「名前、邪魔するぜ」

午後三時。
大学の講義も終わり名前の家にあがる。彼女の部屋はさほどキャンパスから遠くなく、承太郎の下宿よりも通いやすい場所に位置していた。ジョセフの斡旋もあってか大学生の下宿先にしては悪くないものだろう。
その一室、応接間のソファに承太郎は腰を下ろすとテーブルの反対側を見つめた。緊張と居心地の悪さと、飢えが入り混じったような表情で名前は座っていた。

「あの、本当にいい、んですよね…?」
「ああ、好きにしな」

旅の間には見られなかった表情だった。
上着の前をあけ誘うように胸を張るとネズミを追う猫のような視線が這わせられる。名前に始末された刺客もこの視線を味わったのだろうか。名前はそっと慎重に、臆病さすら感じられる動きで立ちあがり、承太郎の隣に腰掛けた。するりと伸ばされた腕は引き締められた腹筋をなぞり承太郎の横顔を観察する様に顔を寄せた。じっとビー玉のような目玉が獲物の反応を伺っている。

「痛かったら、いってください。あとで…ちゃんとなおしますから」
「信頼してるぜ…お前のスタンドには世話になったからな」

つぎはぎのテディベア、彼女のスタンドなら大概の傷は塞げるだろう。切って貼って縫いとめる、まるでおもちゃの修理のように人体を弄ぶ能力は彼女の嗜虐心から生まれたのかもしれない。あるいは傷つけたことへの罪悪感だろうか。かわいらしいクマがべろりと自分の皮を剥いで縫いつけてくるのはかなりのインパクトがある。時間が経てば皮膚に同化していくとはいえ旅の最中はみんな全身パッチワークだった。

「…ッ!……」
「考えごとですか?」

ギリギリと腹に爪を立てられる。
鋭く削られているのか薄い皮膚を破り血が流れだす。この間までまるく整えられていた爪のにわざわざ形を変えたのだろうか、今日おれをいたぶるために。痛みよりも名前の肉体を変えた興奮が勝る。頭を冷やせ、喰われて喜ぶ被害者がいるか?相手の好みに自分を近づけるべし、ポルナレフのやつが持っていた雑誌にも書いてあったじゃあねえか。

「……すまねえな」
「ううん、別に大丈夫です。わたし、がんばりますね」

がんばるってなにをがんばるんだ。
何かを納得したような顔で名前は頷いている。先ほどまで爪が食い込んでいた傷口をすりすりと指先で撫でている。この状況で名前が努力することといえばひとつしかない。スゥ…と自分の血の気が引いていく。名前のスタンドは回復系、つまり普通なら止まる一線が彼女にはない。

「承太郎くんはカッターと缶切り…どっちが好きですか?」
「……なかなかにヘヴィだな…」

冷や汗が背筋を滑り落ちる。
相手の好みに近づける必要なんてなかったかもしれない。この分ではさぞスタンド戦は眼福だったに違いない、名前の趣味は予想以上に過激らしい。だが逆に考えればこれに付き合える男はおれ以外いない以上名前の中の『特別』になれるのは間違いないだろう。
それに、とっくにこの程度は覚悟していた。

「カッターにしておけ。慣れん道具は使うと怪我するぜ」
「……へへ、承太郎くんはやさしいですね」
「切るなら一旦脱がせてくれ。シャツが汚れちまう」
「はぁい。わたしもカッター取ってきますね」

ととと、と部屋を出て行くのを尻目に立ち上がる。
上だけ脱いでおけばいいだろう。そのうち過激なことをされるとは思っていたが予想以上にペースが早い。スタンドもあるにせよ信頼があるのだろう、あるいは甘えとよんでもいいようなものが。何度も死線をくぐり抜けた甲斐があった、惚れた女に、刃物くらい使わなければならない男だと認識されているのは少しばかり嬉しいものがあった。適当に服を脱ぎソファの隅に寄せ腰掛けた。名前がどんな顔で虐げるつもりなのかを思うと鼓動が速くなる。おれだけに見せる顔はどんなものだろうか。探究心と独占欲と優越感に釣り上がる口元を宥め笑いを飲み込んだ。

「おまたせしましたっ」
「ん、切りやすいよう立った方がいいか?」

本当に、本当にいいのかもしれない。
リビングから出てすぐ、ほんの1分もいらない書斎の棚に凶器は置いてある。ゆっくり取りに行っても服を脱ぐ時間もないだろう。その距離にあって名前が部屋に戻るのが遅れたのはひとえに承太郎を逃すためだった。わざとゆっくり歩いて、部屋で深呼吸して、カッターを手に取って三十数えた。それで、その上で承太郎が『帰っていなかった』場合に備えて刃先の消毒をして戻ってきたのだ。

彼は、承太郎くんは、逃げてなんていなかった。
あの吸血鬼にも臆さなかったのだからわたし程度には当然かもしれない。こんなちゃちな文房具でできることなんてたかが知れてるのかも。それでも名前に取っては『秘密』を打ち明けた人間がその身を差し出してくれているのが信じられなかった。ドキドキする。口が渇いて、手が汗ばんで、視界がいやにまぶしい。この綺麗な人がわたしのために顔を歪めてくれたらどんなに、どれだけ、

