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げっと・どらんく(リーライ)* [ 78/196 ]
男は甘い声で「綺麗だよ」と囁いた。
女は「よく似合ってますわ」と言った。
二人の美男美女に褒められた女性は嬉しそうに微笑んだ――ようには、どうしても見えなかった。
そして自身の背に触れるまで長く伸びた黒髪に触れ、実にうっとうしそうに表情を歪ませる。
「……よくやるよ。こんなもんまで用意して」
声はかすれたように低かった。
「あら、でも前回もとても素敵でしたけれど、今回は一段と素敵だわ」
女は可愛らしい声で女性を褒めたたえた。
が、表情だけはひどく無表情だった。
「そうだぞ、ライナ。嫁にやるのが勿体ないくらい綺麗だよ」
嬉しそうに微笑んだ男はそう言って女性の長く伸びた髪に口づけた。女性は悍(おぞ)ましそうに肩を震わせ、それから心底疲れたような目で二人を見る。
「……で、おまえ達はどうしてそんなに俺を女装させたいわけ?」
***
女装。何度目になるか数えたくもないそれを、ライナ・リュートはしていた。否、させられていた。
……マスター、お代わり」
「飲み過ぎですよ、お嬢さん」
だからお嬢さんじゃないってのに、と言い返したところで己を変態と言うようなものなので口をつぐむ。
今回の女装は、このバーの潜入捜査のためのものである。
というのも、近頃どこぞの貴族サマがバーで酔った女性をさらうという事件が多発しているらしい。犯人に目星はついておらず、こうなったら誰かが貴族を引き付け、そのまま灸を据えてやるしかなかろう、となった。
そうなったのは別にいいが、それでどうしてその貴族サマを捕まえる役にライナが選ばれたのか。
簡単だ。アイツらは楽しんでいるのだ。
「……マスターお代わり」
「飲み過ぎですよ、お嬢さん」
お嬢さんと呼ばれる度に苛々する。が、我慢である
仕方なくジュースを頼むとゆっくりと口に運ぶ。
早く仕事を終わらせて帰りたい。そう思いグラスを置きかけた時、ライナに男が近づいてきた。
「隣、良いですか?」
来たか、と身構える。
声を出せば変に思われるから、と黙って頷くと隣の椅子が引かれた。変態貴族の馬鹿サマはいったいどんな顔をしているのかとちらりと見れば……
……声も出なかった。
そこにいたのは見覚えのある青年だった。
いやいや見たことなんてない。しかし変態貴族でないことはたしかだ。
いやいや見たことなんてない。こんな青年は知らない。だってあいつがここにいるはずがない。
「あの…」
ああやっぱりこの声は聞き覚えが……いや、ない。絶対にない。
半ば無理矢理すぎる自己暗示ではあるがそれほどライナは必死だった。必死にもなる。こんな嫌なところを見られる知り合いは、フェリスとシオンだけで十分だ。半ば無理矢理この格好をさせてきたあの二人だけで十分なのだ。
なのに、この状況である。
「ご迷惑でしたか?」
ああ迷惑だからすぐ帰ってくれ、と言いたかった。言いたかったが我慢する。
ただ黙って首を振る。
「良かった…」
一酔ったらどんなことになるかわからないしなあ……なんて考える。
まず、ライナが女装癖のある変態だという噂が広がるだろう。まあこれはリーレがばらまかずともあの二人がやりそうなことなのだが…。
それにしてもこの男は、すごく慣れている感じがするのだが。いつもこんな風に女性を口説いていたりするんだろうか。いや待て俺は男だから口説かれる訳がないのだから、友人に対してもこんな感じなのだろう、きっと。いや、待て、俺は今女装しているんだったよな。
ふいに自分の状況を思い出す。ライナはちょっと(?)ごつい女の子に見えている、らしい。信じたくはないのだが。
ということはこの男……女性の趣味がおかしいというか、変わっているという可能性もある。
どうしよう惚れられてたら!
……などとありえないことをつらつらと考えていると、リーレがくすりと笑った。
「……何か」
小声で尋ねれば「ころころと変わる表情が面白かった」と返ってくる。
……デリカシーのない男だ。
ん、なんだか心まで女の子になってきたな。
「ああ、すみません。でも本当に素敵な表情で……」
「面白い? ああ、男がこんな格好しているから」
オカマなんて面白くてなんぼでしょ、なんて笑顔で言ってやるとリーレは面食らったような顔でライナの顔を見る。ふむ、普段澄ました顔をしている男の表情がこんな風に変わるとは、案外面白い。そんなことを考えながら自分のグラスに目を落とせばそこに酒はほとんど残っていなかった。どうやら酔っているらしい。
「……そうなんですか」
言葉を選ぶように慎重に、彼が口を開く。
「気持ち悪いでしょう?」
だから早く帰ってくれればいいのに。本当に、面倒くさいし。
それでもこの男に気持ち悪いと罵られたらそれはとても悲しいことのような気がした。まったくの赤の他人とは言えないからだろう。きっと。
それでもリーレはライナの長い髪に手を伸ばし、さらりと撫でながら、
「いいえ、綺麗ですよ」
ぐらり、と、世界が揺れた気がした。
***
目が覚めるとオレンジ色の明かりが見えた。
まだふわふわとした意識。世界が揺れているような錯覚。再び目を閉じかけたところで本来の目的を思い出した。
……そうだ、おとり捜査だった!
