【第一章】彼女は警視庁のマドンナちゃん

1.



 桜の盛りが過ぎ、やわい陽の光が射し込む季節。
 東京都霞ヶ関のド真ん中に聳え建つ警視庁は、今年も新たな職員を受け入れていた。

 彼らの殆どは所轄から引き抜かれた敏腕刑事や、採用試験に合格した事務職員や専門職員などである。
 警察学校を卒業した警察官の卵たちは、先日半年間の交番実習を終え、今日から実習先と同じ交番に配属することになっている。

 がしかし、今年は。
 通例の交番配属をすっ飛ばした異例≠フ本庁採用が二人と、機動隊採用が二人もいる。
 ちなみにその全員が、警視庁警察学校出身の人間である。

「なぁお前もう見たか?」
「見たって何を」
「例外たち≠セよ」
「…あァ、そのこと」

 通年と違うフローで警視庁配属になった例外たち≠ひと目見てやろう、と。
 この日の警視庁内は朝からザワついていた。

 特に注目を集めていたのは本庁採用の二人である。
 ヤツら二人は在学中、男女首席を一度も譲らなかったツワモノであり、優秀な成績をキープするだけでなく周りを引っ張るカリスマ性も評価され、特例中の特例処置が働いたのだ。
 さらに驚くべきことに二人は先日、これまた特例で国家公務員試験を受け、さらにソコでフルスコアを取ったため晴れてキャリア組≠ニして入庁することになったのだ。
 はじめは現場を学ばせるために警視庁内に勤務し、ゆくゆくは警察庁のエリートコースに乗る二人である。
 ので、野次馬たちは「将来ジブンらの上に立つニンゲンがどんなヤツなのか」と品定めする目で待ち構えていた。

 オマケに、「例外四人衆の容姿が抜群に良い」という噂までもが流れていたので、警視庁内は野次馬で溢れかえっていた。

「見た?」
「見た」
「どうだった?」
「どうもこうもねぇだろ。話してもないのに優秀かどうかなんて判断できん」
「そりゃそうだ」
「でも」
「でも?」

 ──男三人ともシュッとしてた
 ──脚が五メートルあった
 ──ジャニーズかと思った

 野次馬たちはコソコソ話す。
 男も女もベテランも若手も関係ない。
 だってそれほど渦中の三人の男は思わず二度見するほどの美男子であったし、

 ──俺は今日天使≠見た
 ──モデルが一日警視総監しにきたのかと思った
 ──ディズニープリンセスがいた

 美男子三人の半歩後ろを歩く女が、見た者が思わず恋に落ちてしまいそうな容姿をしていたのだから。

「警視庁に、マドンナちゃんが現れた」

 野次馬の誰かがそんなことを呟いた。
 その言葉を拾った誰かが別の人間に「今年入ってきた例外四人衆の女の子がマドンナだってよ」と伝え、それがまた他の人間に…と伝言ゲームが行われ──、

 たった数時間で、警視庁のマドンナちゃん≠ニいうあだ名が定着したのだった。



 さて、渦中の四人はというと。

「陣平ちゃんのミニトマトもーらい」
「オイ! 人の勝手に取るなって!」
「萩原のには入ってなかったのか?」
「ウン」
「え、私さっき萩原くんが自分のトマト食べてるの見たよ」
「マドンナちゃん、シーッ!」
「あっ」
「もう遅ぇ。代わりにお前の唐揚げ寄越せ」
「その等価交換って成立するんだ!?」

 研修室で呑気に支給されたお弁当を食べていた。
 昼休憩の時間なのだ。

 午前中は簡単なオリエンテーションで、この日のために作られたであろう【警視庁入庁のしおり】を読みながら、就業規則や警視庁内でのルールやその他警視庁で働く上で知っていると得するお役立ち情報を学んでいた。
 就業規則だけはしっかり書いてあったが、しおりの後半は「廊下は走るな」「食堂のおばちゃんには逆らうな」「拳銃の借りパクは禁止です」など適当なことばかり書いてあった。きっとしおりを作った人間が酒を飲みながら書いたもしくは五徹明けとかだったのだろう。
 他にも、めんどくさい上司からの飲みの誘いを断る方法、二次会のカラオケでの上手な盛り上げ方、沢田研二の勝手にしやがれの振り付け講座、年次による傾斜の付け方、警視庁内の穴場喫煙スポット五選、警察手帳のカッコイイ提示の仕方、こんな警視庁は嫌だ(大喜利)、こないだヒガシ先輩がトイレでアイコス吸って怒られてました(当然)、ヒガシ先輩の中学時代のあだ名は物知りメガネ=i暴露)、今のあだ名はインテリヤクザ=i悪口)…など。最後の方なんてヒガシ先輩のことばかりである。
 四人はこの数時間でヒガシ先輩について少しだけ詳しくなった。会ったことはないし顔も知らないけど。

