HQ | ナノ
はじめてでーと
西谷は、私には俺だけ見ててくださいとか言うくせに、自分はバレーボールばっかり追いかけてるような男の子で。 付き合い始めて四ヶ月、まともなデートになんて出掛けたことがなかった。
それでもクリスマスには手料理褒めてくれて、朝起きたら一緒にケーキを食べて。初詣だって行ったし、学校の帰りにはいつも送ってくれるから。
いつも一緒にいるのだし、今更デートなんかいいよって言ったわけだけど、
「俺!ナマエさんとデートすんの楽しみにしてたんです」
なんて言われてしまえばそれ以上言葉を紡げるはずもなく、今日デートに出掛けることに決まったのだった。
母はバカみたいに抱き締めあって喜び合う私達に柔らかく微笑んでから、おばあちゃんの家(もとい、今や私の家)に寄って一杯だけお茶を飲んでから、東京へと戻って行く。 東京へ戻ってからも数日後にはまた海外へと発たなくてはならないという彼女に、幼い頃とも昨日までともまた違う気持ちで行ってらっしゃいを告げると、情けないくらいふにゃりと笑う母はやっぱり可愛らしくて。 私はまた、こんな女性になれたらと思ってしまった。
見上げた空は青くて。朝の空気はどこまでも澄み渡っている。 私をキラキラした目で見上げた西谷が笑う。
「絶好のデート日和っスね!!」
*
西谷とデートっていうから、前に言っていた釣りかなー?とか思ったりしたけれど、それは今の時期寒いんで夏にしましょ!なんて笑われてしまった。 なるほど、釣りは夏のデートコースなのか。なんて、私はひとつ学んだのだった。
じゃあ、どこにデートに行こうか? 東京だったら山ほどあるデートスポットも宮城じゃ望めないし、王道の遊園地なんか冬はやってないのだ。 室内で楽しめる映画とかも王道だけど、西谷と映画の趣味が合うとは思えないし(そもそも西谷が映画館でジッとしてる姿なんか想像出来ない)。
そんな風に頭を抱えて悩んでいた私に、数日前西谷が言った。
「ナマエさん!せっかくなんで、冬しか出来ないことしましょ!」
その一言で私達の初デートは、あっさりと王道ウィンタースポーツのひとつ、スケートに決まった。
初めて立ったリンクは、油断したら鼻水とか垂れてきちゃいそうなくらいものすごく寒くて。 靴を専用のものに履き替えて、いざ始めようというその瞬間には、手の指先の感覚が無くなってしまっていた。
「大丈夫です、ナマエさん!俺が引っ張るんで!ゆっくり手を離しましょう!」
「や、あのっまだ!まだ私には早いっていうか!」
それでも、そんな指先で健気にも手すり付きの塀にしがみつく私を、無慈悲に引き剥がそうとする西谷。
「手ェ繋いでるんで大丈夫です。安心してください」
「いやいや!私が突っ込んだら西谷も転ぶでしょ!?共倒れだよ!」
さっきからこんな調子で、塀を掴んでいない方の手をぐいぐい引っ張ってくるけれど、
「そうなったらそうなったっス!」
その一言で、こいつ!さては私が怖がってるのちょっと面白がってるな?!と確信。
「え、ちょっ!何言ってんの!?こんな硬いとこで転んだら絶対痣になるじゃん!」
目の前で仁王立ちをした西谷は、いつも揶揄ったりバカにしたりしている仕返しのつもりなのかもしれない。
「じゃあこのままずっと塀にしがみついてるつもりスか?」
けど、そうは言われても私の腕は塀にしがみついているし、足だってビクついてしまってちっとも進まない。
いつまでもこうしているわけにはいかないし、せっかく来たのだから楽しみたい。とは思うのだけれど、だからっていきなり氷のど真ん中に放り込もうだなんて。
「そ、れはそうなんだけどっでも!心の準備がいるっていうかっ」
