我慢すんな

8



合コン翌日。
警察学校内はとある噂話で持ち切りだった。

「ねえ聞いた? あの噂…」
「聞いた聞いた! あの子と松田くんが昨日の飲み会二人で抜けたってヤツでしょ?」
「え、私が聞いたのは松田くんと付き合いだしたってヤツなんだけど」

二次会の前に松田とマドンナちゃんが居なくなった。
参加していたメンバーからのタレコミは瞬く間に広まり、尾ひれがついた状態で警察学校中で囁かれていた。

その噂に萩原大好きっ子や降谷リアコ勢たちは「松田くんよくやってくれた!」と手を叩いて喜び、松田ガチ恋ちゃんたちは「終わった…」と世紀末のような顔で落ち込んでいる。
マドンナ協会の面々は「死のかな😌」「世界が壊れた…」「王宮を追い出され荒野に放り出された哀れな子羊オレたち」「救世主メシアよ、奴に鉄槌を」とツイッターで大暴れ中だ。

いつもよりも自分に集まる視線が多いな…と思っていたマドンナちゃんは、教室に着いた瞬間たくさんの女の子たちに囲まれて目を白黒させた。

「ねぇねぇ! 松田くんと付き合い出したって本当?」
「え、え、ごめん何の話?」

そこで漸く、その噂話を知るのだった。
口々に自分の聞いた噂話を聞かせる女の子たちに、マドンナちゃんは大きく深呼吸をすると、はっきりとした口調で「違うのよ」と言った。

「私が具合悪くなっちゃって松田くんが送ってくれただけだよ」
「…え?」
「ほんと?」
「うん。だからみんなが心配するようなことなんて一個もないよ」

最後ににっこりと綺麗に笑ってみせた。
有無を言わさないその笑みに圧倒された女の子たちは「そ、そっか…」と頷くしかなかった。

「なら、良かった…」
「そだね…」
「ていうか松田、案外優しいトコあんじゃん」
「思った。そうゆうギャップ、ウチばり弱いんだけど」
「分かるそういうのズルすぎる…そんなの好きになっちゃうぢゃん」
「それな?」

松田ガチ恋ちゃんたちは全員肩の力を抜いた。
萩原大好きっ子や降谷リアコ勢たちもさっきまでの剣呑な雰囲気は何処へやら、キャッキャと黄色い声で騒いでいる。
一匹狼気質でぶっきらぼうなイケメンが見せた、ちょっとした優しい部分が大いに刺さったので。
女の子たちはとことんギャップに弱い生き物なのだ。


「陣平ちゃん、何も言わなくていいの?」
「うるせぇなハギ。…んなモン、好きに言わせとけばいいっつの」

その頃松田も、別教室で遠巻きにヒソヒソされていた。
早朝に芹沢から「天誅!」という怒声と共に叩き起こされた。案の定教官からしこたま怒られてから、連帯責任で地獄のスクワット百回をやらされた。ので、機嫌がめちゃくちゃ悪いのだ。

何か言いたそうな顔で降谷がコチラを見てくるが、その視線にも完全無視を決め込んだ。



△▽



授業終了後、教官から雑用を頼まれたマドンナちゃんは資料室に教材を運んでいた。
あの後何回か、他の女の子たちからも『いま流れてる噂話って…』と聞かれた。
その度に笑顔で『彼とは何もないのよ』と答えて誤解を解き続ける羽目になったのだ。

「よいしょ…っと」

資料室の机にドサリと教材を置いて床に座り込む。
貼り付けた笑顔がドロドロと剥がれ落ちる感覚。

「しんどい」

たった四文字を絞り出す。
何とか誤解を解くことには成功したものの、なまえの心は疲れ切っていた。

昨日、飲み会中に聞いた伊達にカノジョがいる≠ニいう話。
飲み会を抜け出した先で男たちに囲まれた恐怖。
助けてくれた松田からもらった不器用な優しさ。

昨日あった事柄すら、まだ自分の中で咀嚼しきれていないのに。

「伊達くんを好きって堂々と言えないのが、一番ヤダ…」

私、伊達くんが好きなの。だから松田くんとは何もないのよ。
その一言さえ言えれば、面倒な言い訳を何度もしなくて済むのに。
陣平も同じようにいろんな人から言われてるのかな。そこまで考えて、自己嫌悪でクラクラした。

マドンナちゃんは資料室の床に座りこんだまま、ボケっと天井を見上げた。
ここは学校の端にあるため、ほとんど人が通らない。
シィンと静まった空間は、思考をドンドン悪い方へ引きずり込む。

ズブズブと沼の底に沈んでいくような倦怠感。
暗くて冷たい闇に呑まれていく感覚。
幾ら取り繕っても、根っこの部分は何も変わらない。
ウジウジして、ちっぽけで、弱い。嫌いな自分のまま。

