バイトが終わったころには、すっかり日が落ちていた。まだ少し肌寒い風は舜を撫でる。 舜は溜息をついて、受信メールBOXをチェックした。新規3件。全て同じ差出人だった。 歩きながらメールをあけて、吐き気がした。 『今バイト?』 『ねぇ、何してるの?返信ないから不安だよ』 『会いたい』 その文面から感じられるのは束縛の鎖。舜は顔をしかめて首をかしげた。 (別れよう、つったの誰だよ) 別れよう。他に好きな人ができたの。 そう言われて舜は笑顔で承諾した。幸せにね、と微笑んでみせたのだ。 それなのにこのざまだ。 仕方なく返信しようとすると、ブブブとバイブが鳴った。 案の定差出人は返信するはずだった当の本人で。 本文を確認して、思わず笑みがこぼれた。それは愛しさからくるものではない。 氷のように冷たい笑みだった。 『もう一回やり直したいの。やっぱり舜じゃなきゃ嫌、舜がいいの』 舜がいい。 その言葉は舜をなびかせる効果はゼロに等しい。なぜなら。 (本性見せたことないのにどうして『やっぱり』?) 女は馬鹿だけれど楽だ。簡単にだまされてくれるから。 乱暴に携帯を閉じるその動作だけが、舜の心を代弁していた。 小さくため息をついてふと横を見ると、そこにはいつも通りの公園があった。 暗闇の中の公園はやけにひっそりとしていて不気味だった。いつもと違うのは、ブランコに人影があったということだけで。 思わず足を止めた。足はあったので幽霊という線は消えた。こんな時間にこんな所で何してんだろう。凝視して、あ。と思った。 夜の色と同化している黒髪。制服は舜の学校のものだ。そう、それは『榊原愛』だった。 「ねぇ」 声をかけてみると、彼女は異常にびくついた。 ばっと舜を見る目は明らかに恐怖の色だった。が、声の主が舜だとわかると、いつもの鋭い目つきになった。 「・・・っ、何の用だ」 「いや別に何もないけど。ごめんね、お化けかと思った?」 そう茶化してみると、愛は暗闇でもわかるくらいに顔を赤らめて。 へぇ。そんな顔もするんだ。ぼんやりそう思って、舜は愛の隣のブランコに腰掛けた。 「何してんの、こんなとこで」 そう問うと愛は別に、と棒読みの声が返ってきた。 視線を落とすと、大きなボストンバッグがそこにあった。おそらく愛のものだろう。 舜はしばらくそれをじっと見つめて、テキト―にそう、と返した。 「別にアンタが何してようが俺は知らないけどさ、ココ夜中は不良の溜まり場だから寝泊まりはやめときなよ」 公園をぐるりと見渡して忠告しても返事はなかった。 沈黙の中、ブランコの鎖が奏でる金属音だけが鳴りやむことなく風に揺られていた。 その風は愛の黒髪をも優しく撫でていた。 その『黒』は同化していたように見えたが、違った。 彼女の『黒』は、夜の単純な黒とは明らかに異なっていて、くっきりと色が浮かび上がっていた。 まるで他を忌み嫌っているかのように。 「じゃ、またね」 立ちあがって携帯を開きながら別れを告げる。げ、またメール来てるし。 険しくなる顔を愛はじっと見ていた。 それに気がついた瞬間に笑顔に戻す。いつもの仮面の笑顔。愛は相変わらず何も言わなかった。 背中を向けて歩きだして、もう振り返ることはないはずだった。なのに。 「ねぇ、こんなとこで一人で何やってーんのっ」 「暇なら俺等と遊ばない?」 ゲラゲラという品の無い笑いとそのふざけた口調。・・・だから忠告したのに。 ゆっくり振り返ると、案の定ブランコの周辺に数人の男が群がっていた。 金や茶に染められた髪色が闇夜を弾いて我を主張している。彼女のそれとは違うように。 「夜中にこんなとこ危ないじゃん、俺等が守ってあげるよ」 「そーそー、ご褒美は先払いで」 「てなわけでイタダキマス」 すっげぇ解釈。思わず笑いがこみ上げてくる。 俺だったらもっと上手くするのに、と横目で見たが最後、また歩き出そうとした。だが。 「断る」 凛とした声。一週間前に言われたときと同じ言葉。 それを発したのは愛だということは振り返る前からわかっていた。