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ほら!帰りますよ!



校内の電気はもうほとんど消えてて、あとは受験生で勉強するのに図書室に籠ってる先輩達と、少しの先生が残っているばかりだった。

「私、電話で起きなかったのかぁ。起こさせてごめんね」

潔子がカバンから取り出したタオルで私の涙を拭いてくれて、ちょっぴり気恥ずかしい空気になりながら私達は抱き合った腕を解く。
それから時間を確認しようと携帯を開けば、着信履歴が潔子から二件。

なるほど。電話するねって言っていたのにいきなり教室へ現れた理由がわかった。

「大丈夫。昨日寝てなかったんでしょ?熟睡出来てて良かった」

くすくす笑う潔子。

ぐちゃぐちゃの本音を晒したこと。
ひとりじゃないと言ってもらえたこと。
親友なのに、抱きしめあうのなんか今更なのに、私はなんか恥ずかしくて潔子の顔を直視できない。

そんな私に、

「可愛い、ナマエ」

なんか大人びた笑顔で言ってくる潔子って、もしかしてイケメンの素質もあるかもしれない。





「ねぇ、ナマエ」

二人で暗い廊下を歩いていると、潔子がぽつりと口を開く。

「ん?なあにー?」

何気なく返事をすると、

「西谷には好きって言った?」

予想だにしていなかった言葉が飛び出してきて、吹き出す。

「き、潔子!?」

大変下品な返事をすることとなった私は、いきなりぶっ飛んだことを言われて隣を見る。と、

「ナマエ、私に嫉妬するって言ってたけど、」

潔子は神妙な顔をしてた。

「西谷も案外、私に嫉妬してるんじゃないかな」

私は潔子を見るのに、潔子は廊下の奥を見つめたまま。

「潔子に嫉妬……?なんで?」

彼女の言わんとすることが分からない。
西谷はあんなに潔子に求愛してるのに、潔子に嫉妬する意味がわからない。

まあ、確かに潔子の美貌は人類皆嫉妬したっておかしくはないんだけど、西谷に嫉妬って感情がまず不似合いだし、普通自分の好きな人に嫉妬する?

なんなら、嫉妬するとしたら潔子といつでも一緒にいれる私の方なのではないか。

好きな人に恨まれてるとしたら悲しい気持ちはあるけど、私に少しでも気持ちが向くのならそれはそれで悪くないとか思ってしまうあたり、私は危ないやつかもしれない。

「話してみれば?案外、ナマエがしてる勘違いなんかあっさり解けるかも」

意味深な言葉を話す潔子は、私を変えたのは西谷って言った時の菅原と同じ、なんだか酷く切なそうだった。

顰められた眉、薄く浮かぶ笑み、遠くを見つめてる瞳。

暗い校内、窓から差し込む月明かりの中、私に向き直った潔子は、

「応援してる」

もう蜜月みたいだったさっきまでの余韻を消し去っていて。

まるで自分が今から戦うかのような強い瞳で、たった一言そう言った。





校門まで歩くと、校内同様。
あたりはもう真っ暗で、潔子はいつもこんな時間までバレー部で頑張ってるんだから凄いなぁって改めて思った。

私も確かにバイトない日はよく図書室で勉強したりするし、西谷と約束した日は暗い中帰ってるけど、家が近いとはいえ、こんな美女が夜道を一人で歩くなんて危険すぎやしないか。