と、その時だった。
「ナマエ」
「は、はい!」
唐突に名前を呼ばれて、いつもあるさん付けの敬称が無かったことも相俟って驚いた結果。私の方が何故だか敬語になる。
「転んでも俺が受け止めるから、怪我なんかさせねーよ!」
「!」
真っ直ぐな視線。綺麗な瞳。 真面目腐った表情で言う西谷。
さっきまでは、西谷が手を引くのを悪ノリしてるとしか思えなかったのに、そんな顔でそんなことを言われたら、もうダメだった。 胸のあたりでズキュンって音がした。
なんでもう、この男は。 一体全体どうしたらこんなかっこいいことが言えるんだろう。
「だから、大船に乗ったつもりで」 「西谷の身長じゃどう考えても漁船がいいところなんですけど」
にひひと笑うその頬に、つんと人差し指を突き出す。
「なっ!」
すると、せっかくの一言を台無しにしかねない可愛くない返しに、整った眉が釣り上がる。
「でもありがと。すっごい頼りにしてる」
手のひらを返すみたいに、その頬に伸ばした指先で頬を撫ぜる。
「ナマエさん……っ!?」
それに対して飛び跳ねる肩は、自分が数秒前にはどれだけかっちょいい台詞を吐いたのかなんて忘れているのだろう。
「ちゃーんと受け止めなさいよね!怪我とかさせたらただじゃおかないんだから!」
素直にありがとうって言うには、私はちょっと捻くれ過ぎてて。 ちょっと乱暴にその胸に突き出した拳は、照れ隠しだってことくらい、
「はい!任せてください!ナマエさん!」
彼にはぜーんぶお見通しなのだと思うし、そうであって欲しいと望む自分がいた。
*
結果として、スケートはコツさえ掴めば簡単なもので、
「やっぱナマエさん、運動神経いいっスね!」
帰り道に手を繋ぎながら、西谷から褒め言葉を頂戴した。
「まーあねぇー?私にかかれば、スケートなんてチョロかったわ!」
元々運動神経は悪くない。 体育の成績だって水泳以外は完璧だと先生からお墨付きをいただいているくらいには。
「そっすね!やっぱあんなビビることなかったんすよ!」
「確かに!でもでも、やっぱ初めは怖いじゃん?滑るし、進み方わかんないし!」
それでも、普段から運動してる西谷みたいに体力に絶対の自信があるわけではないし、スケートなんかしたこともない。 実はさっきから股関節のあたりがおかしくて、明日は筋肉痛なんだろうなって予感もあったりして。
「だから言ってんじゃないスか!スーッと行って、曲がりたい時だけクッと」 「はいはい!あんたの説明ぜんっぜん意味わかんないから!」
西谷はそんな風に身振り手振りでスケートの滑り方を説明してくれようとするけれど、正直これには頭を抱えた。
これだから天才肌のやつって……と思うけれど、もしかしたら西谷がおバカさんなだけかもしれない。
「な、なんでですか!」
遮って言えば、不満げな西谷の声。
「Could you speak Japanese?」
「く、くど??」
それを無視して言えば、聞き取れなかったのか意味がわからないのか、もしかしたらどっちもって恐ろしい事態もあり得る西谷が頭に疑問符を浮かべる。
「日本語で喋ってくださいませんか?」
中学英語だよ?とか言っても良かったのかもしれないけど、とりあえず意味を告げれば、
「しゃ、喋ってるじゃないスか!」
怒ってるのか焦っているのかわからない口調で返されて。
「西谷ぁ、これから先英語も日本語も話せなくっちゃ就職できないわよ?」
「なっ!?ひ、酷ぇ!」
ニヤリと笑う私に、たじろぐ彼のなんと可愛らしいことか。
「……ふふ、ふふふ」
思わず笑い出してしまうと、
「え、な……ナマエさん?」
きょとんとした大きな瞳は、まるで宝石みたいだって思う。