「…お前またいちご牛乳飲んでんのか?」
「悪い?」
「イヤ別に。…ただ昔お前に頭からぶっかけられたこと思い出しただけだっつの」

 隣の席でいちごミルクの紙パックをちゅうちゅう飲む警視庁のマドンナちゃん≠ノ松田は整った瞳をジト…とさせて「嫌なこと思い出しちまった」と続けた。

 先程のミニトマト強奪事件は萩原の唐揚げを松田が奪うことで決着がついていた。
 もう既に全員がお弁当を食べ終え、小学校の給食の時間みたいに机をピッタリくっつけたまま休憩時間が終わるまでの数十分間をダラダラ過ごしているのだ。
 警察学校の元総代・金髪ハニーフェイスの降谷零は真剣な顔で就業規則を読み込んでいるし、高身長に甘いマスク・垂れた瞳からとんでもない色気を醸し出す萩原研二は先程からツムツムに夢中である。そして、ふわふわの癖毛・あどけなくも整った顔立ちを持つ松田陣平は横で一生懸命ストローを吸う女を頬杖をつきながら観察していた。

 松田の視線の先の女は、
 ミルクを溶かしたような真っ白な透き通る肌に、強く輝く宝石のような瞳、すっと通った鼻筋、小さくて赤い唇が完璧な配置で収まった顔を持っていた。
 マァつまりとんでもない美人であり、オマケに学校では女子トップの成績をキープし続け、学園対抗体育祭の格闘技大会で優勝し、交番実習では歌舞伎町の治安をひっくり返したオンナである。
 呼ばれた名前は警察学校のマドンナちゃん∞歌舞伎町の女神様≠ネど数知れず。
 さらに本日、彼女の姿を見た野次馬たちにより警視庁のマドンナちゃん≠フあだ名がつけられた。

 そんな彼女──みょうじなまえは半年前、人生初めてのカレシができた。
 警察学校に入学した彼女には大きな秘密があった。
 その秘密をひょんなことから松田に知られてしまい、逆に松田の弱みを握って協力を持ちかけ、マァ色々と紆余曲折を経て──。

 真横に座る優秀な元問題児・松田陣平と付き合うことになったのだった。

「それはあの時ちゃんと謝ったでしょ。蒸し返さないで」
「悪ィ悪ィ」
「…ていうか何でさっきから私のこと見てくるの」
「いや、ヤケに一生懸命飲んでんなって思っただけだっつの」
「………」

 なまえは少しだけムッとした顔でソッポを向いた。恥ずかしかったからだ。

「ガキっぽ」
「おとなだから」
「ムキになんなって」
「なってないもん」
「そこ、イチャイチャしない」
「してねぇよ!」

 画面から顔を上げた萩原が口を挟んだ。なに、ツムツムのガチャで爆死した憂さ晴らしをしようという魂胆である。
 続いて降谷が「してるだろ」と就業規則から顔を上げて松田を睨んだ。こちらは純粋な感想である。

「牽制のつもりか?」
「……べっつに」
「図星だな」
「図星だね」

 男二人からユニゾンで指摘され、松田は舌打ちを一つ零してソッポを向いた。奇しくも先程のカノジョと同じ反応である。
 二人の指摘通り、松田は牽制のつもりでカノジョにちょっかいをかけた。
 だって降谷は在学時代なまえに片想いをしていた張本人であるし、萩原は卒業旅行で冗談混じりに「このまま喋ってると惚れちまうカモ」発言をした男である。
 オマケに今朝この研修室に辿り着くまでの間、すれ違う全員がマドンナちゃんに目を奪われている光景を目の当たりにしたので。
 松田のドーベルマンスイッチがオンになるのは仕方のないことだった。