なんて今更な不安に襲われて、

「潔子!私送っていこうか!?」

隣を歩く潔子に言う。と、

「ナマエ、」

潔子は真っ直ぐ前を向いたまま立ち止まって、

「ほら、待ってるよ」

見つめる視線の先。

「……ナマエさん」

逆立てた黒髪。小柄な体躯。
狭い田舎道の真ん中に、

「送ります」

昨日見たときと同じ、部活終わりのジャージ姿で。西谷が待っていた。

「……にし、のや」

驚いて立ち竦む私の隣で、潔子が息を吐く音がした。

そして、立ち止まったまま動けない私を横目に、

「西谷、ナマエのこと頼んだよ」

道の真ん中にいた西谷をあっさり追い越して行ってしまう。

「…………!ハイッ!任せてください!」

それに対して、なんだか誇らしげな顔で答えた西谷は、憧れの潔子に話しかけられてすんごく嬉しそうだった。

それから数歩歩いてふっと立ち止まった潔子は、

「……ナマエ!」

私の名を呼ぶ。

「え……っふぁい!」

それに答える私の声のなんと間抜けなことか。

ついさっきまで、潔子を送ってから帰ろうかな。まだ離れがたいし。なんて考えていたのに、道端には西谷がいるし、潔子は行っちゃうし。

全然頭がついて行かないのだ。
もちろん、身体はそれ以上に、ついて行かないから、立ち止まったまま一歩も動けないんだけど。

「ふふ、また明日ね」

私の声に笑う潔子は、何処か嬉しそうで。

「えっ、あっ……うん、また明日!」

戸惑って言い淀むけど、いつもと同じ言葉で手を振った。

潔子の背中がどんどん小さくなってくのを、なんだか親に置いて行かれた子どもみたいな心細さのまま見送っていると、

「ナマエさん!」

5メートル先、西谷が突然私を呼んだ。

「は、はい!」

それに驚いて、何故だか敬語になってしまう。

だって、昨日あんなことあったばっかりだし。なんて気まずくて尻込みする私と、

「ほら!帰りますよ!」

なんか犬でも躾けるみたいに親指を立てた腕をぐっと曲げて背後の道を指し、顎をしゃくると、そのまま踵を返して先に歩き出す西谷。

そんなよくわからない態度の彼にびっくりしたまま、

「え、あっ……はいっ!!」

私は置いて行かれないようにその小柄な背中の隣に並んだ。

夜の風は少し寒くて。
帰ったらタンスからカーディガン出さなきゃならなそうだった。





二人きりの帰り道。
そんなの初めてのことじゃないのに。

何から話していいのかわからない。

今の私にわかるのは、普段あんなに騒がしい西谷が黙るとどうしようもなく胸が騒ぐってことだけ。

好きな人と一緒に帰れるなんて、普通ならもっと嬉しくてたまらない筈なのに。
こんな沈黙が続く夜道は、悲しい。


そう思って必死に話題を探した。

昨日のアレ、結局なんだったの?とか軽いノリで訊いたらあっさり教えてくれたりしないかな。

あ、でも、初めに聞いてショックなこと言われたらそのあとどんな話したらいいのかわからないし、ここは無難な話題から行くべきだよね。

「に、西谷ぁ、今日さ、」

今まで散々いたずらに触れてきた筈のその頬が、ピクリと反応する。
そんな些細な仕草さえも、怖いと感じるくらい。
今私の全神経は、静かに歩調を合わせて歩いてくれる西谷に向いてる。

「……はい」

そんな何気ない返事さえ、普段の彼との差に戸惑って。

でも、引くわけにはいかない。
西谷とずっとこんな気まずいままなんて絶対に嫌だし、気まずくさせたのが私の所為ならば、私が頑張らなきゃ未来はない。

「なんで残ってたの?バレー部のみんなはもう帰ったんだよね?」

努めて明るく、無神経を装って。
何にも気にしてないよって顔で問えば、

「そりゃこっちの台詞っスよ」

西谷は私の顔も見ずに言った。
なんだか、今日はいろんな人に目を合わせてもらえないまま話す日だなぁ。なんて余計なことを考える余裕だけは、あるみたいだった。

「え?」

意味がわからなくて西谷の顔を見ると、

「昨日言ったじゃないですか」

その横顔は、多分怒ってた。

「な、なにを?」

焦る。あれ、何気ない話題を探した筈なのに、西谷怒らせちゃうとかなんで?
もしかしてもう私と話すことすら嫌なのかな。

潔子の手前、私を送っていくことを断れなかっただけで、実はこうやって並んで歩くのも嫌だったりするのかな。
なんて不安になる私に、

「暗くなる前に帰ってくださいって」

「あ、」

西谷が発したのは、昨日言われた言葉だった。

そっか。確かに。
心配だから夜道一人で歩かないで、早く帰れって言われたのに、潔子を待ってて暗くなっちゃったから。

「なんで残ってたかなんて決まってんじゃないスか。ナマエさん送るためです」

だから怒ってるのか。
私が、唯一頼みたいっていうくらい念を押されたことを、次の日簡単に破ったから。

「あんなことあった後なのに、本当に自覚が足りないですよ。こんな暗い中一人で帰ろうとするなんて」

そう言う西谷の言葉は冷たい。当然だ。西谷がこんなに喚起してくれていたのに、当の本人がまるで自覚のない行動を取るなんて。

「無防備にも程がありますよ」

無神経にも程があった。

「……ごめんなさい」

そんな言葉、なんの慰めにもならないかもしれない。
でも、私は自分の愚かさを恥じて、西谷に謝るしかなかった。

けど、

「……ナマエさん、ごめんじゃないですよ」

西谷は私に謝らせてくれない。

「俺はもっと、違う言葉が欲しい」

そう言ってようやく私を見据えた西谷は、月明かりの下、意外と思えるけど端正な顔立ちに、ちょっとだけ困った色を見せる。

その似合わない大人びた表情に、さっきまでの居心地の悪さとは違う意味合いで、ドキドキした。

「あり、がとう?」

多分、彼が言いたいのはこういうこと。人の厚意にはごめんより、ありがとうがいいって事。

でも少し自信がなくて首を傾げれば、

「はい。どういたしまして」

西谷は目元をくしゅっと寄せて、満面の笑み。

「…………っ」

その顔に私の心臓は、簡単に射抜かれる。

さっきまで西谷の顔を見るのが怖かった気持ちなんか吹っ飛んじゃうくらい、彼の笑顔は高火力だ。

その顔に撃ち抜かれて、ズキュンって音が聞こえるのに、

「でもダメじゃないスか!夜遅くなるときは送るんで!これからはちゃんと連絡してくださいよ!?」

約束を破った子どもを叱るみたいに、眉を吊り上げて、でも優しく言ってくる西谷に。

「〜〜っ!」

私なんだか、一気にいろんな想いが押し寄せてきてしまって。

あ、って気づいた時には、頬を涙が零れ落ちてた。




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