きっと、この輝きに人が魅入られるのに理由なんかないんだって。
「うそうそ!西谷ってば今日私が怖がってるの面白がってたでしょう?意地悪されたから仕返ししただけー!」
西谷のコートのポケットの中で繋いだ手を、ぎゅっと握りしめながら舌を見せれば、
「俺、意地悪なんかしました?」
どうやら揶揄われただけだと悟った彼が首を傾げる。
「したよー!滑れないって言ってんのにぐいぐい引っ張るし!無茶振りにも程があるわ!」
私ってやつは自分で言うのもどうかと思うけれど、性格が悪くて。 自分がイジるのはいいけど人にやられるのは嫌いで、普段だったら色仕掛けでもしてそんな悪戯は黙らすところだけれど、今日は手すりにしがみつくことに必死になっていたから、そんな余裕もなくて。 珍しく西谷にやられっぱなしだった。
けど、
「あ、あー……あれは、その」
「?その?」
「……へっぴり腰のナマエさんが可愛すぎて」
言い訳するように視線を逸らした彼の頬は朱色に染まる。
「ええーへっぴり腰て」
その顔がちょっぴり可愛くて、へっぴり腰だなんて不名誉な言葉にもイマイチ責めきれないから困ったものである。
「好きな女にしがみつかれるとか、男のロマンじゃないスか……」
「……ロマン。ロマンねぇ……」
なんだそりゃ、私はあんなに恐ろしい思いをしたのに!と思う気持ちもあるものの、でももし立場が逆で、西谷にしがみつかれていたとしたら私も同じことをしていたかもしれないと思い直した。 多分、というか絶対。私なら彼をもっと困らせただろうし。
ふと空を仰げば、澄み切った夜空にオリオン座が見えた。
東京にはない美しい星空は、夏場でもハッと息を呑むほどだけれど。 冬場は特に空気が澄んで、何度見上げてもため息が漏れるし、いつまでだって見つめていたくなってしまう。
「ねえ、西谷?」
「はい」
その星空を見上げたまま静かに呟けば、見なくてもなんとなく、西谷も空を見上げているような気がした。
「来年の今頃はさ、多分私、受験で大変だと思うから無理なんだけど。……また、来ようね」
もう二年も終わろうというのに、私ってやつは志望校も絞り込めていない。 けれど、母と一緒に住む約束をした今、東京の大学へ進むということだけは決めている状態だ。
そんなやりたいことも行きたい学校も決まっていないような半端な覚悟で、それでも彼と離れ離れになるということだけは確定しているのだ。
「……はい」
そんな、遠いようですぐ近くの未来に胸が締め付けられるのは、きっと私だけではなくて。 西谷の返事もどこか覇気に欠ける気がした。
寂しくないかって訊かれたら、朝から泣き喚いたのが答えだ。寂しいに決まっている。
けれど、そんな未来の憂慮の為に今を楽しめないなんて愚かで悲しいから。
「その頃には滑り方忘れとくから、またしがみつかせてね」
スケートなんかまたいつでも出来るのだと笑ってみせれば、
「!」
西谷の目がまん丸に見開かれて、煌めく。
「東京じゃあさ?こんなにいっぱい星が見える日なんか無いんだけど」
「?」
そんな様子をくすくす笑いながら、胸に押し寄せる愛しさを噛み締めて。 また空を仰ぐ私を、西谷は不思議そうに見つめていた。
東京は夜でも街が明るくて。 街灯やコンビニの照明は直視するのも辛いくらいで、眼を眇めるほどだ。
街は暗がりを照らすことばかりに夢中になって、私達の頭上にはこんなにも光り輝く星々があることをいつのまにか忘れてしまったのかもしれない。
もしも遠距離が辛くて、西谷に一目でいいから会いたくなって、星に願いたい時にはどうしたらいいのだろう。 地上の明かりに邪魔されて、その姿を見つけることも叶わないのに。
