アスランとキラ



「あー、つっかれた〜」
 夜遅く、キラは自分の部屋に戻った。
 部屋に入りながらグググッと伸びをする。デスクワークは身体のあちこちが凝って仕方がない。
 ──ラクスが最高評議会から招請されたとき、彼女は一緒にプラントに来ないかと誘ってくれたが、キラは断った。手を差しのべてくれたことは素直に嬉しかったけれど、自分にはプラントの地を踏む資格がない。フリーダムのパイロットだったからこそ、その名称しか持ち得ないいまのままではとても。
 それに以前のようにすべてを押しつけて逃げるのではなく、この国を愛するただひとりの姉を今度こそ支えてあげたかった。だからキラはオーブに残り、カガリの補佐についた。正確にはまだ見習いだ。これまで縁のなかった政治の世界に携わるのは大変だが、大変なのはキラだけじゃない。ともに戦った者も敵対した者も皆、場所や立場は違えど、それぞれに大変なのは変わらないのだ。キラはキラにできることをしよう。二度とトリガーを引くことのない未来のために。
 さっさとシャワーを浴びて寝ようとバスルームへ足を向けたキラの耳に、ピピッと通信音が届いた。
 こんな時間に誰だろう? と、不機嫌になりつつ踵を返してモニターをチェックしたキラは、軽く目を瞠った。
「──アスラン?」
 発信元はプラントにいる幼なじみだった。
 変だな、と首を傾げる。プラントとオーブには六時間ほどの時差があり、それは幼なじみもよく知っているはずだ。彼はどちらの国でも暮らしたことがあるのだから。こちらの時間を配慮せず通信してくるなんて、彼らしくない。
 もしかして何かあったのだろうかと少しの焦燥を胸に通信を開いたキラは、モニターに現れた幼なじみの顔に思わず呟いていた。
『うっわ、どしたのアスラン、そんな顔して』
 仕事と時差の関係でこうして通信で会話するのも数ヶ月ぶりだというのに、キラは人の顔を見るなりぎょっとした。
 失礼な。アスランはむっとしたが、いや、と思い直した。
 確かに自分はいまひどい顔をしているかもしれない。枕にも一時間は突っ伏したままだったし、混乱で頭も心もぐちゃぐちゃだ。
「……そんなにひどいか? 顔」
『うーん、なんていうか……ええとね、精彩を欠いてるって言うのかな。仕事忙しいの? 君、ちゃんと食べてる? アスランて何かに夢中になるとすぐにご飯抜いちゃうでしょ』
「……食べてるよ」
 と言いつつ、ちょっと否定できない。出張中は昼を抜かすこともしばしばだった。
 精彩を欠いている。できれば考えたくはないが、そう見える原因にはひとつしか思い当たらなくて心がざわめく。
『アスラン、こんな時間にどうしたの? 何か──あった?』
「あ……」
 キラの言葉にハッとする。
 オーブではもう寝ていてもおかしくない時刻なのだ。時差があることを知っているのに気を回す余裕すらなかったことを自覚して、自分がどれだけ彼の見合い話に動揺しているか改めて気づかされた。
 ああ──どうして。誰からも鈍いと言われていて、自分でもそう思っているのに、どうして今回はすんなりわかってしまったのだろう。相手は同じ男で、それもイザークなのに。
「ごめん……キラ、疲れてるよな。忘れてくれ。遅くに悪かった」
 こんなこと、キラに言ってどうする。これはアスラン一人の問題で、相談するまでもなく答えはひとつしかないじゃないか。キラは毎日元首として忙しいカガリの補佐をしていて、疲れていないはずがないのに。
 通信を切ろうとする動作に気づいたキラが慌てて声を張り上げる。
『ちょ、待って待って! そんな悲壮感漂う顔して、忘れろって無理あるよ。逆に気になって眠れないって。どんな話でも聞くから話してよ、アスラン』
「でも……」
『いいから。ね?』
 キラの優しい促しに釣られて口を開きかけ、アスランは首を横に振った。
「でも……お前は、カガリの弟だから」
 キラはカガリの弟だ。冗談の範疇だっただろうが、「もしアスランがカガリと結婚したら僕たち本当に兄弟になれるね」と言われたこともあった。それは夢物語と消えて。
 そんなキラに、恋の相談──なんて。
『わかった。アスラン、誰か好きな人ができたんだね』
「キラ……!」
 ところがあっさり言い当てられてアスランは息を呑む。
『そりゃあね、君と兄弟になれなかったことはちょっぴり残念だったけど、だからって僕と恋バナしちゃいけない理由にはならないよ』
 キラはクスクスと笑った。
『君がカガリにひどいことして別れたんなら別だけど、でもアスランはカガリのことちゃんと想ってくれてた。カガリもアスランのこと想ってた。わかってるから。君はカガリ以外の人を見つけてもいいんだよ? それはアスランの当然の権利なんだから』
「キラ……」
 うっかり感動していると、キラの瞳が好奇心に輝いた。
『──で、どんな子なの? 僕も知ってる子? うわあ、考えたらアスランと恋バナなんて初めてかも。アスランが好きになったんなら、きっと綺麗か可愛い子なんだろうね。君、結構面食いだし。あ、もしかしてメイリンちゃんとか? いい子だし健気だし、可愛い子だもんね』
 ワクワクと輝く瞳に見覚えがある。キラ、お前ルナマリアと気が合うんじゃないか?
 なんだか気が抜けて、アスランはぽろっとその名を口にしていた。
「イザーク」
『え?』
 モニターに映るキラの笑顔が固まった、ように見えて、アスランも顔を強張らせた。
 ああそうだ、男を好きになったなんて普通は引かれる。軽蔑されてもおかしくない。
『えーと……ごめん、もう一度言って?』
「だから、イザークだ!」
 ええいままだ、とやけくそ気味に言い放つ。
『……イザーク、って』
「俺の同期で、クルーゼ隊では同僚だった……お前にはデュエルのパイロットって言った方が通りがいいかもな」
『………………デュエルのパイロット、って……その人、確かに綺麗な顔してるけど、おと』
「だから悩んでるんだッ!」
 キラが皆まで言わせずアスランは叫ぶ。
「……イザークが見合いするらしいって噂をルナマリアとメイリンから聞かされて……それで俺、すごく動揺して」
『でも、まだ噂なんでしょ?』
「ジュール家は名家だから、不用意な噂が流れたりしないよう徹底してたんだ。現にここまではっきりした噂を聞いたのは初めてなんだよ。俺がプラントにいなかった二年間はわからないけど、ルナマリアとメイリンの会話から察するに、初めてなんだと思う」
 アスランは力なく笑う。
「本当はお前に否定してもらいたくて通信したんだ。そんなの気のせいだって。いっそフリーダムでこの考えを打ち砕いてくれたらいいなって」
『や、フリーダムは没収されたから』
「なのに……」
『……逆に彼が好きだと認めざるを得なくなっちゃった?』
 アスランは真っ赤になって頷いた。
『……鈍いくせに、なんだって気づいちゃうかなぁ』
 呆れたようなキラの言葉にうつむく。
『それで? アスランはイザークさんのどこが好きなの?』
 その質問にアスランは弾かれたように顔を上げた。
 呆れ半分、優しさ半分な顔の親友を見つめる。
「軽蔑……しないのか?」
『ええ? なんで? そりゃ比べたらマイノリティかもしんないけど、そういう人が少ないわけじゃないし。軍じゃわりとあるってムウさんから聞いたこともあるし。まあ予想外の相手で驚いちゃったけど、誰を好きになっても、アスランはアスランじゃない。僕の親友のアスラン・ザラ』
 不覚にも目頭が熱くなった。
「俺は……どうすればいい?」
 じわじわと言葉が溢れる。
「イザークは潔癖だから、俺がそんな目で見てると知ったら、あいつはもう俺を見てくれなくなるかもしれない。そんなのは耐えられない……だってイザークだけは俺を裏切らないのに」
『アスラン……』
 とてもまっすぐで、揺らがぬ信念とそれを貫く強さを持ち、まぶしいほどに輝いている人。
「でもイザークは優しいから、一度懐に入れた相手は突き放せない。情にもすごく篤い奴なんだ。俺はイザークを困らせたくないし、どんな形でも俺を見てくれるなら俺が黙っていればいいってわかってるんだ。俺は結婚するつもりはないし、好きでいるのは自由だから」
『結婚するつもりがないって、どうして』
「……結婚したら子どもを作らないといけないだろう。家族は欲しいけど、俺は、ザラの血を残すつもりはないんだ。そんなこと、誰も望まないだろうし」
 ザラの血と、名。禍の根となるものを後の平和な世に残すわけにはいかない。
『……ッ』
 絶句するキラには気づかず、アスランはぐしゃりと顔を歪めた。
「このままが一番なんだってわかってる。……だけど!」
 ぎゅっと目を閉じて、髪を掻きむしるようにして声を絞り出した。

