モノツキ | ナノ


こうして。セキ・アオキはシグナルのままに生きることを選び、その為にツキカゲに再就職したいと頼んだところ、昼行灯が嫌がらせで用意した面接を受けることになり。

今日も彼が「出社初日ですよ?」と言うので、わざわざスーツを着てネクタイを締めてきたのだが、一通り笑い者にされたところで、彼も気が済んだらしい。

晴れて自由の身、という訳ではないが、一先ずネクタイからは解放されたシグナルは、以前とほぼ変わらぬ社員達の歓迎を受け、ツキカゲへと戻ってきた。


それから小一時間後。オフィスがいつも通り、各々の業務を進めていくようになった頃。


「お祝いパーティ、ですか?」

「そうそう!シグナル先輩の再入社と戻ったお祝いに、皆で居酒屋さんでも行こうって思って!不肖この僕が幹事を任命された訳なんだけど」


夏休み最後のバイトに出勤してきたヨリコは、サカナからの誘いにことんと首を傾げ。
彼女の頭に浮かんだ?について、サカナはボールペンをくるくると回しながら、お祝いパーティについて説明し、更にと続けた。


「ヨリコちゃんも、もしよかったらどう?明日の夕方からなんだけど…」

「わ、私もいいんですか?」

「モチロン!あ、参加費は社長のポケットマネーから出るから気にしないでね!」

「サカナ…言っておきますが、貴方は自腹ですよ」

「イヤン、分かってますよぉー」


ただ、ヨリコを誘ったことに免じて軟骨から揚げの一つでもご馳走してくださいよ。

なんて意味を込めた視線を送った後、サカナが書類作成に戻ると、昼行灯はこほんと咳払いをして、
奢りと聞いて落ち着いていられていない様子のヨリコに、ぽつりと声を掛けた。


彼女の性格からして、社員の祝い事とあれば自費でも勿論参加するだろう。
寧ろ、費用を持つから出てくれと言われる方が、彼女は気にして遠慮しそうなものだが。

そこを説得してこそ男だと、社員一同から無言の圧力を掛けられている中。昼行灯は意を決し、見えない口を開いた。


「…夏休みも残り僅かですし……その、お時間よろしければ、なのですが…。
この夏、ヨリコさんには色々とお世話になりましたので…私からささやかな御礼として、今回の費用は持たせてください」

「そ、そんな!私の方こそ、ほんと…皆さんにお世話になって……」


案の定、ヨリコはとんでもないと手をあたふたと振ってきた。

しかし、昼行灯の言葉が嬉しく、それを否定しきれないのもあるのだろう。


あれこれ言いたいことはあるようだが、ヨリコは気恥ずかしそうにはにかみながら、おずおずと昼行灯を見詰めた。


どうやら、上手いこと流れに乗ってくれるようだ。

そう確信させる表情で、ヨリコは溢れ出そうな幸せを抑え込むように胸に手を当て、やや固い笑みを浮かべた。


「私…こんなに充実した夏休み、初めてで……その最後に皆さんと一緒にお食事に行けるなんて…あの……とってもとっても嬉しいです!
なので………今回は、お言葉に甘えて…いいですか?」

「えぇ…勿論です」


私の財布どころか口座まで潰す勢いで甘えてください。そんなある意味失礼な言葉を伏せ昼行灯が頷くと、ヨリコの顔がぱぁっと晴れた。


なんだか、こんな調子で二人がやり取りしているのも、随分久しいような気がする。

繰り広げられる二人のやり取りが生み出す微笑ましさと、昼行灯のリアクションの可笑しさで、
一同は肩を震わせていたが、昼行灯がじろりと視線を送ると、そそくさとそれぞれ業務に戻り、明日の予定について話始めた。


「LANはどーします?先輩のお祝いですし、参加させますか?」

「いや、あいつはいいだろう…。シグナルも、欠員に文句を言う奴ではないだろうしな」

「じゃあ、十人で予約しておきますねー。あ、場所はいつものとこでいいですよね」

「よーっし!明日の為に私はりきってお仕事しちゃいますよー!」


先日の一件の際はどうなることかと思われたツキカゲであったが、またいつものような社内が戻ってきて、
ヨリコは本当によかったと込み上げる笑みを出来る限り抑えながら、さぁ私も頑張らなきゃと箒を手に取った。

それと同時に。彼女の眼はまた、包み隠されようとしていた人の影を見付けてしまった。


盛り上がるオフィスの中。一人鬱屈とした雰囲気を抱え、提出書類をまとめたファイルを持っていたのは――


「……髑髏路、さん?」


意外にも、この事態を最も望んでいた筈の、髑髏路であった。





「髑髏路さんっ!」


昼行灯に書類を渡し、次の仕事についでなどの話を終えた後、三階オフィスを出た髑髏路を、ヨリコは慌てて呼び止めた。


あの場で声を掛けてはいけない、すぐに追ってはいけない。

そんな気がして、ぱたぱたと小走りで追っ駆けていくヨリコに、危なっかしい音だと振り向く髑髏路であったが、彼女の足取りもまた、見ていられないもので。
ふらふらと力無く歩く彼女の様に、ヨリコは一層眉を下げながら、尋ねた。


「あの…髑髏路さん……今日は体調、よろしくないんですか?」

「……体調?」

「えぇ…あの……なんだか、元気がないっていうか…辛そうに見えて……」


髑髏路の返答からするに、彼女は体に異常があって気落ちしている訳ではないらしい。

熱があるだとか、頭が痛むだとか。そうした症状に見舞われてるのではなく。
では、何が彼女を苛んでいるのだろうか。

心配そうに観察してくるヨリコに対し、髑髏路は暫し自分の胸に手を当てて、ふっと自嘲の一声を漏らした。


「……そう、か。私……そんな風に見えるんだ……」


その一言で、ヨリコはこれ以上は尋ねるべきではないと、何となく察した。


彼女、髑髏路は、強かに見えてその実繊細な者の多い此処ツキカゲの中でも、特に扱い難い心の持ち主である。

硝子細工のように傷付きやすく、下手をすれば滑り落ちて壊れて、二度と戻らない。


それを回避すべく、彼女は自分の心を曝すことをしない。

幾重にも包み隠して、落っこちることがあっても最小限の痛みで済むようにと保護して、罅割れる程度に止めようとしている。


更に今回は、その包装すらもぐちゃついていて。

無理に手を伸ばして、彼女を傷付けてはいけないと、ヨリコは喉の奥まで来た言葉を引っ込めて――代わりに、ぐっと彼女に手を伸ばした。


「………あの、髑髏路さん!この後、お時間空いてませんか?」


突如手を取られ、何事かと髑髏路が小さく肩を跳ねさせた。

マスクの下のしゃれこうべの、そのまた下に隠された眼は、きっとこれ以上となく見開かれていることだろう。
ヨリコ自身も、引っ込み思案な自分がこんな風に行動に出たことに、頭の片隅で驚いている。

だが、それでもぎゅっと彼女の手を握り続けていたのは、ボロボロの包みの中で悲しい色をしている彼女の心を、見てしまったからだろう。


「よかったら……いっしょに、お買いものに行きませんか!シグナルさんのお祝いの、プレゼントを買いに!」


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