なんて、
「見上げた空には見えなくても、それでもちゃんと星はそこにあるんだよね」
ないものを嘆くよりも、それでも空は繋がっているんだと微笑む方が何倍も素敵だ。
「……はい」
そんならしくもない前向きな思考は、西谷の所為だと思ってる。 彼のプラス思考の影響と、それから恋の持つ果てないポテンシャルの結果である。
「天気だって季節だって、違っちゃうんだろうけど。それでも寂しくなったら、空を見上げるから。西谷も同じように顔をあげてね」
織姫と彦星は一年に一度、鵲が作る橋を渡ってしか会うことも叶わないのだ。 なのに私達には電話もメールもあって、お金と時間が許すのなら新幹線で一時間半の距離。
東京で桜が咲いたら写メを送ってあげればいいし、宮城で雪が降ったら雪だるまをリクエストしよう。そうやって離れていても同じものを共有して過ごすことも出来るはず。
そう、たとえ遠距離になっても、前を向いて共に生きていこうと微笑んだ私に、
「はい。約束します」
優しい顔をして掌をぎゅっと握り返す西谷。
かと思えば、
「でも、寂しい時は寂しいって、ちゃんと言ってくださいね」
その表情を少しだけ引き締めて続ける。
「ナマエさんの強がりなとこ、嫌いじゃないスけど、俺にはちゃんと本心を教えてください」
「……うん、ありがと」
私の強がりは、幼い頃からいい子でいようと努力してきた結果の弊害でもある。 けれど、その平気なふりを西谷にだけは見抜いて欲しくて。
西谷だけには甘えたいと思う、その弱さを、私はもう手放そうとは思えない。
「なーんかさぁ……夕って名前、いいね」
ふと思って呟いた何気ない言葉に、
「……なんでですか?」
西谷はその瞳をパチパチさせてから首を傾げた。
その薄い色の瞳は夜でも不思議なくらい輝きに満ちているから、西谷はその身に太陽を閉じ込めているんじゃないか、なんて思ってしまうくらい。
彼は私の中では特別で大切な人なのだ。
「毎日陽が落ちる瞬間には、西谷に会える気がするもん」
大学に進学したら、こんな風に西谷に送り届けてもらうことの出来た日々が如何に眩く満ち足りたものだったのかを思い知ることになるのかな。
それは母への想いを断ち切れなかった日々のように、人の温かさに焦がれてきたように、苦しくもなるのかな。 夕日を見る度に、胸に巣食う恋心に息を詰めるのかな。
寂しくない日々をくれるこの温かな掌を思い出して、寂しくなるのかな。
それでも捨てられないから、私は西谷に心ごと全部差し出したのだ。
彼にも同じだけ私を想って欲しいと願ってしまったのだ。
「……っ!ナマエさんっ俺!」
「わ、わわわっ」
突然、西谷が弾かれたように手を引いて、バランスを崩した私はあっさりと彼に抱きとめられる。
「早くあなたを嫁にもらえるくらい、立派な男になります!だからっ」
少し震える、小柄な背。 真っ直ぐな瞳に見つめられる度に、一分一秒でも長くこの視線を独占したいだなんて、強欲なことを思うんだ。
「これからもずっと、俺のことだけ見ててください」
そして、西谷もそう思ってくれることが、嬉しくて、苦しくて、悲しくなるくらい愛おしい。
「……うん。西谷に頼まれたって、目を逸らしてあげないんだからっ」
願いながら僅かに身を屈めて、奪うようにキスをする。 と、重ねた唇から伝わる確かな体温と乾いた粘膜の感触で胸がいっぱいになった。
「そっちこそ、覚悟して」
挑発するように笑めば、売り言葉に買い言葉。 売られた喧嘩を買うような勇ましさで、西谷も笑う。
「のぞむところです」
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