「座っててください。そっちの方が安定するので……」

夢見心地で名前はキチリ…チチ……と刃を出した。
治療に何度もみた肌が妙になまめかしい。思わず逞しい胸筋に手を滑らせるとびくりと体が揺れた。

「緊張、してるんですか…?」
「……まぁ、な」

ふいと逸らされた視線がかわいい。
手のひらから伝わる鼓動は速く、そっぽを向いた横顔は僅かに赤く染まっている。よく見れば筋肉はこわばり肌はしっとりと水気を孕んでいた。これが今からわたしに食べられてくれるひと。そう思うと心臓がぎゅっとする。今だけは、この瞬間だけは好き、かも。そう思うと体が離れているのがもったいなく感じられてきた。はしたないかな、でもこれくらい、このぐらいはいいんじゃあないかな。衝動が体を突き動かす。

「…ッおい、これは、」
「少しだけ、ちょっとだけなので……」

いやこの体勢はまずいだろ。
そう思うも名前のとろりとした目に見つめられると言葉がひっこんでしまった。胸に置かれた手はそのままに膝の上に乗られてしまったのだ。何がまずいっておれの息子がだ。空条承太郎19歳、まだまだ若い盛りである。潤んだ瞳でゆるく微笑みながらしなだれかかってくる惚れた女に反応しない訳がないのだ。これで怯えられでもしたらと思うとたまらない。肌に当たる吐息が熱い、名前の髪が近づくほどいい匂いが濃くなる。勘弁してくれ。

「やるなら、早くしてくれ…頼む……」

とうとう目をつむりトドメを懇願するかのような言葉を吐いた承太郎に言いようのない興奮が全身を包む。こんなこと、どんな強敵相手でも言わなかったのに。まっさらな肌は体質なのか女よりも白く美しい。こうして、わたしにその肉を触れさせてくれるところも。もっと、もっと歪んだ顔が見たい。刃先はもう少し出してもいいかな、内臓だって戻せたんだから…

「えへ、エヘヘヘヘ……」
「っは、…ぐ、ぅ、…ッ、…ふぅ、はぁ…ぁ、ゥ、」

ゆっくりと胸元に食い込んでいく刃は予想以上に痛い。
戦場であればアドレナリンで和らぐものが直に響く。ゆっくり、ゆっくりと切られているため熱感から痛みに変わるまでが速い気がする。刀のスタンドと戦った時よりも浅く、殺意がない傷だが状況こそが承太郎を苦しめていた。うっとりと見つめてくる名前の視線、否応でも緩んでしまう緊張、それに加えて切りつけるために名前が体重をのせた場所もよくなかった。開いた足と足の間に置かれた膝がしっかりと膨らみを押している。体重を移動されるたびに体が震えてしまう。ウブだとは思っていたがまさか気づいてないのか、それともそれ以上におれに集中しているのか。どちらにせよやばい、いや後者だとしたら余計にやばいだろうが逆に高ぶることを考えてどうするんだ。

「…ね、どうですか?いたい…?」
「あぁ、…ッ、痛え、な……」

薄く目を開くと至極うれしそうな顔の名前が瞳に映る。五センチほどの傷からは血が流れ臍まで届いていた。ずっと抑圧していたのだ、初めて振るった暴力はさぞ甘いのだろう。ぐずぐずに蕩けるような熱っぽい瞳も蜂蜜を舐めるようにゆるんだ口元もかわいらしい。ぐぅと鳴る喉を必死に抑え承太郎は言葉を吐き出した。過去これほど痛覚に集中したことがあったか。切り傷も痛いが股間も痛い。刃物で刺されてイっちまうような変態だとは思われたくねえ。密かに男のプライドをかけた戦いが始まっていた。

「痛い、痛いんだ…へへ、ふふふ……」
「ぅ、ぐ…ッ、はぁ…はぁ、ァッ、!……ふぅ…」

一度切った傷に平行にもう一回、次はバッテンを描くように切り傷に垂直にもう一回。痛みと混ざり合う快楽に息を荒らげ、少しでも興奮をおさめようと目をつむり、身を捩るたびにびくりと筋肉を跳ねさせる承太郎の姿は幸か不幸か名前には苦痛に耐えているようにしか見えなかった。痛いのに我慢して、身を差し出している。苦痛に喘ぐ姿はかわいい、それがわたしのためのものならもっとかわいい。だらだらと流れる血は暖かく指先を潤わせてくれる。あともう一回、あともう一回だけ。欲深いおんなだと思われちゃうかな、ふふ、えへへ、どうしようかな。