「イザークを、ほかの人に渡したくない……!」

 カガリにも抱かなかった強い独占欲。
 もしかしたら彼女にも抱いていたのかもしれないけれど、自制できていた。彼女がオーブを愛していることをよく知っていたから、彼女のそばにいさせてもらえるだけでよかった。幸せだった。
 もちろんできれば自分の手で幸せにしたかった。けれども一方で、カガリがオーブのために自分以外の男の手を取ることも心のどこかで受け入れていた。彼女がそうと決めたのなら俺は身を引こうと。優しい彼女に負い目など背負わせることのないように。
 イザークにもそうすべきなのだとわかっている。彼はアスランとは違う。イザークは幸せになるべき男だ。誰か彼を支え、彼の子も産める相応しい女性がきっといる。何もない自分ではなく。
 全部わかっている。勝手な感情なのだと。アスランはただの戦友でしかないのだから。
 わかっているのに、心が受け入れることを拒絶する。彼を渡したくないと、自分だけを見てほしいと切望する。
 俺はどうすればいい?
 どうしたら素直にイザークの幸せを願い、見守れる?
 固く目を閉じて頭を抱えて卓上に肘をついて。どれくらいそうしていただろう。
『………………わかった』
 キラの低い声が聞こえて、アスランはそろそろとモニターを見上げた。
『わかったよ、アスラン。僕、やることができたからこれで切るね。でも忘れないで』
 真摯な瞳だった。
『アスランは、幸せになっていいんだよ。望んでもいいんだ』
 そう言って、プツリと通信は切られた。
 暗くなったモニターに状況がよくわからずぽかんとしている自分の顔が映る。

「キラ……?」

 呼びかけへのいらえは、ない。




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