アスランとシン



 キラがちょうどプラントに降り立った頃、そんなことは知らないアスランは軍本部ビルの外階段に座り込み、ぼうっと空を仰いでいた。
 通信を一方的に切られてから数日、キラから音沙汰がない。こちらから通信してみても繋がらず、おかげで翌日の非番はキラが気になるあまりまったく休まらなかった。それどころか普段ならあり得ないミスを連発する有り様だ。
 ──やっぱり引かれたんだろうか。
 手すりにごん、と頭をぶつけるようにもたせかけながら、アスランは胸中でひとりごちる。
 幸せになっていいと、キラは言った。望んでいいとも。
 でも、と思う。
 もう充分幸せなのに、キラはこれ以上、俺に何を望めと言うのだろう。
 敵の命を、友の命を狙ってトリガーを引くことのない日々を、かけがえのないふるさとであるプラントで過ごし、自分を認め、あるいは慕い、ともに笑い合える人たちと穏やかに在れる満ち足りたいまが幸せでないわけがない。
 ふっと脳裏を横切る顔にアスランは頭を振る。
 これで充分幸せじゃないか、アスラン・ザラ。もっと、なんて、罪深い身に、これ以上は、もう。
 過ぎた望みは身を滅ぼす。時には自分だけでなく周りを巻き込んで。
 アスランが望んだものはいつだってこの手から零れ落ちていった。この上、イザーク・ジュールまで失いたくはない。
 手に入らないことには慣れているだろう? アスラン・ザラ。
 唇を少しの自嘲で彩り、目を閉じた、ときだった。
「ああもう、やっと見つけましたよ。こんなところにいたんですか」
 こんなところ──本部ビルの端にある非常階段に座り込む元上官にかけた声は、我ながらぶすくれている、とシンは思った。
 アスランが振り返るのを待たず、彼の眼前に買っておいた缶コーヒーを突き出す。
「シン……」
 こちらを見上げた顔にシンは舌打ちしたくなった。
 まったくあんたって人は、
「なんだってこんな端っこにいるんです? おかげでコーヒー、冷めちゃったじゃないですか」
 無愛想に言いながらシンは缶コーヒーを押しつけた。戸惑う気配のアスランの隣に座り、プルトップを開けてすっかりぬるくなったコーヒーを喉に流し込む。ちなみにシンのは砂糖入り、アスランのは無糖である。
 アスランがどうしてここにいるか、なんて、本当はわかっている。非常階段というのは基本的に人気がないから、ひとりで考え事をしたいときなんかは絶好のスポットなのだ。かくいうシンも利用経験がある。詳細は割愛するが。
 ちらりと窺い見たアスランは顔に疑問符を浮かべている。なぜシンがアスランを捜していたか、である。いまは普段と変わらぬ表情だが、さきほどシンを見上げたときの一瞬の顔は違った。

 まったくあんたって人は、なんて顔をしてるんですか。ずいぶんひどいですよ。

 本当は、そう言いそうになった。
 ミネルバにいた頃のような、──フリーダムにセイバーを堕とされてからのような、暗く沈んだ面持ち。
「えっと……シン? 俺に何か用なのか?」
 シンがコーヒーをちびちびと飲むだけで何も言わないので、反応に困ったのだろう。アスランが控えめに口を開いた。
 シンはなんと切り出したものか考えたが、自分の性格ではそれとなく、とかそういう、気を使う手法は不得手だ。ここは単刀直入に。この人変に鈍いし、変化球は効きそうにない。
「………………アスランって、ジュール隊長が好きなんですか?」
 投げた直球は見事にストライクを決めたらしい。アスランが滑り落とした缶コーヒーがガンガンゴロゴロと音を立てて転がっていく。幸いまだ開けていなかったから中身は無事だ。
「…………!? …………!?」
 アスランは落とした缶を拾いにも行かず、ただ顔を真っ赤にしてパクパクと声にならない声を上げている。
 普段は誤解を招きやすい、わかりにくい人なのに、こういうときだけわかりやすい人だなぁとシンは息をついた。
「……本当に好きなんですね」
「なっ、なんっ……!?」
「女の勘って怖いですよ。……ルナがそうなんじゃないかって、言ってました」

『ねえ、アスランってジュール隊長のことが好きなんじゃないかと思うのよ。あ、これ差し入れね。チキンサンド。始末書書かされてる恋人に差し入れしてあげる優しい私に感謝なさい。でね、アスランのことなんだけど──』

 むっすりと始末書を書いていたシンのところへ差し入れを持ってきてくれたと思ったら、ルナマリアは突然そう切り出してきた。ちなみに何をして始末書を書かされていたのかは聞かないでほしい。
 もちろん最初は何を馬鹿な、と思った。
 だって彼はラクス・クラインと婚約していたそうだし、もう一人のラクス・クラインとも親しげだったし、アスハと付き合っていたことも知っているから。
 そんなシンにルナマリアは出張から帰ってきたアスランと偶然行き合ったこと、そのアスランにジュール隊長の噂を話したこと、噂を聞いたアスランの反応と、ミネルバ着任時のことを交えて自分の推測を披露してみせた。
 彼女の話はもしかしたら、と思う程度には説得力があった。それでも半信半疑だった、けれども。
 どんぴしゃかよ、とシンはアスランに視線を戻す。
 固まっていたアスランはやがてのろのろと動き出し、転がり落ちた缶コーヒーを拾いに階段を下りた。
「……シンは、どう思う?」
「え?」
 踊り場に転がっていた缶コーヒーを拾い上げたアスランはしばらくその場に立ち尽くしたあと、シンに背中を向けたまま尋ねてきた。
「俺がその……イザークに」
 アスランはそこで言い淀んだが、皆まで言わずとも何が言いたいかはわかった。
「別に……いいんじゃないですか?」
「本当にそう思うか?」
 アスランが振り返る。いやに凪いだ顔でシンを仰ぎ見ている。
「たとえば、相手がイザークじゃなくお前だったとしても……そう、思うか?」
「それは……」
 ──女の勘は怖い。と、シンは改めて思う。