「陣平ちゃんってそんなに心配性だったっけ?」
「…まぁ、彼女が心配になる気持ちは分からんでもないさ。配属先も違うし」

 降谷の言葉通り、なまえと松田は確実に違う場所に配属することが決まっている。
 松田は機動隊。なまえの配属先はまだ知らされていないが、機動隊ではないことだけは分かっている。

「二人の配属先ってまだ分かんねーの?」
「ああ。この後言われるんじゃないか? 希望は出してるけど通るかも分からないしな」
「ちなみに降谷ちゃんはどこに出したの?」
「公安」
「ウワ、降谷ちゃんっぽい。…ちなみにマドンナちゃんは?」
「私のチカラが生かせるところならどこでもいいって答えた」
「…っぽいわー」

 自信満々に答えるなまえに、松田がチベスナ顔で相槌をうった。
 在学中だったら「秘密!」とでも言って濁していただろうに。もう彼らの前で猫を被るのはとっくにやめたようである。
 今まで松田の前だけでしか見せていなかった素≠大っぴらに見せられるようになったのは大変喜ばしいことである。だが同時に、少しだけ「面白くねーなー…」と思ってしまったのである。

「陣平ちゃんわかりやすっ」
「あ?」
「ヤだってさ…」

 萩原がニヤニヤ笑いながら呟いた。幼なじみで親友なので、松田の思考が手に取るように分かるのだ。
 がしかし、萩原の言葉はそこで途切れた。研修室の扉が外からノックされたからだ。

「失礼。萩原研二と松田陣平、いるか?」
「はい!」
「います!」

 顔を出したのは機動隊の隊服をカッチリ着込んだ初老の男だった。
 分厚い胸板・太い腕・少しだけ前屈みの姿勢は二足歩行の熊を彷彿とさせた。
 名前を呼ばれた二人が慌てて立ち上がって大声で返事をする。名前を呼ばれなかった降谷となまえは「え、僕らも立つ?」という顔で、しかしタイミングを逃してしまったため座ったまま姿勢を正した。

「機動隊のマツシタだ。キミたちの教育係になる」
「萩原研二です!」
「松田陣平です!」

 マツシタは外見に見合わぬ少年のような笑顔で「ヤァ、そんなにかしこまらないでいいぞ」とやわく笑いかけた。
 萩原と松田が転がるようにマツシタの前に整列したからだ。彼らは憧れの機動隊のセンパイの姿に動揺していた。

「アァまだ昼休憩中だったね。早く来てしまってすまない。どうしてもキミらに早く会いたくなってしまって」
「いえ!」
「問題ありません!」
「ハハ、元気が良くっていいな。やっぱ若いのはこうでないと。…ア、キミたちの名前ももう知ってるから挨拶は不要だ。タケウチさんから耳タコで聞いてるから」

 自分たちも挨拶をしようと立ち上がった降谷となまえをマツシタは緩く制した。タケウチさんとは今日一日研修を担当してくれている総務部企画課の課長である。
 マツシタは人のいい笑みで四人を見渡してから壁かけ時計に目を向けた。あと五分ほどで昼休憩が終わる時間である。

「休みを邪魔してすまないが、萩原と松田はこのままジブンに着いてきてくれるかな。機動隊居室挨拶に行こう。そこから機動隊のオリエンテーションに入ることになる」
「もちろんです!」
「分かりました!」
「キミたち二人はこのままここに居てくれとタケウチさんが。あともう少しでタケウチさんここに来るから」
「はい!」
「承知しました!」

 じゃ、そういうことで。
 マツシタは「若いっていいなぁ」という顔で数回頷くと、機動隊の卵二人ををぴよぴよ連れだって研修室を出ていった。

「…ここの片付けは僕らでするか」
「そだね」

 残された元首席二人はクスクス笑いながら、給食の並びをしたままの机を真っ直ぐに戻したりお弁当の空き箱を重ねたりしながら残りの五分間を過ごすのだった。

 自分の配属先への期待に胸を高まらせながら。



△▽



「………」
「ま、マドンナちゃん、元気出して」
「………」
「オイ、あんま飲み過ぎんなって」
「………」
「気持ちはわかるけど…」

 さてそれから数時間後。午後七時である。
 オリエンテーションも居室挨拶も終えた四人衆は、警視庁からほど近い居酒屋に来ていた。

 おろおろする三人の美男子たちの目線の先には白百合の乙女の姿。
 マァしかし、その美貌を不機嫌に歪ませているので美男子三銃士はおろおろしているのである。
 擬音をつけるのであれば「ムッス~~~~!」といったところだろうか。

