モノツキ | ナノ



路地裏に、衝突音と火花が散る。

交っては弾き、弾いては交じりを繰り返す攻防は、どれ程の時間続いていただろうか。
いつの間にか戦いは拮抗を破り、優勢と劣勢が生まれ、勝ち負けへと到達しようとしていた。


「…っぜぇ……っ、はぁ………」


びゅーびゅーという不様な呼吸は、見えない器官を血が塞いでいるからだろうか。
強く打ちつけて罅割れた頭部も、本来あるべき姿であったなら、痛々しく裂けた額が見えるのだろう。

尤も、それが見えずとも、十分過ぎるまでに彼は痛めつけられていた。


身も、心も。あと一歩で折れてしまうところまで来て尚、彼は戦場に立たされていた。

それは、慈悲とは正反対の、悍ましい意図で。


「……っめぇ………、ざけてんのかぁあ………っ」

「……その言葉、そのまま返そう」


もう何度、地に伏せさせられたことか。

脚を取られ、蹴り飛ばされ、起き上がろうとしたところでまた転がされ。
数える気も失せる程に叩きのめされていながら、シグナルは未だ昼行灯に牙を剥き、
昼行灯もまた、この不毛な時間をいつまでも終わらせる気配がなく。

地面を這いつくばるシグナルにまた一発。
鳩尾に蹴りを食らわせると、倒れ込んだ彼の手が武器を掴まぬように踏みつけて、呆れ返った声を降らせた。


「俺を裏切って何をしてくるのかと思ったら……お前がやってきたのは時間稼ぎで…こうして何度も何度も地面に転がっている始末……。
ふざけていないなら、なんなんだこの茶番は」

「うるせぇ!!!」


現状は、シグナルにとって最悪を極めていた。

先日薄紅から受けたダメージで、体が本調子ではないおまけに、相手はこの帝都の闇の中で生き抜いてきた男――無明の迎え火、昼行灯だ。

上司としての彼はこの上なく有能であり、シグナルを始めツキカゲの社員達は、彼の恩恵を受けていると言ってもいいだろう。
だが、その手腕が一度、自分の喉を絞めるものとなれば、これ以上となく厄介で、悍ましい。

その腕が優れているものと知っていて、最大限に警戒し、覚悟を決め、全力を出して向かっても。
それでも敵わず、こうして完膚なきまでに叩き伏せられてしまう。


ここまでは、考えないようにしていただけで、想定の範囲内であった。


「そう言うんなら……なんでとっとと終わらせねぇんだよ!!…てめぇは……何の目的でこの茶番を引き延ばしてんだ!!?」


シグナルは愚かではあるが、突き抜けた馬鹿でもない。

自分が、昼行灯に勝てる訳がないことは、彼とて挑む前から理解していた。
この路地裏で自分は朽ち、その死を以てして、シグナルは昼行灯に一矢報いるつもりでいた。

だというのに、だ。

昼行灯は、もういつでも自分を始末出来る状況になっても止めの一撃を放つ様子はなく。
どうしたことかと向かってくるシグナルを、何度も何度も地面に転がして、戦意をへし折るような真似をしてくる。


それが、全てを捨て去るつもりで此処にやってきたシグナルにとって、最も気味が悪く、そして苛立たしかった。


「あぁ、そうだ。お前の言う通り、俺がやってんのは時間稼ぎだ。だがよぉ…それにどうしててめぇが付き合う?
お前は今すぐにでも俺をぶっ殺して、仕事の為にあの男を始末する。そうすべきでありながら、どうしてこんな真似してんだ!!!」


彼の目的である時間稼ぎは、確かに成立している。

だが、それが昼行灯によって作られているというのが、シグナルにとって良くなかった。


「てめぇは、てめぇの望む方向の為には、結局何だって切り捨ててきた!!
正常ぶって、人間性を主張して、縋り付くように正しいことをしようとしてきたてめぇも……大きな不利益を被るなら、容赦なく鬼になってきた!
それがてめぇが、裏社会の怪物と言われた所以だ!!そんなお前が……同情だの慈悲だので今、動く訳がねぇ!!!」


反旗を翻した自分を切り捨てることを宣言し、敵として立ちはだかってきた昼行灯が、
今更シグナルに、最期だからだなどと、せめてもの望みは叶えてやろうなどと、そんなことを思う筈がない。

当人が不毛だと言うこの行動にも、何等かの意図があるに違いない。

しかし、それが一体どんなものなのか。それが分からないことが、シグナルに、心臓が潰れそうな程の恐怖と焦りを与えていた。


「何が狙いだ……昼行灯。お前は、何処に行こうとしてんだ………」


今こうしている間にも、彼の見えないところで、何かが動いている。昼行灯の手が、何かを縊り殺そうとしている。

そんな予感がして、それを確かめに行こうとしても、昼行灯は自分を逃がしてはくれず。
こうして地面に押し付けて、針が刺すような時間を与えてくる。


まるで、処刑だ。

会社を裏切り、恩人である昼行灯に歯向かい、この衝突を以てして彼を貶めようとした罪に対し、
彼が選んだのがこれだとしたら、やはり――この男は、”負を食って生きる虫”に違いない。


「……お前の質問に答えてやる義理は、もうない」


襲い来る不条理を食い破り、悪意を腹に溜め込んで、より一層強い毒を得る。

そうして最低の世界を生きてきたこの男は、シグナルの生んだ負を喰らい、また一歩。人から離れていくのだろう。


「それに、答えなんて…聞くまでもないだろう。お前は、結局目的を果たせるんだ。有り難く現状を享受していればいい」


これが、これこそが。
人外中の人外、裏社会の怪物。始末屋、無明の迎え火・昼行灯だ。

再認識したくもなかったものを噛み締めながら、シグナルは流し込まれた毒に対し、どう抗おうかと踏まれた拳を握りしめた。


望んだ筈の、過ぎ去っていく時間が、今は惜しい。

一刻も早く此処から離れて、昼行灯の真意を見付けなければ――遠からず終わるこの生は、より最悪の形で終幕を迎えることになるだろう。
それが出来るのが、昼行灯だ。

だから、シグナルは未だ、折れていられなかった。


例えもう、とっくに、最初から負けていたとしても。今更何をしたところで無駄だとしても。もう取り返しがつかないとしても。
それはこの道に踏み出した時から、全て見えていたことだ。

けれど、それが回避出来るかもしれないのなら、諦めてはいられない。

もう永くはない母の生涯を、人並みの幸福で飾る為に――シグナルは、此処に来たのだから。


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