「あれ...リョーマ、薫くん相手によく粘ってる」

「ふふ、園田にはそう見えるかい?」

「え?」



試合に目を向けたままにこやかに言う不二の言葉に、すずはリョーマと海堂のラリーを観察した。相変わらず左右に打ち分ける海堂と、それを追いかけては拾うリョーマ。一見すれば翻弄しているのは海堂に見えたが、リョーマが打ち返す球の低さとコースの深さに気づいて、すずはハッとした。



「そっか!あのコース...リョーマもだけど、薫くんも同じくらい体力を削られてるんだ」

「低くて深いコースは通常よりも体力を使うからね。左右に走らされている越前同様、海堂の疲労も大きいと思うよ」



不二が言う通り、越前と海堂はすごい量の汗をかいていた。



「2人ともすごい汗...」

「っ、!」

「!?、薫くん!」



不意に海堂の膝が落ちて、体がコートを滑った。なんということだろう。あの海堂が転ぶなんて。試合中に足がもつれるほど、疲れているのだろうか。



「お、なんだ?海堂の方が先にガス欠かにゃ?」



海堂はプレイスタイルが示す通り、青学の中でもスタミナには定評がある選手で、本人もそれを自慢としている節がある。その海堂を、いくら上手いとはいえ入部したての新1年生か凌駕するなんて、そんなことがあるのだろうか。



「疲れている量は同じでも、相手の作戦に気づいていた者と、ギリギリまで自分の優位を信じて疑わなかった者とでは、精神的疲労度がまるで違う」

「...策に溺れたな、海堂」

「...」



その後の展開は、すごいの一言に尽きた。体力をいくら削られようと、海堂は青学のレギュラー。試合中に大切なもう一つの力、精神力だって、海堂の自慢の一つ。海堂もリョーマの作戦に気づいたらしかったが、なんとか持ちこたえ、試合は互角だった。



「ねぇ、スネイクってさ、」



不意にリョーマが言った。そして、



「バギー...ホイップ...ショットの...ことだよね!」

「えっ...」



放たれた打球は大きくカーブして、海堂のコートに吸い込まれ、そしてフェンスにあたって落ちた。



「...スネイクだ」

「なんであいつが?」



菊丸と河村が驚いて言うように、今リョーマが打った打球は紛れも無くスネイクだった。厳密に言えば、リョーマが打ったのはバギー・ホイップ・ショット。スネイクの元になっていて、世界の有名選手も大きな武器としている打球で、以前部室に置いてあった雑誌で打ち方が紹介されていたが、もちろん読んだだけですぐにできるようなものではないし、まして試合中に見ただけで真似できるようなものでもない。



「...すごい、リョーマ」



しかしそれをこの新1年生は、リョーマは、今確かにやってのけた。










リョーマはすごい。聞いていた話よりも遥かにすごい。2年生とはいえ、海堂は青学の正レギュラー。2年生の中でも桃城とともに頭一つ抜きん出た存在である。その彼を破ってしまうなんて。すずは信じられない気持ちで、しかし心の底からリョーマをの勝利を祝った。

が、同時に海堂の心境を思うといたたまれない。後輩に、1年生に、自分の得意な作戦をそのまま返された上、得意技のスネイクを目の前で決められて負けたのだ。プライドが高く、またストイック過ぎるほどストイックな彼のことだ。きっと、



「クソッ!!」

「!?」



悔しそうな声と共に聞こえた鈍い音に驚いてコートに目を向けると、そこにはラケットで自分の膝を何度も叩く海堂がいた。そして、握手をしようとネット越しに手を差し出すリョーマも無視して、海堂はコートの外へと歩き出した。その様子にすずは表情を固くした。



「あちゃー」

「相変わらずだな、彼は」



菊丸と不二の呆れ声を背中で聞きながら、固い表情をそのままにすずはコートの入口へ走った。そしてコートから出ようとする海堂の前に立ちはだかった。



「薫くん」



すずのいつもより強い呼ばわりに、海堂は答えなかった。しかしすずはブレずに海堂を見上げたまま、腕を組んで続けた。



「何、無視するの?」

「うるせぇ、どけ」



海堂はすずを見ること無く、目線を横にずらして低く答えた。その声色は分かりやすく苛立ちを含んでいて、リョーマを祝いにコートに入っていた1年生トリオはヒエッと怯えた声を上げたが、それでもすずは姿勢を崩さず、それどころかさらに強く言った。



「やだ」

「はぁ!?」

「やだったらやだ!!」

「テメェ何様のつもり、」

「今の薫くんの言うことは死んでも聞かない!!」

「っ!」

「負けて悔しいのはわかるけど、だからって自分を傷つけていい理由にはならない!!」



半ば怒鳴る様に言うと、すずは海堂の右腕を掴んだ。驚いてすずを見た海堂の右手に握られたラケットには血がついていて、そのラケットで叩かれた左膝は赤くなり、血が流れていた。すずはそれらに目を走らせて眉間にシワを寄せると、再び海堂を睨むように見つめた。



「何様って言ったよね。マネージャーです。あなた達青学テニス部のマネージャー。だから私には、あなたの体調やコンディションを管理する義務があるの」

「っ、」



すずの強い口調に言葉を詰まらせた海堂は、舌打ちをしながら顔ごとすずから目線を逸らした。



「分かったら黙って着いてきて」



すずは海堂の腕を離すと、くるりと身を翻して部室へと歩き出した。海堂は暫くその場に立っていたが、すずが振り向いて再び呼ばわると、渋々と言った様子で部室へ歩き出した。



「すげー...園田先輩」

「あの状態の海堂先輩に声をかけて、まして叱るなんて...」



その様子を呆然と見つめていた1年生トリオは、驚いた表情をそのままにコートから出てきた。リョーマもラケットを仕舞ってコートを出ると、スコア番の席に座る大石に何やら声をかけているすずを見つめた。



「言ったろ?我が部のマネージャー様は怒ると怖ぇんだよ」



肩を竦める桃城の後ろから3年生のレギュラー達が歩いてきて、同じ様にすずたちを眺めた。



「園田が本気で怒ったら、手塚も逆らえないんじゃないかな?」

「ふ、不二先輩...マジっすか?」

「ふふ、どうだろう?ねぇ、手塚」



楽しげに手塚を見やる不二と、逃げるように目線を逸らす手塚、あながち否定はできなそうだと表情で語る他のレギュラー陣。諸先輩方の反応を見て、あの小さなマネージャーはどうも只者ではないらしい、と認識を改めた新入生たちだった。


20161003

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