アスランとホーク姉妹



「ねえ、あの噂聞いた?」
「ジュール隊長が……」

 ──噂は、どこから広まるかわからぬものである。


 アスランは大戦後、正式に裁判を受けた。考えた末にプラントに戻ることを決めたからだ。先の大戦後のようにうやむやにするのもラクスの力に頼るのも嫌だった。公の場ですべてを打ち明け、その結果がたとえ死であっても真正面から受け止めようと思った。もちろん死にたくなかったが、もう逃げたくもなかったのだ。
 結果、完全な無罪放免とはいかなかったが、アスランはほぼ無罪を勝ち取ったと言える。そこに彼女の影響がないとは言い切れないことが複雑だけれど、正式にアスランのプラント市民権は再発行され、ザフトへの復帰も許された。
 配属されたのは開発部だ。おそらくはラクスの周辺に寄せつけないようにという意図もあったのだろうが、アスランにしてみれば願ってもない部署だ。クルーゼ隊時代から顔見知りの技師や元ミネルバクルーもいて、打ち解けるまでさほど時間はかからなかった。
 趣味の要素も多分に含まれた仕事に励むアスランだったが、ザフトの人手不足は終戦から数年経ったいまも解消されてはいない。何がなんでも人員が必要だった戦時下に比べれば、何がなんでもというわけではない現状はよほどいいのだけれど。
 最初は過去の諸々から敬遠と警戒されがちだったものの、確実な仕事ぶりと穏やかな人柄で信頼を取り戻し出すと、大抵のことをそつなくこなせるアスランに対して多方面から回される仕事が増えた。開発部にはベテランの整備士もいるし、自分にできることならと引き受けるアスランは今回、別のプラントへ出張を命ぜられたのだった。
 そして二週間の出張を終え、アスランはザフト軍本部に足を踏み入れた。
 懐かしい雰囲気が身を包む。この独特の雰囲気を懐かしいと感じるとは自分も軍人だな、と改めて思う。
 あとは報告書を提出すれば任務は終了だ。明日は一日非番になっている。報告書は別にメールでもよかったが、開発部にも少し顔を出しておきたかった。ヴィーノたちは元気だろうか。
「ええっ、それ本当なの!?」
「そうみたい。私もびっくりしちゃった」
 通路を歩いていると華やいだ声が聞こえ、アスランは視線を滑らせた。声はふたつとも聞き覚えのあるものだったからだ。
 覚えの通り見知った赤毛の姉妹が自販機コーナーで談笑している。睦まじげな光景につい口元をほころばせると、姉の方がアスランに気づいて明るい声を上げた。
「あら、アスラン! おかえりなさい」
 誰かからアスランの出張を聞いていたのだろう。妹の方もアスランを振り返って笑顔を見せた。
「おかえりなさい、アスランさん」
 ここで「ただいま」とだけ返して去るほど浅い付き合いではない。アスランはふたりに近づいた。
「ただいま。ふたりは休憩か?」
「はい、たまたまお姉ちゃんとシフトが重なったので。じゃあ何か飲みながら話そうかってここに」
 メイリンが嬉しそうに笑う。
 かつて自分がこの姉妹を引き離していた時期があるだけに、こうしてふたりの仲が良いのはアスランも嬉しい。
 見ればふたりともちょうど来たばかりだったのだろう。財布を手にしてはいるが、飲み物はなかった。
「よければおごるよ。何が飲みたい?」
 意識する間もなくそう言っていた。きょうだいのいないアスランにはふたりとも妹のように思えて、少し甘やかしたくなってしまうのだ。相変わらず生意気だけれど、シンのことも弟のように思っている。
「きゃあラッキー! いいんですかぁ?」
「そんなっ、悪いです!」
 素直に喜ぶルナマリアとは対照的に遠慮するメイリンに気にしなくていいからと笑って、ルナマリアにはカフェラテを、メイリンにはカフェモカを買ってあげた。
「ごちそうさまです!」
「ありがとうございます」
 彼女たちの笑顔に満足していると、ルナマリアがそうだ、と瞳を好奇心で輝かせた。
「ね、アスランはあの噂知ってました? あ、出張してたから知りませんよね。私もさっきこの子から聞いたばっかりなんですけど」
「なんだ?」
「ジュール隊長、お見合いするみたいですよ」
 どくんと、鼓動が跳ねた。
「え……?」
 お見合い……って、なんだ?
 簡単なはずの言葉の意味がしばらく理解できなかった。理解できたのはふたりの会話を聞いてからだ。
「ジュール隊長もついにお見合いなさるんですね。いままでお話があってもずっと断ってらしたのに」
「あーあ、ジュール隊長結婚しちゃうのかしら。玉の輿に乗り損ねたわねぇ」
「もう、お姉ちゃんったら。シンが泣くよ?」
「やぁねぇ、冗談よ、じょーだん」
 お見合い。結婚。──結婚?