ライナは慌てて起き上がる。
が、ここはどこだろうか。先程までいたバーとは明らかに違っていた。宿屋の一室のようではあるのだけれど、自分が泊まっているところとも違う。
……酔いつぶれたのだろう。では何故こんなところにいる?
もしそうであればとても物好きなのだけれど、問題の貴族に連れ去られた可能性を考えたがそれにしては宿屋が安っぽい。もちろん貴族の屋敷とはとても思えなかった。
それではいったい誰が……?
辺りを見回していると綺麗な水色が目に映った。
「リ……」
リーレ、と名前を呟きそうになって、自らの口を慌てて塞ぐ。たしか彼はまだ自分に名乗っていなかったはずだ。
「……宿屋なんかに連れ込んで、何すんの」
茶化したように言うのは、そんな未来予想してなかったから。また、予想したくなかったからだろう。
それでもリーレは黙ったままライナに近づいてくる。開きかけた唇はやわらかな何かによって塞がれた。それが唇だと理解することはしたくなかったが、目前にあるリーレの顔がそれをキスだと教える。
「好きです」
それはさっき会ったばかりの「女」に対して言っているのか。まあ男だとは言ったけれど。
どうしてか胸が痛むような気がした。こんな真っすぐな目に見つめられるのは存在するはずのない者なのだ。罪悪感だけではなく、残念なような、なんとも言えない気分になった。
「……俺は、」
俺はライナ・リュートで、お前達が追っていた人間じゃないか。そう口にしたらこの状況からも逃げられる。それをしないのは――酔っているせいに違いない。
「たしかに、男、みたいですね」
気がつけばギシリとベッドのきしむ音とともに天井が見えた。押し倒されたのだ、と気付くのには少々時間がかかった。
落ち着いた深緑色のワンピースからすらりと伸びた足があらわになる。普段は服に隠されている場所が曝されるのはどうにも居心地が悪い。真新しい女性物の下着を穿いているからでもある。
それもこれもアイツらが全部悪い。毒づくライナを知ってか知らずか、リーレはライナの肌を服の上から撫でていく。
「……っ」
触れた箇所が、熱を持つ。
吐く吐息の熱さに自分が自分でなくなるような気がした。まるでリーレが触るところから女の体に作り替えられていくような錯覚。
「愛してる」
この男はこんな風に愛を語るのか。
この男はこんな風に他人(ひと)を抱くのか。
時折触れる唇はやはり熱くて、火傷しそうな気がした。
「……っ」
「我慢してください。慣らさないと、辛いのはあなたですから」
いつも冷静に見えたリーレはどこか余裕のない表情でライナを見ている。それにまた体が熱くなる。
とんでもないところに触れられているというのに、どこか遠くで起きていることのように思える。ただでさえぼんやりとした意識は快楽に飲み込まれていく。
「……も、やめ…」
「だめです」
きっぱりと言いながらリーレはそこに触れてくる。汚いはずなのに嫌な顔はしない。ただ焦れたようにそこをかき回される。漏れそうになる吐息を抑えるので精一杯だった。
「いいですか?」
余裕のない目がライナを捉える。
……いや、余裕がないのは自分もそうか。
「…………いい」
そこに熱いものが押しあてられる。今度こそ火傷してしまいそうに思えた。
「……くっ…あ、もっと、ゆっくり…」
「無理です」
リーレのさらりとした髪がライナの肌を撫でる。敏感になった体はそれだけで跳ねた。
好きなのかもしれない。そう、思った。
笑ってくれるのがうれしかったのかもしれない。だって、彼はいつも不機嫌そうに見えたし、笑ったとしてもその表情はミルクや他の仲間たちに向けられたものだったから。
だから、きっと、うれしいのだ。
「……リーレ」
名前を呼んで、首に手を回す。
自分は今、ライナ・リュートではないけれどそれでもきっと幸せなのだ。
酔っているのかもしれないな、とライナは苦笑した。
***
朝。
激しい頭痛とともにライナは目覚めた。それが二日酔いだと気付くのにそう時間はかからなかった。が、この腰の痛みは何だろうか。腰というよりは……口にしづらいところがひりひりするのだけれど。
「おはようございます、ライナさん」
どこかで聞いた声。誰だったっけと記憶を探る前にその水色の髪が目に入る。そうだ、ミルクのところの……
――待て、何だ、この状況は
「シオンさんから連絡がありましたよ。もう、捕まったみたいですね」
どういうわけかリーレは自分に笑いかけている。普段そんなことまったくないというのに、だ。
そしてライナは思い出す。そういえばおとり捜査のために女装していたわけで、ということはこの男は自分がライナ・リュートとは気づいていないわけで、だからこそあんな風に……抱いてきたわけで。
とりあえず、昨日のことは酔った勢いでした馬鹿なことだと忘れることにしよう。どうせリーレは自分のことを知らないわけだし。
と、何かが引っ掛かった。「おはようございます、ライナさん」?
「お前……いつから!」
怒鳴りつけるライナにリーレはただただ笑っていた。
「さて、いつからでしょう?」
ああ、こんなムカつく男に惚れたなんてそんなことはただの気の迷いだ!
get drunk
(酒に酔う)
END
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