコは茶々子から袋を受け取り、すぐに六階へと駆けて行ったが、途中汚れたつなぎのまま向かうのも失礼ではないか、とセーラー服にわざわざ着替えてきたのだが、それがまずかった。

部屋にセーラー服のヨリコ。それだけで昼行灯の色んなものが爆発しそうだった。

サカナでもあるまいしこんなことで…とは思えど、昼行灯とて男である。
ぶっちゃけ興奮せざるを得ない。セーラー服は立派な凶器である。

という絶対に話せないことがまた一つ増えたところで、ヨリコははっと思い出したように茶々子から渡された袋を取り出した。


「えっと…茶々子さんたちから頼まれて、これを届けにきたんです」


もうヨリコがプレゼントだろ、と内なる誰かが言ったが黙ってろ殺されたいのか、と昼行灯は見えない何かを殴り飛ばした。

おずおずと差し出されたそれが茶々子達の差し金と分かっても、もう半ばどうでもよかった。
ありがとう我が社員達。絶対に後で減給する。昼行灯はそんな気持ちを胸に、ヨリコから袋を受け取った。

盗聴器でも仕込まれてるんじゃないか、とヨリコを前に袋の中身を取り出し、包装紙に包まれたそれを昼行灯は躊躇うことなく開けた。

普段の彼ならまずしないことだが、事態が事態なので仕方ないとしよう。
だが、そこに入っていたのは、昼行灯の予想だにしていなかったものだった。


「………どら焼き、ですか?」


鶯色の箱に、綺麗に並べられていたのは紛うことなきどら焼きだった。
楕円形の生地に、上質そうな餡子が挟まれた、少しお高そうなどら焼きだ。


「……です、ね」


ここでヨリコはことん、と首を傾げた。茶々子達は昼行灯が体調が悪いのでは、とこれを渡した。

だが、中身はどら焼き。およそ病人相手に送るものではない。
普通ならばレトルトのお粥とか、同じ甘いものでもゼリーかプリンが妥当だろうに。しかし、何故どら焼き。

首を傾げ、さらによく見れば、袋からは缶のおしるこも二本入っていた。
ここまで甘いものずくしでも…と普通なら苦笑いさせそうなこの見舞いの粗品シリーズ。
だが、昼行灯の反応は特に困ったものでもなさそうで。ヨリコが詰め寄るように見つめると、昼行灯は根負けしたのか、二回ほど咳払いすると、おしるこの缶を片手に白状した。


「……私、あんこが好きなんです。多分、それでこんなものが手渡されたのかと」

「………………」


昼行灯は白状した側から、そこの窓から飛び降りたい気持ちに駆られた。

いい歳した男が、あんこ好きのカミングアウト。しかも見舞いの品にこれだけ詰められるとなると相当だろう。
間違いなく引かれた。頭を抱え込む昼行灯を前に、ヨリコはどら焼きと彼をしばらく交互に見つめていた。そして。


「ふふっ」


ここで、ようやくヨリコが笑った。

馬鹿にするでもなく、いつもようにふんわりとした笑いを零すヨリコに、昼行灯はぼっと蝋燭の火を強めた。


「昼さん、あんこが好きなんですね。また一個、昼さんのこと知れました」


顔が熱い。昼行灯は何かどもりながら、おしるこの缶を開けて、中身をぐいっと飲み込んだ。
おしるこの熱さも大概だったが、それよりとにかく顔中が熱かった。

やはり、ヨリコの笑顔は心臓に悪い。だが、それ以上に心地の良いものだった。


「私もあんこ大好きですよ。お団子とかおまんじゅうとか」

「…おいしいですよね」


昼行灯はヨリコの顔が見れず、俯いたままどら焼きを口にした。

あまり人に言うこともなかった食べ物の嗜好を知られ、笑われた。ただそれでも、胸の奥が騒がしい。

昼行灯はヨリコにもどら焼きとおしるこを奨めると、にこにことそれを口にするヨリコをちら、と見て思った。

自分は思っている以上に、この人に惹かれている、と。


間違いと知っていながら繋ぎ止め、過ちでしかない恋心を悟られまいとしながら彼女に触れ、失いたくないともがく。
もう、這い上がれないまでに彼女に溺れていた。


覚悟しなければならないのは彼女ではない、自分自身だ。昼行灯は改めて、腹を括った。


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