 なぜ、マドンナちゃんがここまでぶすくれているのか。

「何で広報なの…」

 配属先が気に食わなかったからである。

 あの後、研修室にきたタケウチさんから配属先が交付された。
 降谷は希望通り警視庁公安部。しかもゆくゆくは警察庁公安部行きのレールが敷かれたエリート配属である。
 対するなまえは総務部広報課配属。業務内容は記者会見・取材対応≠ナある。

『キミ、配属希望を聞かれた時に「自分のチカラが生かせるところ」と答えただろう?』
『ですがそれは現場で≠ニいう意味です』
『確かにキミは警察学校で優秀な成績を納めた。女子トップの成績を取り続け、格闘技大会では優勝したと聞いているよ。それに交番実習で歌舞伎町の治安を改善した功績もある』
『だったら…!』

 食い下がるなまえに、タケウチさんは気の毒そうに答えた。
 彼女の配属先はタケウチさんよりももっと上のニンゲンが決めた。ので、タケウチさんがどうこうできる問題ではないのだが──。

『…ただね、キミはもっと自分の武器を理解した方がいい』

 心の中で「かわいそうに」「気持ちは分かるさ」と思いながらも、そう言う他なかったのだ。管理職とはそういうものなのだから。
 だから寄り添いすぎず見放しすぎずいいアンバイの距離を保ちながら、同時に「決してこれに腐ることなく頑張れ」というエールを込めて言った。

「私の武器ってなによ…」

 しかしタケウチさんのエールは届くことなく、なまえはしっかり不貞腐れていた。

 警察上層部は自分の能力を評価しているわけではなかった。
 ただ、マドンナちゃん≠フルックスが欲しかっただけなのだと気付いてしまったのだから。

「私、何のためにあんなに努力したんだろう…」
「警察の顔にしたいんだよ。…だってマドンナちゃん、美人すぎるんだもん」
「好きでこの顔に生まれたわけじゃないもん…」

 彼女の言葉に美男子三銃士はひたすらお互い顔を見合わせながら温くなったビールを煽ることしかできなかった。

 だって、配属先がうまくいったニンゲンが何を言っても嫌味にしかならないのだから。



△▽



 それからあっという間に数ヶ月が経ち──。

「なぁ、昨日のニュース見たか!?」
「ニュース?」
「警視庁のマドンナちゃんの記者会見」
「は? 昨日出てたの?」
「イシワタリ警部がやらかした事件で謝罪会見」
「何やらかしたのイシワタリ。ていうか誰」
「タクシー運転手恐喝」
「やめたれや。ていうかマドンナちゃんを謝らすなよそんなんで」
「でも謝るマドンナちゃんも可愛かった~。俺ん家くる? 録画してるけど」
「行く。謝るマドンナちゃん見てぇ~」

 世間は突如お茶の間に舞い降りた天使にあっという間に虜になった。
 警察による記者会見にとんでもない美人が起用されたのだ。

 その女が初めて記者会見に登壇した時、失言をネタにし揚げ足を取り重箱の隅を突こうと待機していたマスコミたちは度肝を抜かれた。
 何の気無しにニュースを流しながら料理をしていた主婦たちは全員鍋を焦がし、仕事をサボってトイレに篭っていたツイッタラーたちは全員個室の中でデカい声を出した。
 事件の記者会見は視聴率が20%を超え、切り抜きがユーチューブに無断転載されれば一瞬でミリオン再生され、警察による不祥事が起きてもその美人が出てきて頭を下げれば「…マァニンゲン誰しも間違いは起こすし…」と許容される。
来たれ! 警察官!≠フ文言と敬礼した女のポスターはあっという間に剥がされてメルカリで一万円の値が付き、来年度の警察学校入学希望者が例年の三倍に増えた。

