イザークとエザリア
本日のミッディ・ティーブレイクはクリームティーで。
クリームティーとは紅茶とスコーンのセットのこと。スコーンにクロテッドクリームとジャムは欠かせない。サクリと小気味よい音を立てる焼きたてのスコーンにクロテッドクリームとイチゴジャムをつけて、紅茶はセイロン。ミルクがたっぷりのそれはクオリティシーズンのウバだ。
庭園の一角、見事な白薔薇に囲まれて優雅なティータイムを過ごす一組の親子。白銀の母と子は、うっとりするほど美しい絵画のごとき光景を作り出していた。
「こうしてあなたとお茶をいただくのも久しぶりね」
「そうですね」
久々に味わう本格的なティーブレイクに、イザークは頬をゆるませた。
ここはマティウス・ワンにある、ジュール家の本宅だった。
メサイア攻防戦においてギルバート・デュランダルが亡くなり、先のプラントを見舞った悲劇に疲弊した最高評議会は臨時最高評議会議長にルイーズ・ライトナーを選出し、オーブと停戦条約を結んだ。またヘブンズベース、ダイダロス、アルザッヘルと数々の主要基地を失った地球軍ともどうにか停戦条約を締結した。ロゴスの存在が明るみに出、地球軍内での離反者が多かったことも向こうが停戦を受け入れた理由のひとつなのだろう。
そうして、プラントには新政権が誕生した。ラクス・クラインを議長に据えた、二度目のクライン政権である。
政権発足後しばらくの間、イザークはラクスの側近の立場にいた。彼としては彼女ではなく彼女の元婚約者を援護したつもりなのだが、たとえそうでもラクスの側に拠ったことと、人望篤いザフトの守護神をそばに置く意味と──むろんイザークの有能さもあってのことだが──それらが絡み合っての人事だった。それでも、戦後復興に深く強く携わるにはその方がよかったのだ。
いまはその地位を降り、再び一隊を率いている。が、隊の規模は開戦前と比べるまでもなく大きくなった。
議長側近のときほどではないもののそれなりに忙しい日々を送っていたイザークが本宅のエザリアに呼び出されたのは、ウバのクオリティシーズンである六月のことだった。
まろやかなミルクティーを味わい、エザリアが真っ赤なルージュを引いた口唇を開いた。
「イザーク、あなた、お見合いなさい」
「──は?」
ゆるませた頬を強張らせて、イザークは敬愛する母を見つめた。エザリアはスコーンを口にし、「あらおいしいわね、このスコーン」などと言っている。そういえば、これは新しく見つけた店のものだと最初に聞いた気がする。
イザークはカップを持ち、自身もミルクティー──ストレートの方が好みだが──を飲んでひとまず気持ちを落ち着け、もう一度エザリアを見つめた。
「母上」
エザリアがイザークに視線を戻す。
「……いま、なんとおっしゃいました?」
「お見合いなさい、と言ったのよ、イザーク」
ゆっくり確かめると、間髪入れずにさきほどと同じ言葉が返された。
「いきなりなんです」
「あら、あなたももう二十歳を過ぎたのだし、いきなりなんてことはないでしょ?」
「……それはそうですが」
確かに、おかしくはないだろう。イザークはジュール家の嫡子だし、白をまとう隊長格でもある。同じ白の中でも上位の立場だ。身を固めても不思議はない。けれどイザークには潔癖なまでに噂一つない。女相手にも男相手にも。そのため「イザーク・ジュールはザフトとプラントに一生を捧げるつもりだ」と噂されているほどだ。そしてそれはあながち嘘とも言えなかった。
結婚して次代を繋ぐ。それはコーディネイターとして生まれた者の役目だと思っているが、いまのところイザークにはそういう気がないのだ。女性と結婚して自分の家庭を築く、そんな気がまったく。
いつかはそんな気になるかもしれないが、噂通りにこのままザフトとプラントに一生を捧げるのも悪くないかもしれないと思っている自分がいるのも事実だった。
「……母上は、私の意志を尊重してくださっていると思っていたのですが」
「もちろんしていてよ」