沈んでいく気持ちに逆らうことなく、ゆっくりと目を閉じた。



「…オイ! 大丈夫か?」
「……ぇ、」

肩を揺さぶられて覚醒した。
いつの間にか眠ってしまったらしい。

どのくらいの時間寝てしまったのだろう。
壁に掛けてある時計を確認しようと上を向く。
モヤがかかったような視界がだんだんとハッキリしていって──。

「だ、伊達くん!?」
「応」

肩を揺さぶっていたのは自分の想い人だったという衝撃に、慌てて立ち上がった。

寝顔見られた。
ブスじゃなかったかな。
何で伊達くんこんなところ来たんだろう。
起きたら伊達くんのドアップとか心臓に悪すぎる。
ていうかもしかして今二人っきり…? だいじょぶそ? え、無理なんだけど。

グルグルそんなことを考えながら、忙しなく前髪とかを弄る。

そんななまえに、伊達は「寝てただけか…焦ったぜ」と安心したように笑った。

「お前がいないって廣瀬が騒ぐからよ。探してたんだ」
「あ…そ、そうなんだ。ごめん」
「無事でよかったよ」

太陽のような笑みに、先程まで沈んでいた沼の底から引き上げられたような気がした。
あたたかい陽だまりに溶けていくような心地よさに、思わず目を細める。

「(あ、そっか…)」

心の中にストンと落ちた気持ちに小さく息を吐いた。

──だから私、伊達くんのことを好きになったんだ。

中学の時もそうだった。
毎日続く嫌がらせに対して平気な顔をしながらも、心は疲れ果てていた。
私は悪くないのに。
どうしてこんな思いをしなくちゃいけないの。
なんで誰も助けてくれないの。
馴染もうとしなかった自分も悪いのに。それを全て棚に上げて、ひたすら俯いて被害者ヅラをしながら耐え忍んでいた。

そんな時、伊達が声をかけてくれた。
屈託のない満面の笑みを見た瞬間、世界が変わったのだ。
灰色だった世界が一気に色付いたような。
無音だった世界に綺麗な音楽が流れ出したような。

だから。


「そういや、今日聞いたんだけどよ」
「なぁに?」
「松田と、…その、付き合ってんのか?」

伊達のセリフにヒュ、と息が詰まった。

「松田は良いヤツだよ。よく勘違いされちまうけど…根は優しいし器用だし…きっとお前のことを幸せにしてくれる」
「…やめて」

尚も松田の良いところを話そうとする伊達を静止する。
お願い。やめて。そんなこと、言わないで。
心臓の音が煩い。
呼吸の仕方もわからなくなってきて、はくはくとした浅い息の音だけが唇から零れた。

「ちがうの」
「え?」
「伊達くんには、分かって欲しくて…そんなこと、言って欲しくなくて…」

そこで言葉を切る。
泣きたいくらいの緊張で身体が震えた。
ギュ、と胸の前で固く手を結んで、大きく深呼吸をする。

大丈夫。

言える。

「わたし、ずっと、伊達くんが好きなの。…中学の時から、ずっと」



△▽



「松田と、…その、付き合ってんのか?」


一緒にお菓子食べようと思ってたのにあの子どこか行っちゃったの! と騒ぐ廣瀬に捕まった伊達班の面々は、マドンナちゃん探しに付き合わされていた。
それは松田も例外ではなく、耳元でギャンギャン騒ぐ廣瀬に『分かったって! うるせぇな!』と噛み付いた後、だだっ広い構内をアテもなく彷徨っていた。

『あいつどこ行きやがった? …ったく…』

いつもの喫煙所にもおらず、また授業の質問でもしてんのか? と教官室を訪れたところで『…ああ、資料室に教材を運んでもらってるぞ』と有力情報を得た。
ヤレヤレ、と資料室の前まで来たところで。躊躇いがちな伊達の声が聞こえてきたのだ。