けれど振り返らずにはいられなかった。 視線のその先には、まっすぐな目をした彼女がいた。 「誰かに守られなきゃならないほど私は弱くない」 失せろ。はっきりとした口調で彼女はそう言った。 舜は目を丸くした。馬鹿だろ、そんなこと言っても煽るだけなのに。 じわじわと舜をむしばむのは嬉々とした想い。面白い。 「失せろ、だってつめたー」 「生意気なコにはお仕置きだろ」 一人の男が愛の腕を掴むのをきっかけに、男たちは一気に彼女を押し倒した。 たかが女子高生一人の力だ。 複数の男の力には到底かなわないのだろう、やめろ、という声は聞こえるが男の群れはぴくりともしない。 あんなに威勢のいい事を言っても、愛が女だということは変わらないのだ。 そのまま放っておいて帰ることも舜にはできたはずだ。 彼女には何の借りもないし義理もない。 ただ彼を占めるのは興味、それだけだった。 はたしてそれだけだったのか?それはその時の彼にはわからなかった。 (あーあ、キャラじゃないな) 苦笑して、舜はまた仮面をかぶる。 今までそれでやりすごしてきた、傷だらけの仮面を。 暗闇の中、近づいてくる人影に男たちは瞬時に反応した。 「誰だアンタ、混ぜてほしいのか?」 ニヒルな笑みを浮かべる男を一瞥して愛を見る。 男たちにもみくちゃにされている黒いかたまり。まだ服は剥がれていないらしい。 「オイ、聞いてんのか」 何も言わない舜に苛立った様子で男は声を張り上げた。 舜はゆらりとそちらに身体を向け、男たちに嗤いかけた。冷たい、仮面の笑みで。 「悪いけどその子離してやってくれない?ちょっと知り合いなんだよね」 「はぁ?」 その言葉に男たちはまたゲラゲラと笑いだした。まるであり得ないという風に。 それでも彼は笑みを絶やさなかった。笑いの波が落ち着いても然り、だった。 「『離せ』って言われて離すと思ってんの?」 「ありえねー!!!」 「つかそーゆーコト言われるとますます離したくなくなるくね?」 「そっかー、困ったなぁ」 舜はうーん、とわざとらしく呻いてみせた。男たちは違和感に身体を一瞬震わせた。 おかしい。この目の前に立っている高校生のまとっている空気の色が。 だってだってだって、 目が、笑っていないのだから。 「俺、暴力嫌いなんだよ。喧嘩も好きじゃないし」 だからさ、と彼は嗤う。まるで道化師のように。まるで世界をまるごと他人事にするかのように。 静かに自分自身を無に返すかのように。 「困ったときは110番だよね?」 舜は自らの携帯を軽くかかげてみせた。その様子をぼんやり見ていた男たちははっとする。あ、まずい。 肝が冷えたときにはもう遅かった。 「こら!!!お前らそこで何してる!!!」 「っやべぇ!!ポリ来たぞ!!!」 「嘘だろ?!!ありえね・・・っ」 男たちは一斉に愛から離れ、バタバタと走り去っていった。その様子はまるで天敵がやってきた哀れな昆虫のようで。 だから覚えてろよ、という漫画チックな捨て台詞にも笑顔で手を振れた。 彼等を追いかける警官の声が完全に聞こえなくなってから愛に近づいた。 彼女はいきなりのことに頭が追い付かないのか呆然としていた。首筋には赤い痕があった。 大丈夫?と問うより早く、愛が口を開いた。 「・・・いつ、呼んだんだ」 ぐったりとした声。呼んだ、というのは警官のことだろう。舜はああ、と一度頷いて。 「110はしてないよ、この時間はいっつも見回りしてるからさ」 アイツ等は知らなかったみたいだけど。 薄く笑うと愛はほ、と息をついて。その身体がぐらりと揺れた。 倒れる、と即座に直感して慌てて腕で抱きとめた。腕の中の彼女の息は不規則で苦しそうで。 『早退よ』 久保の言葉を思い出す。ああそうか、早退したのだった。 じっと彼女の顔をのぞきこむと、間違いなくそれは病人の顔で。 一体いつから我慢していたのだろうか。こんな状態になるまで何故放っておいたのだろうか。 舜はしばらく考え込んで、愛と愛のボストンバッグを交互に見つめ。 仕方ないなぁ、という言葉とともに溜息を吐きだした。 |