「めちゃくちゃにしたくなるんです」
ふるりと桜色の唇が揺れた。
エジプトでは凛と敵を睨みつけていた瞳は自己嫌悪と申し訳なさに濡れ、まばらに雑草の生えた地面を見つめている。小さく今にも消えてしまいそうな声は名前の性をとつとつと伝えていた。
「えっと、その、…そうなってもらえないと愛されていると思えないし、好きにもなれないんです、だからその…ごめんなさい」
今まで誰にも伝えることなく仕舞い込んでいたのだろう。ひょっとしたら認めたくなくて目をそらし続けていたのかもしれない。承太郎に話す口ぶりも言葉選びも拙い。飛躍する点と点を結ぶような語り口に少し戸惑い、ゆっくりと飲み込んだ。
「……つまり、てめえはそいつがズタボロにならねーと『好意』を信じれないし愛せない、というわけか」
一層顔を伏せる名前にようやく納得がいった。
ひんまがった加虐趣味と人間不信とでもいえばいいのか、これほど特異な性癖では白状するのに懺悔のような面持ちにもなるだろう。心底その趣味を恥じ隠そうとしてきたに違いない。少しばかり凶暴なところがあるとは思っていたが名前は見事に歪みを隠していた。
「……どうしても、駄目なのか」
「どうしても、どうしてもダメで、今まで誰も好きになれなかったんです、…こんなのでごめんなさい」
軽蔑、しましたか。
自嘲すら滲ませて呟いた。
好意を抱いた相手を傷つけたくなる。そんな歪な愛し方しかできない生き方は苦しかったに違いない。いっそ突き抜けた外道であればよかったのかもしれないが内に秘めた高潔さが己を許さなかったのだ。自覚した時から衝動に従ってはいけないと抗い、好意を寄せた者を自分自身から守ってきたのだろう。
そうして隠れて隠していたものを暴いてしまった。
本人が直視することすら避けていたものを白日に晒してしまった。誰にも見せずにいた欲望を、おれが。
おれだけが『これ』を知っている。
そう思った瞬間に体に走ったのはなんだったのか。
ゾクゾクと肌が泡立つような興奮が湧き上がる。
飲み込んだ唾が予想以上に大きな音を立て名前に聞こえていないか気になった。俯いたままの名前には見えてはいないだろう、彼女が顔を上げる前に吊り上がろうとする口角を抑えなければ。なんとか冷静をつくろい興奮を飲み込む。
「…おれがめちゃくちゃにされたら惚れてくれるんだな?」
「……ぇ、」
ぱちりとあげられた瞳は大きく続きを促すように見開いている。縄張りに入った獲物をみるような、爛々と輝く双眼が承太郎を見つめる。今にもその胸を引き裂いてやりたいとでもいうような名前の顔に抑えたものがあふれそうになる。
「フラれたらフラれたで傷つくぜ。どうせなら惚れた女にされた方がイイとは思わねえか?」
「…いいんですか…いっぱい、酷いことしますよ」
もはや答えは決まったようなものだ。
夢中になってか一歩また一歩と近づく名前に笑顔がこらえきれない。不敵な笑みに見えていればいいが。夢遊病者のように、どんどんと名前の体が近寄ってくる。ずっと我慢してきたのだ、きっと本当に酷いことをされる。誰も知らないこいつの一面が、おれだけにぶつけられ、明かされていく。
「死なねえ程度に頼むぜ」
「本当に好きになるまで時間がかかるかも…」
それは探求心とも好奇心とも近く、そして何より独占欲に似た仄暗い欲望だった。『好きになるまで』に名前がおれを傷つければ傷つけるほど戻れなくなる。どんどん過激に、さらに歪んでおれ以外に見せられなくなる。必死に抑えていたのだ、時間はかかるかもしれないが一度味を知ってしまえば離れられなくなるだろう。坂を転がり落ちるようにこの衝動は加速する。そんな予感に承太郎は頷いた。
「気は長いんでな」
猛獣の食らいあいのような契約が始まった。
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