「──結婚!?」

 ようやく意味を理解したアスランは大声を上げた。
 鞄がドサッと音を立てて滑り落ちるが、アスランは気づかなかった。ふらっと身体がよろめいて背中が自販機にぶつかる。
「イザークが……結婚……?」
 茫然とした呟きが唇から漏れる。
 見合い? 結婚? あいつが?
「え、ええ……」
 アスランの様子に戸惑いつつルナマリアが頷く。
「アスランさん、これ……」
 メイリンがルナマリアにカップを預けて落ちた鞄を拾うが、それにもアスランは気づかず、額に手をやって茫然としたままだ。
「アスランさん!」
 メイリンの強い呼びかけにアスランは我に返る。
 顔を上げれば心配そうな顔のメイリンが落とした鞄を差し出してくる。
「これ……落としました」
「あ、ああ、ありがとう」
 ハッとして鞄を受け取って、ごまかさなければ、と思った。
 なぜそう思うかはわからないけれど、この場はごまかさなければ、と感じたのだ。
「あの、ジュール隊長のことはあくまで噂ですから」
「ああ……うん、わかってる。ただちょっと……驚いて」
 取り繕おうとアスランは微笑む。
「ほら、アカデミーからの付き合いだし、その頃から立場が立場だったからいままでも見合い話があったって知ってるけど、実際に見合いする、なんて話はなかったから。別におかしくはないんだけど……」
 ふたりが何か口を挟む前に、とまくし立てた。
 俺はどうしてこんなに余裕をなくしてるんだろう。
「あ、そろそろ行かないと。報告書も出さないといけないし。メイリン、鞄ありがとう」
「いえ……」
 立ち去る間際、ルナマリアが呆れたような顔をしているのが見えた。
「むかーし、おんなじような光景を見たわ」
 立ち去るアスランの背を見送りながら、ルナマリアが半眼で呟いた。
「お姉ちゃん?」
 メイリンが預けたカップを受け取りながら首を傾げる。
「アスランがミネルバに着任した日よ。私が『アスハ代表は結婚しちゃうし』って言ったら、アスラン、いまみたいに鞄を取り落としてうろたえていたわ」
 まだ何も理解しておらず、愚かだったあの頃。当時抱いたアスランに対する思い上がった想いは、自分を穴に蹴り落として埋めてしまいたいくらいだ。
「そのときとまったく同じ、いいえ、むしろバージョンアップしたリアクションだわ。あれを見なさい」
 ルナマリアが指差す先で、心なしかふらふらした足取りのアスランが一般兵とぶつかり頭を下げていた。頭を下げられた一般兵の方が恐縮している。
「アスハ代表のときはもっと冷静だったわ。少なくともすぐに冷静さを取り戻して艦長のところへ着任挨拶に行ったもの」
 一息ついて、アスランからおごってもらったカフェラテを飲む。
「いくらアカデミーからの付き合いでジュール隊長が一度もお見合い受けたことがなかったからって、同性の戦友がお見合いするって聞いただけであんなに取り乱すと思う? お見合いしたからってそのまま結婚するとも限らないのに」
「しない……よね」
「そう、普通はしないわよ。アスランってそっちだったのかしらね。ああ、でもアスハ代表と付き合ってたんだから、両方イケる口? 恋愛感情かどうかはわからないけど、ジュール隊長もアスランのこと大好きよね。本人は認めたがらないでしょうけど。……おいしいわね」
「お姉ちゃんっ! おいしいって何よ、おいしいって!」
 と言いつつ、メイリンもルナマリアの言わんとすることがわかってしまう。頷いてしまう。ああ姉妹だなぁと、微妙なところで血の繋がりを実感させられる。
「アスハ代表と別れて三年以上経つのに誰とも付き合おうとしないのは、代表を忘れられないからだと思ってたわ。でも違ったのね。よかったじゃない」
 メイリンはハッと姉を見た。ルナマリアはさきほどまでの呆れたふうではなく、その顔は優しい。
 ──アスランの幸せを願う気持ちも、姉妹一緒なのだ。
 メイリンは小さく笑った。
「……そうだね」


 一方、報告書を提出したアスランは開発部にも寄らず官舎へ直帰した。いまはとても人と話せる状態じゃない。
 鞄を放り捨て、襟をゆるめもせずうつぶせでベッドに身を投げた。枕に顔を埋める。
 イザークが見合いする。
 メイリンは噂だと言ったが、こんなふうに噂になったのは初めてだ。十中八九事実だろう。
「俺……なんで落ち込んでるんだろう」
 愕然とするほどの衝撃が落ち着いたと思ったら次はこれだ。どんよりと気分が沈んでいる。
 イザークが見合いしようが結婚しようが、アスランには関係ない。
「つっ……」
 関係ない。そう思ったらズキンと胸が痛んだ。
 イザークが選んだのなら、イザークが幸せならばそれでいいじゃないか。めでたいことなんだから祝福してやらないといけない。──友人として。
 そう、友人なんだから言ってやらないと。頑張れよって。あいつは見かけによらず短気なんだから、相手の女性を怖がらせないようになって。
「そう、言ってやらないと……つっ……」
 また胸が痛んだ。
 それで見合いがうまく行って結婚、なんてことになったら、あいつに言わなきゃ。おめでとうって。
 三度、胸が痛んだ。
「なんだよ、これ……」
 アスランは顔を歪める。
 嘘だろう?
「こんなの、恋患いみたいじゃないか……!」
 歪めた顔を枕に押し付け、アスランはそのまましばらく動かなかった。




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