「でしたら、なぜ見合いをなどと?」
エザリアは息子とよく似た麗しいかんばせを軽くしかめた。
「あらいやね、そんな顔で見ないでちょうだい。結婚するもしないもあなたの自由だけど、わたくしでも、たまには孫の顔が見たいわねって思ったりするのよ」
イザークは驚いた。エザリアからそんなことを言われたのは初めてだった。
「わたくしは昔より暇だから、そう思うことが増えたわね」
「母上……」
イザークの功績と皮肉にもパトリック・ザラの死ですべての責任を彼が負う形となり死罪は免れたものの、エザリアは隠居生活を余儀なくされている。使用人も以前ほどには置いていない。広い邸でひとり、かつての忙しさもなく静かな日々を、母はどう過ごしているのだろう。
これからは忙しくてももう少し顔を見せようと決めるイザークにエザリアは続ける。
「わたくしにはあなたがいて、結婚しなかったことを後悔したことはないけれど、たまにね、ふと思うのよ。こんなとき、人生を寄り添い合う相手がいるとよかったかしらって」
本当に、今日の母はよくよく人を驚かせる。
イザークという息子がいたが母はまだ若く美しく、結婚しようと思えばいくらでも相手はいたはずだ。なのに探そうともしなかった。少なくとも息子から見える範囲内では。
母がそうしなかったのは、もしかすると自分のせいだったのだろうか。大切な母を他人に取られるなど、あの頃なら面白くなかったに違いない。きっと苛烈に反対しただろう。いまは、いまからでも母にそんな相手が見つかるといいのに。
「誤解しないでちょうだいね、イザーク。わたくしが結婚しなかったのは、そんな気が起きなかったからよ。だからあなたの気持ちがわかるし、意志を尊重するけど、あなたはまだ若いのだもの。若いから無理に考えることもないけど、若いからこそ少し考えてみてはどう? 人生を寄り添う相手のことを」
「人生を寄り添う相手……」
それは考えてもみなかった。プラントを守る、ずっとそれだけに必死で。
イザークの脳裏に、ひとりの戦友の姿が描き出される。
誰より、癪だがイザークより優秀で、望めばどんな地位でも手に入れられたろうに、誰より苦難な道を歩んでいる男。
これから先、人生を寄り添い合える相手に……彼は出会えるだろうか。
彼の周りにいるのは誰も彼の人生には寄り添えない連中だ。彼らが、彼らなりに彼を大事に思っていることは知っているけれども、誰も彼の人生には寄り添えないのだ。ラクス・クラインもカガリ・ユラ・アスハも、──キラ・ヤマトも。
もしも──もしも俺なら、違うのに。ずっとあいつのそばにいて……
イザークはハッとした。
(待て! 俺はいま何を考えた!? 俺なら違うってのはなんだ!? これは俺の話であってあいつには関係ないだろうが! なのに)
俺ならずっとあいつのそばにいてやる──そんなことを思うなんて。これは友情か? 友情の範囲内なのか?
眉間を寄せて懊悩する息子を眺め、エザリアは微笑んだ。
「とにかく」
凛とした声にイザークは我に返る。
「一度だけお見合いしてみてくれないかしら。これも経験のうちだと思って」
エザリアはあでやかに笑んでいる。
なんの経験だ、などとは言わなかった。
そもそもイザークにはエザリアに逆らう気がよほどのことがない限りはないのである。忙しさで孝行らしい孝行ができないなりの、せめてもの親孝行だ。
「……わかりました。一度だけですよ、母上」
「さすがわたくしの息子ね。日時は追って知らせるわ」
エザリアはにっこりと笑みを深めると、紅茶を入れ直してくるわねと席を立った。
イザークはため息をつく。
久しぶりに母に会えたのは嬉しいが、面倒なことになった。なんだか気づきたくないことに気づいてしまったかのような、妙な心地もする。
イザークはもう一度ため息をついて、すっかり冷めてしまったミルクティーを喉に流し込んだ。
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