かなちゃん!と自分を呼ぶ溌剌とした声が聞こえて、洗濯物を取り込む手を止めた。夏風に揺れる洗濯物の向こう側から黒い制服に身を包みぶんぶんと大きく手を振り駆け寄ってくる声の主は、にひ、と笑いながらお疲れさん!と労いの言葉をくれた。
「こんにちは、志摩さん」
「おんこんちは!なんやかなちゃん、虎屋の手伝いはじめたんやて?女将さんからそろそろ休憩しはるよう言付けもろてきたんよ。あとそれからこれ、差し入れ!」
「わ、あ、ありがとうございます」
志摩さんの手に下がったコンビニの袋に気が付いて、ぺこりと頭を下げた。それからもうあと二、三枚だった残りの洗濯物を取り込んでしまって、山盛りの洗濯物が入った籠を縁側に置いてから一つ息を吐いて、その隣に座った。
もう一度お疲れさん、と笑ってくれた志摩さんが、私の正面に立ったままソーダアイスを差し出してくれる。それをありがたく受け取って包装を剥がし、彼が差し出してくれた空のコンビニの袋にゴミを入れる。少し溶けかけているアイスに慌てて歯をたてると、爽やかな味が炎天下で火照った体を冷やしてくれた。
美味しい。思わず笑顔になってしまった私に、同じアイスを食べている志摩さんが美味いなあ、と柔らかく笑う。
「今日は初日やったんやて?何したん?」
「えっと……今日はお洗濯と買い出し、それからお掃除を少し手伝わせていただきました」
「ほおかあ!」
偉い偉い、と歯を見せる志摩さんに、気恥ずかしさを覚えて顔を浅く伏せた。こうして真っ直ぐに誉められるのは、未だに慣れない。それでもやはり胸の奥は柔らかく優しくなる。
ありがとうございます、と顔を伏せたままでたどたどしくも素直にお礼を言うと、志摩さんは満足げに「おん!」と言って私の背中をぽんぽんと軽く叩いた。
そこで志摩さんが、「せや」と声をもらす。顔をあげると、きょとんとしている年上がそこにいた。アイスはいつの間にか、もう三分のニが彼の胃の中だ。
「そういえば、その服どないしたん?なんや見たことある気するんやけど……」
その服、と言うのは、今私が見につけている和服のことだ。水色の一重と、黄色の帯が鮮やかなそれ。今朝私に着付けてくれた白い手を思い出して、嬉しさに頬が緩む。彼女と繋いだ熱がまだ、手のひらに残っていた。頑張れ、と背中を押してくれた、かわいい彼女。
「友だちが貸してくれたんです」
嬉しくてたまらなくて、彼女の笑顔を思いながらふにゃ、と締まらない笑みが浮かんだ。すると私の言葉に一瞬きょとんとした志摩さんが急に顔をしかめて、まさか……と青ざめていく。何かに思い当たったらしい。
一体どうしたんだろう。最後の一口を食べ終えながら疑問符を浮かべる私に、志摩さんが「あー……」っと困ったような顔をしてがしがしと金髪をかきむしった。
「……あんな、かなちゃん。もしかして、かなちゃんの言うとるその友だちて……」
「……?え、と、宝生青ちゃんです」
「やっぱりか……!!」
それから頭を抱えて「あ゛ー!!」と雄叫びをあげた志摩さんに驚いて肩が跳ねる。すると志摩さんがばっと顔を上げて、「かなちゃん!」と一歩詰め寄った。は、はい!と反射的に返事をしてなにやらきつい顔をした彼を恐る恐る見上げると、志摩さんは私を見下げながら「あー、」とか「うー、」とか唸る。その様子が普段の底抜けに明るい志摩さんと離れて見えて、心配になる。それでも眉を下げながらも彼の言葉を待っていると、ようやく何かを決心したらしい彼は「あんな、」と話を切り出した。
「かなちゃん、ちょお目、瞑って?」
「……?目、ですか?」
「おん」
「……こう、ですか」
彼の意図が分からないままに、その言葉に従ってそっと目を閉じる。すると余りに私が警戒もせずに目を瞑るものだから、何を感じたのか、志摩さんがふ、と淡い色を滲ませた薄い息を吐いた音が聞こえた。するりと、志摩さんの指が意志を持って私の額を滑った。優しい手付きに、ぴくと反射的に肩が少し跳ねる。
警戒はしないけれど、少しだけ、恥ずかしい。
僅かに強張る肩に気付いたのか、志摩さんが柔らかい声色で「緊張しはらなくてええよ」と微笑んだのが分かった。
「ん。もうええよ」
「は、い?」
「これで視界もクリアやろ!」
ゆっくりと目蓋を上げると、平生よりもずっとクリアな視界の真ん中いっぱいでにひ、と悪戯が成功した子供のように笑う志摩さん。何が起こったか分からず困惑する私に、志摩さんは納得したらしくああ、と声を零す。それからごそごそとポケットから(あらかじめ用意してきたらしい、)手鏡を取り出してこちらに差し出す。
そこに映るのは、長い前髪を押さえる鮮やかな赤いピン。これ、志摩さんがつけているのと同じだ。
「それ、くれたるわ」
「……へ?いいんですか?」
「安物やからな。仕事中は前髪邪魔やろ?……しっかし、まさかあの蛇女に遅れを取ってまうとは一生の不覚や!」
ぐぬぬ、と悔しそうにする志摩さんに苦笑いしてから、私はまた手鏡に映る自分と向き合った。赤いピンに前髪が押さえられて、広がった視界。そのピンの上にそっと手を当てて、ついついはにかんだ。
「志摩さん、」
「おん?」
「……ありがとうございます」
ここに来てから、気持ちを持て余してばかりだ。こういったときに、私はどうしたらいいかが分からない。ただお礼を言うしか出来ない私に、志摩さんは照れくさそうに笑う。
「かなちゃん、気張りよし。ほんで何かあったら、いつでも頼るんやで!この金造様がソッコー助けに行ったるからな!」
「は、はい」
こくこくと頷くと、志摩さんは満足げに私の髪をわしゃわしゃと撫でる。それから少し視線を泳がせてから、「アイツのゆうんが癪やけど、和服もよお似合うとるで!」と単衣姿を誉めてくれた。せっかくアイスで冷えた体が、もう熱を持っている。ひらけた視界の中映る彼の笑顔は、今までよりも更に鮮やかに、私の虹彩に色を残していった。
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20130414