 そんなミラクルが起こっているのである。
 前代未聞の事態だった。

「警察官になればあの天使様とお近付きに…」
「やめとけあれは警察じゃなくて芸能人だから」
「えっそうなの?」
「絶対そうだろ」
「いや彼女はどうやらガチの警察関係者らしい」
「イヤお前誰だよ」
「ソースはあるんですか?(ひろゆき)」
「ニコニコ大百科に載ってた」
「あのぉ…それってぇ…全員が編集できる機能ですよね。それを信じるのって頭悪い人だけなんですよ。つまり、アナタ頭悪いんですよ。それをまず自覚してもらってぇ…(ひろゆき)」
「ひろゆき早くフランス帰れよ」

 その人気は留まることを知らない。「美人すぎる警察官」というキャッチコピーでananに特集され、バラエティ番組から密着オファーすらきている。…マァ後者についてはさすがに警察上層部からストップがかかったワケだが。
 そんなこんなで。
 たった半年にも関わらず、彼女は名実ともに警視庁のマドンナちゃん≠ニして名を馳せているのだった。

 可哀想なのがカレシの松田だ。マドンナちゃんの人気がすごすぎて街を歩けばあっという間に人だかりが出来てしまう。ろくにデートすらできないのだ。
 オマケに警察内外問わず彼女のファンクラブも出来てしまっている。ので、なまえは上司から「申し訳ないが結婚するまではカレシの存在を公にするな」とキツく釘を刺されてしまったのだ。

 幸いなことにこの釘が刺されたのは入庁してスグのことだったので、松田とマドンナちゃんの仲を知る人間は警視庁内では萩原と降谷だけ。
 というワケで、彼らがカップルであるという事実は闇の中に葬り去られることとなった。

 もちろんカノジョが大好きな松田はこれに全力で抵抗しようとしたのだが、マァしかし「ごめんね陣平」と眉を下げる愛しいカノジョに逆らえるワケもなく、週一のお家デートで我慢することにしたのだった。その代わり週一のお家デートは二十四時間耐久おっぱい(訳:松田がなまえのむちむちおっぱいに永遠に顔を埋める)のため、翌日の松田は顔がツヤツヤしているしマドンナちゃんの肩凝りは酷くなった。



「マドンナちゃん本っ当にすげぇって! 世間からなんて言われてるか知ってる? 警視庁のマドンナちゃん、美人すぎる警察官、天使の施し…」

 ビールを一気飲みした芹沢が唾を飛ばしながら熱く語った。
 さっぱりと整った顔立ち・泣きボクロ・黒髪センターパートというモテ¢S部載せみたいな見た目を軽薄な口調とデカい声が全て台無しにしている。
 彼は警察学校時代、警察学校の姫というか女神というか妖精さんというかマドンナちゃんを守る会──通称マドンナ協会≠フ会長をしていた男であり、今は関西の交番で働くオマワリさんだ。

「遊戯王カードじゃん。三枚ドローして二枚捨てな」

 同じくレモンサワーをグイ飲みした廣瀬がアルコールで頬を赤くしながらバンバン机を叩いた。
 マツエク・カラコン・M字リップのイマドキギャルのオマワリさん──略してギャルマリさんである。
 彼女はなまえの親友であり、元降谷零ファンクラブ会長である。ちなみにサトシぴという年上カレシがいて現在遠距離恋愛中だ。

「廣瀬、ゆうぎおう≠チて何だ?」
「降谷ちゃん、そろそろソレやめない?」
「ゼロ、遊戯王っていうのはね、邪魔な子どもをカードに閉じ込めたりするんだよ」
「諸伏ちゃんの知識の偏りがすごい」
「もしかしてヒロの旦那の正体はペガサス・J・クロフォードなのか?」
「何で陣平ちゃんはペガサスをフルネームで呼ぶの?」
「子どもを…カードに…?」
「信じちゃったじゃん」

 萩原は「ダハハ」と甘いマスクからは到底出してはいけない笑い声を上げながら居酒屋の机に突っ伏した。

 さてここは警視庁近くの居酒屋である。奇しくも萩原たちは配属初日に来たところと同じ居酒屋・同じ席に座っていた。
 しかし今日はあの日と違い、例外四人衆だけでなく諸伏・伊達・芹沢・廣瀬も集まっていた。所謂いつメン¢蜿W合という訳だ。