その声に、資料室の扉にかけた手を咄嗟に引っ込めた。
息を殺して、扉の小窓から中の様子を覗き込むと。

探していた女と、その想い人が二人きりで見つめあっていた。

──絶対にここに居たらダメだ。早く立ち去らねぇと。
頭では分かっているのに。身体はガチガチに固まっていて、その場に生えてしまったように足が竦んで動かない。

ドクンドクンと心臓の音が耳鳴りのように響く。

まるでアクション映画のクライマックスを見ているときのように、目線は釘付けのまま。
小窓越しに見える二人は、まるで別世界のようだった。

松田の良いところを並び立てる伊達をなまえが遮る。
震える声で「ちがうの」と告げた彼女は尚も続けた。

「伊達くんには、分かって欲しくて…そんなこと、言って欲しくなくて…」

ギュ、と胸の前で手を結んで、大きく深呼吸をする。
覚悟を決めたのだろう。まっすぐに伊達を見上げて。

「わたし、ずっと、伊達くんが好きなの。…中学の時から、ずっと」

ついに、十年近く秘め続けた想いを 伝えたのだ。


「ッ!」

ドクン! と松田の心臓が握り潰されるように痛んだ。

ずっと応援してきた。
サポートしてきた。
やっと言えたな。頑張ったな。

そう思わなきゃいけないはずなのに。

どうしてだか松田の心臓は、苦しい程に痛むのだ。



「そっか。…悪ィ。無神経なこと言ったな」
「…ううん、大丈夫」

松田の耳に、再び二人の声が入り込んできた。

申し訳なさそうな顔で頭をく伊達と、どこかすっきりした顔で見上げる女。
第三者に見られていることなど知らない二人。
松田は、彼らを額縁の向こうの絵画を見るような目で見つめる。

「それと。……ごめんな。俺、カノジョいるんだ」
「…いいの、わかってたから」

伝えたかっただけなの。
なまえは振られてもなお、綺麗に微笑んでいた。
それは、大輪の牡丹が綻んだような、マドンナちゃん≠ニいう名に相応しい。そんな笑顔だった。

「これからも友達≠ニして、仲良くしてくれたら嬉しい」
「ああ」
「…ありがとう。聞いてくれて」

じゃ、私行くね! にこにこしながら伊達に背を向けて歩き出す。
咄嗟に松田は隣の空き部屋に忍び込んで息を殺した。

マドンナちゃんは笑顔のまま資料室を出ると、脇目も振らずに駆け出した。

──向かう先など、見なくても分かっていた。



「ちゃんと、言えたよ」

やっぱり、いつもの喫煙所に彼女はいた。
息を切らせて入ってきた松田に対して「マ、案の定フられちゃったけど」と気丈に笑ってみせる。

でも。その笑顔は、先程まで伊達に向けていたモノとは少し違っていた。
白い頬がヒクヒクと痙攣しているし、目の奥の光はいつもの半分もない。

必死に泣かずまいとしているのだろう。
いつも完璧な角度で弧を描く唇を噛み締めて。
柔らかで細っこい指先を握り締めて。

「我慢すんな」

松田は、目の前で必死に痛々しい笑顔を浮かべる女の小さな拳をそっと包んだ。
ギュ、と握り締められた白い手は、驚く程に冷たい。
やわやわと拳を解いて、冷たい指先ごとあたためる。

「…今、ここには俺とお前しかいねぇから」

無理、すんな。
松田の言葉に。ぽろり とひと粒だけ、その綺麗な瞳から涙が零れ落ちた。

「──ッ!」

我慢できたのはそこまでだった。
抑えきれなくなった感情が、女の中で爆発した。

「…ど、して…!」

グシャ、と歪めた瞳から次々に雫が溢れ出す。

女の中で爆発した想いは、嗚咽とともに小さな唇から転がり落ちる。

どうして、私じゃないんだろう。
どこで間違えたんだろう。
何がダメだったんだろう。
どうして。どこが。何が。いけなかったんだろう。

中学の頃から明るければ。
あの時もっとアピールをしていれば。
高校も大学も、同じところに行っていれば。

涙とともに零れ落ちるのは、後悔ばかりだ。

「わたしの方が好きなのに…! ぜったい、そうなのに…!」
「ッ、!」

松田が聞いていられたのはそこまでだった。
苦しそうな表情も、零れ落ちる雫も、見ていられなかったから。
あたためていた指先から手を離して。

「…ごめんな」

一言だけそう言うと、目の前で泣きじゃくる女を震える肩ごと抱き締めた。

左手で肩を引き寄せて。
右手で頭を自分の胸板に押し付けて。

自覚してしまったのだ。
今まで、見て見ぬふりをしていたのに。
必死に、そうならないように押し殺してきたのに。


──ああ、俺、コイツが好きなんだ。


一度認めてしまった気持ちは、収まることを知らない。
気づきたくなかった。知りたくなかった。

「…ちくしょう」

小さくそう呟いて、女を抱き締める腕に力を込める。

なんだってこんなめんどくせー女、好きになっちまったんだ。
かわいい面して、一途で、馬鹿で、不器用な女。

すきだ。
好きなんだよ。

だから、そんな顔すんな。
頼むから。なあ。笑ってくれよ。

「俺が、何とかしてやるから」

アイツじゃなきゃダメなんだろ。
降谷でも、俺でもない。
伊達じゃなきゃ、お前は心の底から笑えないんだろ。

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