モノツキ | ナノ



アマガハラ・テルヒサは、恵まれ過ぎていた自分の人生に、少し辟易していた。

それがよくないことだとは思っても、常に自分の周りには恵まれた自分を求めてくる人間が群がり、またその大多数が欲しているのが、
優秀にして完全無欠であるアマテラスカンパニー次期社長のアマガハラ・テルヒサであることに、彼は嫌気が差していたのだ。


家族も、友人らしい存在も、恋人らしい存在も、教師らしい存在も。誰も彼もが完璧である自分を好いていて。
その現状に嫌悪感すら抱いていると告げることすら出来ない日々に、テルヒサは窒息してしまいそうだった。

綻びを見せれば失望されてしまい、完璧ではない自分が露見してしまうことで周りが離れていってしまうかもしれないということが恐ろしくて、
テルヒサは呼吸すらままならない現状にも、作り笑いを浮かべて堪え続けていた。


かつて一人だけ、自分の苦しみを見抜いてくれた母も、彼が幼い頃に他界してしまい。拠り所のないテルヒサは、ただただ堪えて毎日を過ごしていた。

いつか誰かが、このぎこちないな笑顔の下に隠している自分の不様な本性に気が付いてくれないかと。
そんな期待をしながらテルヒサは表面上清廉潔白であり続け、誰にも悩みを明かさすことなく、明かされることもなく、心の闇を深くしていた。


そして、ついにそれが叶うこともなく、アマガハラ・テルヒサの人生は終着点を迎えた。


「のう主、昼行灯という言葉を知っておるかの」


彼が父に呼ばれ参加した会食から帰った夜。明かりを点けた自室には、神が待ち構えていた。


「な……」


幼い頃からあらゆる分野の物事を学び、教育の為にとあらゆるものを見せられきた彼ですら、それを見たのは初めてだった。

だが、それでも。宙に浮かぶ人形のようなそれが、この世界の支配者であることは、瞬時に理解出来た。


影のように黒い肌、それを裂くようにして開かれた、此方を見詰める硝子玉のような目が一つ。小枝のように細い手に小さな角灯を持ったそれは、つくも神であった。
有り得る筈のない世界を創り、存在し得る筈のなかった人間達を救済し、時に裁く――。


テルヒサはこれでもかと見開いた眼に映る、冗談のような存在を認めてしまった刹那、急激な吐き気に見舞われた。


ごく普通に暮らしていれば、一生関わることのない存在であるつくも神。

それが今、自分の部屋にいて、自分をその目玉で見据えているということの意味を悟ってしまい、彼は初めて心の底から絶望した。


これまでは、何があっても結局は救われるだろうと思っていた。だからこそ、彼は自分から踏み出すことをしてこなかった。

自分から動かずとも、誰かが自分を助けてくれると、彼はそう思っていたのだ。


だが、そんな甘えすらも消え失せる程に、目の前に現れた絶望は深く、大きかった。


「陽の射す時に行灯は役に立たぬ、という意味で生まれた言葉だが…それは当然のことよのう。行灯とは、光無き夜に灯すものであるのだ。
だがしかし、人間は中々上手いことを言うものよ」

「なに、を」


饒舌に語るつくも神を前に、テルヒサの頭は現実逃避をしようと動き始めていた。そう、これは何かの間違いだ。自分が神に裁かれる理由はないのだから、と。


つくも神が裁くのは、神が宿る物を粗末に扱った者だ。だが、自分はそんなことをした覚えはない。だから、自分は。

そうして眼前で浮かぶ神から眼を背けたテルヒサは、ふいに逸らした視線の先に、ある物を見た。


チェストの上で薄く埃を被っているそれが、眼から脳に食い込んでいく感覚がした。そこに置いていたのは、母の遺品で、インテリアとして飾っていた――ランプだった。

つくも神の言葉と、自分がそのランプをどのように扱ってきたかが、テルヒサの頭の中で重なってしまった。


「主は昼にすら光を灯さずして、どうするつもりなのだと言うておるのだ」

「あ゛…ああああああああああああああああ!!!!」


きしっと吊り上がった口が見えたと思えば、ぬっと大きくなったつくも神の手が、彼の視界を覆い隠した。

闇に塗り潰されて暗くなった視界は、途方もない絶望感と不安を増幅させ、自分の顔を覆う神を振り払うことすら忘れさせる程の恐怖を与えた。
バチバチと、電流が奔るような音がする度に、痛みもないのに絶叫が上がる。この音一つ鳴る度に、彼の何かが上塗りされ、何かが奪われていく感覚がした。

それを実感する度に気が狂ってしまいそうになり、自分が此処に存在することを自身に聞かせるように、テルヒサは吠えた。


いや、正確にはこの叫びは、神への懇願であった。


「やめろ…やめてくれ…俺が……俺が、何をしたっていうんだ……!!」

「自分の犯した罪すら分からぬとは。げに愚かな男よの」

「お、お願いします!どうか…どうかお許しを!!」


「都合の良い時ばかり神に祈るのは、主ら人間の悪しき習慣だのう。この世界を創ってやった時から変わらぬ。嗚呼、嘆かわしいものよ」


だが、つくも神は救いを求める声を聞き入れることも、裁きの手を止めることもなかった。

例えどれだけ理不尽な理由であろうとも、どれだけ裁かれるに値しない理由であろうとも、神の顰蹙を買ってしまった間は、罪人と見做されるのだ。


「我等神はお主らを、いつでも見ているというのに」


やがて、床に投げ飛ばされた彼は、打ち付けた頭から金属音が響くのを聞き それと同時に、全てを悟ってしまった。

それでも信じられないと後ろを向けば、そこには絶望が赤い咥内を見せて笑っていた。


どう足掻こうとも、叫ぼうとも無駄である。罪を犯してしまった瞬間から、彼は赦されざる者として世に放たれる運命の渦へと落されたのだ。


「この先、主がどう贖いの道を行くのか見せてみよ昼行灯。主が救われたいのであれば、我に示してみせい」


消えゆく神は、そこで彼が溺れるのを見ることしかしない。これ以上とない意地の悪い笑みを残してつくも神が消えた後、昼行灯となった彼は盛大に嘔吐した。


「つくも神に裁かれた者は、その顔と、その名と、その地位を奪われる。
誰もが見初めるような端正な顔に、名家の嫡子を象徴するアマガハラ・テルヒサの名、そしてアマテラス次期社長という地位を奪われた奴には何が残ったと思うかね?」


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