 四人衆は入庁してからかなりの頻度で一緒に飲んでいた。が、たまには他のメンツも誘おうということになり、関東近郊の交番で働く諸伏・伊達に向けて「久々に集まって飲もうぜ!」と萩原がグループラインで声掛けをしたところ、

『オレも久々にマドンナちゃんの横で全集中の呼吸をしないと死ぬ』
『アタシも久々に降谷くんのご尊顔拝みたい。あと普通にピッピに会わないと死ぬ』

 と関西組(芹沢と廣瀬である)もフットワーク軽くぴよぴよ上京したのだった。

「そして治療の神 ディアン・ケト…」
「あっ芹沢ちゃんのヤツまだ続いてた?」
「LPを1000回復ね」
「何で廣瀬はそんなに遊戯王詳しいんだよ」
「ピッピがよくデュエルしてるから」
「あ、サトシさんデュエリストなんだ」
「マァオレに言わせればマドンナちゃんはエクゾディアなんだよな。ア別に顔が似てるとかじゃないぜ。オレがマドンナちゃんに出会えた奇跡はエクゾディアをコンプした時と同じで勝利≠チてこと。麻雀でいうと四暗刻単騎か純正九蓮宝燈、ポーカーでいうとロイヤルストレートフラッシュ、こいこいでいうと五光…」
「後半全部ギャンブルじゃねぇか」

 松田はチベスナ顔で枝豆をモムモムさせながら呟いた。
 オマワリさんになっても芹沢は何も変わんねぇな、という顔である。

 ちなみに中心人物であるなまえは曖昧に微笑んだままピーチウーロンをくぴくぴ飲んでいた。
 芹沢のコレは今に始まったことではなく、在学時代から褒めに褒められてきた。
 がしかし、あの時は嬉しさと恥ずかしさの中にも「当然でしょ」という確固たる自信があったのであまり気に留めていなかったのだ。
 
 ただ、今はその賞賛に戸惑うことしかできなかった。
 だって入庁してからの自分は、その賞賛を浴びるに相応しいパフォーマンスができているとは到底思えなかったから。

 自分の仕事は記者会見及び取材対応。他人が考えた文章をただカメラの前で淡々と読み上げるだけの仕事だ。
 体育祭の棒倒しの時みたいに頭を使ったり身体を張ることはなくなった。
 歌舞伎町の女神さまになった時みたいに努力することはなくなった。
 ので、なまえはイマイチよくわからない気持ちでピーチウーロンをくぴくぴさせていたのだった。
 
「マドンナちゃん?」
「具合でも悪ぃのか?」
 
 萩原と松田が心配そうに顔を覗きこんできた。
 心配させまいと再び曖昧な笑みを返し、続いて芹沢にニコ! と微笑んだ。
 いつもありがとう嬉しいわ! という気持ちを込めて。
 
「あ゛あ゛マドンナちゃんか゛わ゛い゛い゛!」
「うるせぇな!」
「ヤお前カレシだからってあんま調子乗んなよ」
「乗ってねぇから」
「は? マドンナちゃんの満面の笑みがどんだけ貴重で尊いものか分かんねーだろ! いいか? マドンナちゃんの笑みは別名『ヴィーナスの誕生』という名前でだな…」
「あーもういい分かった分かった」
「お前だけは流すな松田! 最後まで聞け!」
「芹沢、落ち着けって」
「他のお客さんもいるんだから静かにしろ。二人ともだ」
「は? 俺も悪ぃのかよ」
「なんならお前が全部悪いぞ松田」
「何でだよ!」
 
 この話題から早々に離れていた伊達と降谷が睨み合う松田と芹沢を制した。
 彼ら二人は廣瀬・諸伏とともに最近の仕事について真面目に話していたのだ。
 
「松田と萩原はどうなの? 機動隊」
「あ? あー、マァ…」
「ボチボチってとこかな。要請があったら出動するけどそれ以外は基本訓練だし」
「確かに二人ともちょっと見ない間に随分ガッシリしたわね」
「マジ? 廣瀬ちゃん研二くんの腕触る?」
「やめとく」
 