「ね、ね、あと一回だけでおわりにしますから、あと一回、深く切っていいですか?ね、承太郎くん…おねがい…」

ほう、と息が承太郎の耳元で震えた。
情事のような、色を煮詰めたなまめかしい表情で名前懇願してくる。なんだその顔は、もう限界だといってるだろうが。主に股間が。だがここを堪えれば終わるのだ。声も出したくなくてコクリと頷く。名前には痛みに声も出ないようにみえていたが実際は意識を逸らすのに必死だったからにすぎない。うっかり喘ぎでもしたらどうする。

「じゃあ、いきますね……」
「……ッツ、ぐ、〜〜〜ッ、ふ、ぁ゛、ぐ、」

喜色満面に抜いた刃先はしっかりと筋肉を貫いた。
痛い。金属が皮膚を裂き筋肉まで埋まる。はっはっと欲情ではない理由で息が上がった。ちゃちな快楽など踏み潰してくれる激痛に歯をくいしばる。薄く目をあけると嬉しそうに指先で血を伸ばす名前がいた。

「ありがとうございます…」
「かまわん。……一旦どいてくれねえか」
「あっはい!」

今自分がどんな体勢なのか気づいたのか慌てて飛び退く。さっきまであんな淫靡な顔をしていたのにこれだ。やれやれ、さっぱりわからん。痛みのおかげで萎えたのか逸物も落ち着き一件落着、というところだった。まだ若干燻ってはいるが十分誤魔化せる範囲だろう。ぺたぺたと手についた血で遊ぶ名前に目を向ける。うっとりと夢みるような瞳は落ち着いたがどこか浮かれていた。

「そろそろ治してくれ」
「ん、ん、はあい」

ペタペタと現れでたひとかかえほどもあるツギハギのテディベアが自分の体からずるりと糸を抜いた。あとは体に刺さっている針で傷を縫うだけ。2、3日もすれば傷跡すら残らないだろう。何度見てもこの丸っこい手でよく縫えるもんだと感心してしまう。スタンドとはいえ興味深いものだった。

「……楽しかったか?」
「はい!……大丈夫ですか?」
「これぐらい余裕だぜ」

隣に座った名前に頷いた。
今まで負ったことのある怪我と比べてしまえば子供のお遊びのようなものだった。それでこの笑顔が見れるなら安いな。そう思ってしまう程度には承太郎は名前にまいっている。高揚が抜けないのか頬を赤らめている名前に承太郎は薄く微笑んだ。

「メンドベアー、もう終わったの?」

彼女の問いに答えるようにスタンドが頷く。
口を縫われている割におしゃべりなクマはぴょこぴょこと跳ねながらサムズアップする。自我はあるが喋れない彼のおかげでなんとか承太郎の尊厳は保たれていた。なんなら下腹部の膨らみに同情的な顔をしていた。クマのくせに。

「……ありがとうな」

わしわしとツギハギの頭を撫でるとぱたぱたと手を振ったあとに消えた。あとはお二人で、ということだろう。どこまでもニクい奴だ。血を拭けば暴力の跡など欠片も残さず消えるだろう。渡されたタオルで軽く体を拭きシャツに袖を通す。思ったよりも熱中していたのか窓の外はだいぶ暗い。求愛してきた男が夜まで部屋に居座るのは不安だろう、そろそろ出た方がいいか。

「あれ、もういっちゃうんですか」
「あぁ、…もっとしたかったか?」

上着を羽織ると声をかけられた。
心なしか残念そうな声色で思わず口角が上がる。名前の執着がおれに向けばいい。逃がす気はないのだ、どんな形でも手に入れてみせる。そう問いかけると名前は顔を赤らめぶんぶんと首をふった。

「今日は!もう大丈夫です!!」
「そうか」

そう強く言われると残念な気がするがこちらから押すのは違う気がするので玄関に向かう。またこの部屋に来ることもあるだろう。帽子をかぶりドアノブに手をかけてから振り向く。

「またシたくなったら呼んでくれ。電話番号はわかるな?」
「はい、あの…」
「なんだ、」

背中から軽く抱きしめられ一瞬息が止まった。

「すごく、すごくよかったです…承太郎くん、ありがとう」

やわらかでひどく嬉しそうな、安堵が滲む声。
顔が見れないのがもったいなく感じられるほどの声色だった。思わず抱きしめ返したくなる。名前が背中側にいるせいでできないのが惜しい。仕方なしにつむじを撫でると腕の力が強くなった。この時間があるならどれだけ切り刻まれても構わない、そう思ってしまえるほどには幸せな拘束だった。

「…そりゃあよかった。ちっとは好きになってくれたか?」
「ふふふ、どうでしょうね?」

茶化すようにいうとくすくすと笑いが返ってくる。
見下ろしてくる緑がかった瞳は名前にはまどろむように優しい。誰かに話したところで誰も信じてくれないだろう、ジョジョがこんな笑い方をするだなんて。頭を撫でていた手がするりと落ちる。今日したことなんてわたしがしたがっていることのほんの一部だ。これっぽっち舐めただけでは受け入れられたと思えない。でも、それでもたしかに友情から一歩踏み出した気がした。どこに向かっているのかはわからないけれども。

「それじゃあ、また今度」
「ああ、また、な」


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