『……私は恋バナも好きだけど、だからって野暮をするほど無粋じゃないつもりよ。でもね、アスランの恋は見守るだけじゃダメなの。あの人ならきっと、何もしないまま、言わないままで終わってしまうわ。たとえそれがどんなにつらくても、ね。だから……シンにも気にかけててほしいの』

 ルナマリアの言葉は正しい。
 男同士、なのだ。ずっとノーマルでいたのに、同性を好きになった、なんて、そう簡単に受け入れられるものじゃない。仮にそんな自分を受け入れられても、成就は異性相手以上に難しいはずだ。下手をすれば相手との繋がりさえ失うことになる。
 それはアスランの望むことじゃないとシンにもわかる。友人としてもジュール隊長を失うくらいなら、アスランは想いを秘めたまま、笑って相手の幸せを祝うだろう。たとえどんなに胸が張り裂けそうでも。
「正直言うと……少しだけ、引きました」
 ぽつりと呟くと、アスランの顔が痛みをこらえるように歪んだ。シンは力を込めて言い募る。
「けどそれは、別に差別とかするつもりがあったわけじゃなくて! ……ちょっと、驚いたからで。世の中にはそういう人もいるって知ってはいたけど、知ってるってだけだった。身近にはそういう人がいなかったから、本気で考えたことなんてなかったんだ。あんたはアスハと付き合ってたのも、知ってるし……」
 シンは口がうまい方ではない。だが、アスランには伝えたい想いがあった。それが彼に伝わらないと、ルナマリアが言った通りになってしまう。
「あんたのことだから、同性だから、とか、コーディネイターとしての義務が、とか、なんかごちゃごちゃ考えて悩んでるんだろうけど。でも俺は、いいと思う。だってあんたはジュール隊長が好きで、もしもジュール隊長もあんたが好きだったら、あんたは幸せなんだろ? なら、それでいいじゃないか」
 アスランの翡翠の瞳が見開かれる。
「あんたとはいろいろあったし、あんたの全部に賛同できるわけでもない。……だけど、俺、あんたのこと好きだし、尊敬だってしてます。やっぱりあんたはすごい人だから。だから、幸せになってもらいたいんです。ルナやメイリンもそう思ってる。俺たちだけじゃない、あんたを好きな人は、みんな。だから、さ……」
 そこから紡ぐ言葉が浮かばない。もっと強く伝えたいのに。
 いまよりもっともっと幸せになってほしいと。 
「……ありがとう、シン」
 アスランの穏やかな声が聞こえて、シンはうつむけかけていた顔をパッと上げた。
 伝えたかったことが伝わっただろうかと、わずかな期待を込めて。
「だが、俺はもう充分幸せだよ。大丈夫、諦めることには慣れてるんだ」
 けれども、視界に映ったアスランは消え入りそうに儚い微笑みを浮かべていた。
「イザークにはふさわしい女性がいるさ」

 ──なんで。

「面倒をかけるばかりで、何もできない俺なんかより、あいつを支えて、安らぎを与えてやれるような人が、きっと」

 ──なんで!

 シンはギリッと奥歯を噛み締めた。感情が、沸点に達した。

「なんであんたはそんなに馬鹿なんだよ!」

 気づけば叫んでいた。アスランが突然の大声に目を丸くしていたけれど、もう止まらない。
「なんだってやってみなくちゃわかんないだろ!? なんであんた、こんなときだけ諦めが早いんだよ! たまには自分の幸せに貪欲になれよ!」
 叫ぶうちに声が涙混じりになる。
「人には幸せになれと言うくせに、どうしてあんたは幸せになろうとしないんだ!」
「それは……シン……俺は……」
「パトリック・ザラの息子だから? お生憎様だね、俺はその人を知らないんだ。俺が知ってるのは優秀なくせに馬鹿で、器用なくせに不器用な元隊長殿だけだ! あんたが諦める理由に、父親はならない!」
 アスランが何かに打たれたように身を強張らせる。
「あんたのその、人のことばっかりで、自分の幸せに臆病なところはだいっきらいですよ!」
 言うだけ言い捨て、シンは踵を返した。
「──シン!」
 自分を呼び止める声がしたが、構わずシンはその場を走り去った。

 ──どうしたらいい?

 誰かに何かを伝えることの難しさを痛感する。
 俺はただあの人に、自分の幸せを諦めないでほしいだけなのに。
 悔しかった。
 アスランは俺を過去の呪縛から解き放ってくれたのに、ルナとの未来をくれたのに、俺ではアスランを救えない。アスランの鎖は千切れない。
 それがたまらなく悔しかった。




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