 カレピ以外興味がない廣瀬によってバッサリ斬られた萩原はカッコいい声で「ぴえん🥺」と唸った。
 
「そういえばこの間隣の地区とのちょうど境目で事件があったんだけどさ、駆け付けたら班長がいて驚いたよ」
「あぁ、班長とヒロの担当地区近かったもんな」
「それを言うならオレと廣瀬も隣の地区だからしょっちゅう見かけるぜ。廣瀬この間泣いてる迷子に鼻水つけられて白目剥いてたろ」
「ハァ!? アンタ見てたなら助けなさいよ!」
「いいだろどうせ制服なんだからクリーニングすれば」
「廣瀬ちゃん落ち着いて。俺らなんか毎日訓練で泥だらけだぜ?」
「萩原と松田はどうせ#泥だらけ∞#青春∞#訓練終わり≠チてインスタに投稿してもイイね稼げるんだからいいでしょ。鼻水じゃイイねはもらえないのよ」
「思想が強い」
「インスタやってねぇよ俺は。ハギは知らんけど」
「ハギスタグラムって名前でやってる…」
「っぽいわ〜」
「萩原、いんすた≠チて…」
「さすがのゼロでもさすがにインスタくらいさすがに知ってるよね?」
「…あぁ。まぁ…な」
 
 諸伏の静かな圧にやられた降谷がカッコよく天井を見上げて言った。
 この後トイレで調べよう…という気持ちで。
 
 しかし降谷がトイレでインスタについて調べることはできなくなった。
 ──なぜなら、
 
「はい、降谷です」
『今すぐに警視庁に戻れるか? 都内某所に爆弾を仕掛けたという脅迫電話が届いた』
「は?」
 
 上司から緊急の電話がかかってきたからだ。
 それは降谷だけでなく、
 
「はい、萩原」
『出動できるか? 今すぐだ』
「分かりました。陣…松田も近くにいますが…」
『松田に電話をする手間が省けた。連れてきてくれ!』
 
 萩原のスマホにも上司から連絡があった。
 松田は無言でタバコの火を消し、首をこきりと鳴らした。
 続いて諸伏と伊達のスマホも鳴り出した。交番からも応援を募るのだろう。
 
『諸伏、今すぐ出勤できるか? 都内に爆弾が仕掛けられているらしい』
『伊達、所轄から応援要請だ。非番の君に行ってもらいたいのだが…』
「もちろんです。今から行きます。交番に行けばいいですか?」
「分かりました。今スグ向かいます」
 
 全員が同じタイミングで電話を切り、同じタイミングで机の上に五千円札を置いた。
 
「ごめん、俺と陣平ちゃん出動命令!」
「悪ぃ。会計あと任せていいか」
 
 萩原と松田が立ち上がり、瞬時に上着に袖を通した。緊急出動要請訓練の賜物である。
 
「オレと班長も応援要請きた。まだ仕掛けられてるところわかんないんでしょ?」
「走り回って探し出してやらぁ」
「オレと廣瀬も行こうか。オレたちも非番だし」
「そうだな、人手は多い方がいい。上には俺から説明する」
「オッケー。サトシぴにお泊りキャンセルの連絡入れる」
 
 続いて立ち上がったのは諸伏・伊達・芹沢・廣瀬の四人である。
 あんなにカレピと会うのを楽しみにしていた廣瀬も「サトシぴゴミン🥺おしごと🥺」と短文メッセージを送った。廣瀬はカレピのことが大好きなギャルだけどオマワリさん──略してギャルマリさんなのだから。
 
「僕はきっと本庁で指示を出す方かな」
「公安ってそんなことまでやるんだ…マァいいや、陣平ちゃん行くぜ!」
「オウ。…行ってくる」
 
「……気を付けてね」
 
 バタバタと出ていく同期たちを見送るのはマドンナちゃんただ一人だけ。
 実は彼らと同じタイミングでマドンナちゃんにも上司から電話がかかってきたのだが、
 
『警視庁に出勤・状況が読めるまで待機・分かり次第記者会見準備』
 
 という指示だったため、一人だけ時間に余裕があるのである。
 本当であれば自分も彼らと一緒に飛び出していきたい。
 足を使って夜の街を駆け回り、犯人逮捕に貢献したい。
 ──でも、自分に与えられた役割≠ヘ違うから。
 
「みんな多く払いすぎだよ…今度会った時返さなきゃ」
 
 泣きたくなるような歯痒さを押し殺しながら、机の上に置かれた七枚の五千円札をチマチマ回収するのだった。
 
 
 
