彼はそれを愛と言った | ナノ 本当の悪夢




ドメスティックバイオレンス。
どうして妻は夫の元から逃げ出せないのだろうと母はよくドラマを見る度に首を傾げていた。



そうだねと答えながら、喜代史はいつも心の中で呟く。
それは、覚えているからだ。
どんなに酷いことをされても嫌いだと叫ばれても、
覚えていた。高里が優しかったことを。高里が自分を殴りながらいつも泣いていたことを。
足蹴にしながら、泣いていたことを。

好きだから。好きなのに。

彼はいつもそう言った。
その痛みは自分のことが好きだから与えられるものだと理解するのにそう時間はかからなかった。
あの頃の自分は高里に嫌われたら世界が終わると信じていた。たった一人の大事な友達と。


『キヨ』


この体が覚えているのは彼が与えた痛みだけだったけれど、
喜代史は彼が優しかったことをちゃんと覚えていた。

だけど同時に彼は恐怖の象徴以外の何物でもなかったのだ。













「中江君、さっきから呼ばれてるよ?」
「あ……?」


顔をあげると一人の女子生徒が立っていた。たしか去年もクラスが同じだった……名前は忘れた。
二年生になって二週間だが、喜代史はクラスメイトを覚えようともしていない。

喜代史は彼女に言われるままに、教室のドアに向かった。昼休みに呼び出されるような心あたりはなかったが、さっきから自分を呼んでいたというその男を間近で見るとますます心あたりがない。

明るい金髪。耳にはシンプルなシルバーピアス。
長身の部類に入る喜代史とそう変わらないその男は、外見だけで判断するならしっかりバッチリ「不良」だった。


「………何」


ぼうっとしたまま口を開くと不良(?)男子はビクリと肩を震わせた。


「あの、俺……塚越正宏って言います」
「だから?」
「その…………中江さん、俺を弟子にしてください!!」
「………は?」



外見はバッチリ不良な癖に塚越は見事に顔を赤らめている。
――正直、気持ち悪い。

大体、上履きを見れば同じ二年生ではないか。それなのにさん付けって何なのだろうか。


「俺、中江さんに憧れてて、中江さんみたいな不良になりたいとずっと思ってたんです!!」
「…………はあ」
「だから俺を弟子にしてください!」
「………………ヤダ」


だいたい俺がいつ不良になった、と喜代史は思う。
確かにこんなナリで、自分に降り懸かる火の粉ははらうようにしてきた。しかし、いくらなんでも不良はないだろう。

困ったように教室内を見回すと怯えたクラスメイトの一人と目が合った。


あれ…?
俺もしかしてとっくに不良?





浮かんだ恐ろしい考えと、塚越を振り切るため、喜代史は廊下を走るような早歩きで歩き始めた。
当然の如く背後からは塚越の足音がこだました。









   ※ ※ ※



「…………撒いたか」


ふう、と喜代史は溜息を吐いた。

休み時間は残り15分といったところだが、どうにも教室に戻る気がしない。こうなったらサボってしまおうか。
ちょうど目の前にあった保健室のドアを開ける。思い出したように付け足した「失礼します」の声に保健医が振り返る。



「具合でも悪いのかな、中江喜代史君?」
「はあ……」


あながち間違いでもない気がして頷く。初めて入る保健室は中学と大して変わらないものだと奇妙な感心をしながら、喜代史は違和感を抱いた。
自分は初めてここに入ったし、保健医にも初めて会った筈だ。

「………?」
「『何で名前を知ってるのか』って?そりゃあ、好みの子は覚えてるさ。こんな風にチャンスの時困るからね」
「…………は?」



訝しげに眉をひそめていると強く腕を引かれる。
保健医の胸に顔を埋める形になり――といっても男だから平らなだけだが――腕を突っぱねて離れようとするが、叶わない。


「俺はね、君みたいな子を犯すのが好きなんだ。背が高かったり、男らしかったりね」
「………………えっと」
「しかも君はストライク。もろに俺の好みときたものだ」


飛んで火に入る夏の虫とはこのことだね、と保健医が笑う。
…………意味がわからない。

そのままベッドに押し倒される。
ズボンのベルトに手をかけられたところで、漸く抵抗しなければならないことに気付く。


「………先生」
「黒川荘司」
「どうでもいいから放してください」
「えー」



「えー」じゃないいい大人が。


「…………はなし」



てください、と言う前に保健室のドアが開く。ガラッという音がしたものの喜代史からは黒川保健医が邪魔で誰が来たのか見えない。

しかし黒川は残念だとばかりに肩を竦めると、ドアの方に声をかける。








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