△▽
 
 
 
「…──先ほど、都内マンション二か所に爆発物らしきものを発見致しました。現在は警備部機動隊・爆発物処理班が出動し──…」
 
 それから一時間後。マドンナちゃんは大勢のマスコミに対して淡々と状況を説明していた。
 警視庁に戻ってスグにシャワーを浴びてアルコールを全て飛ばし、綺麗にメイクをして髪をまとめた。
 
 今頃同期の彼らは、大好きなカレシは埃だらけになっているのだろうか。
 それに比べて、私は何をしているんだろう…。
 そんなマイナス思考を追い出して、マスコミに対して丁寧に一礼する。
 自分の内に秘める熱い気持ちを悟られないようにその場を去り、エレベーターに乗り込み、自席の椅子に崩れるように座った。
 
「大丈夫…だよね…」
 
 ぬるくなったミネラルウォーターを口に含み、首元で輝く模造ダイヤのネックレスを触った。
 このネックレスは、警視庁入庁直前に松田からもらったお守りだった。
 
 ──これ、やるよ
 ──お守り
 ──いつでも俺がついてるって証拠
 
 ぶっきらぼうに、それでいて優しく瞳を細めた松田がくれた宝物だ。最近のなまえは事ある毎にこのネックレスを触る癖がついていた。
 
「大丈夫。すぐに事件は解決するから…」
 
 怖かった。
 応援要請に駆り出されている同期たちが、事件に巻き込まれて怪我を負ってしまうことが。
 爆発物処理班に所属する大好きな彼が、帰らぬ人になってしまうことが。
 そして何より、自分が何の役にも立てていない現実が、怖かったのだ。
 
 なまえはしきりに「大丈夫」と自分に言い聞かせながら、今にも飛び出していきそうな自分の身体を抱きしめるのだった。
 
 と、そこへ。
 
「全員聞いてくれ!」
 
 居室の入り口が急に騒がしくなり、広報課長がバタバタ慌てながら入ってきた。
 弾けるように立ち上がって課長の顔を見る。いい知らせではなさそうだった。
 
「二つの内一つが爆発した! 人質は無事救出も爆発物処理班一名が意識不明の重症」
「……は?」
 
 喉が詰まった。
 耳がカッと熱くなり、唇が震え、指先が一瞬にして冷えた。
 
「そ、え、待ってください」
「…安心しろ。お前のコイビトじゃないさ」
 
 広報課長が呆然とするなまえの耳元で囁いた。
 彼女と松田の関係を知る数少ない人間であり、また同時に彼ら二人の仲を隠せと言ってきた張本人である。
 
「名前…何だっけ、確かハギワラ…」
「萩原研二くんですか!?」
「そうそれ」
「ッ! 命は…!」
「何とか一命を取り止めたみたいだけど重症。さっき警察病院に運ばれた。…待て」
 
 広報課長は駆けだそうとしたなまえを鋭く制した。
 
「同期なんです」
「気持ちは分かるが待て。記者会見が先だ。…原稿!」
「はい、出来てます!」
 
 ライターのお兄さんが転がるように走ってきて課長に原稿を渡した。
 この数分間で書き上げた原稿だ。
 
「病院に行くのはこれを読んでからだ」
「……わかり、ました」
「メイクを今すぐに直せ。自分の役割を忘れるな」
「…はい」
 
 いつの間にか涙が頬を伝っていたらしい。
 なまえは化粧ポーチを持ってトイレに行き、黒い涙を拭ってファンデーションで隠した。
 
「…──先ほど、爆発物が一つ爆発いたしました。人質は全員無事です。しかし警察官一名が意識不明の重体で──…」
 
 自分に課せられている役割は警視庁の顔≠ナある。だから決して揺らいではいけない。
 
 ──本心を押し殺して、上辺だけの猫を被って。警察学校の時に逆戻りね。
 ──あの時の方が数倍、数十倍マシだったけれど。
 
 心の中で悪態をつくもう一人の自分を必死に殺しながら、マドンナちゃんは淡々と上っ面の仮面で世間を見つめるのだ。
 
 ──警視庁のマドンナちゃんは猫被り、なんて。
 ──何も面白くない冗談だわ。

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