「じゃあルーク、いってらっしゃい。お花一緒に取りにきてくれてありがとね」
「ん」
「シュザンヌさまにお花のことお伝えしてね?」
「……仕方ねーなぁ」
ルークが応接室の扉の奥に消えるのを見送って、彼が出てくるまでどうするか考える。
瞬間頭に浮かんだのは、先程見てしまった光景。
「……全くもう、わたしもお人好しなんだか、なんなんだか……」
お花を崩れないように、それでも落とさないように抱きながら、彼のもとへ向かった。
「メイドさんたち、公爵さまがお仕事をなさいとお叱りでしたよ」
「えっ、やだもうこんな時間!リアさんありがとうございます!」
慌てながら去っていくメイドさんたちが廊下に出ていった途端、ガイは壁を伝ってずるずると座りこんでしまった。額には緊張からか脂汗が浮かんでいる。
普段は頼りになる方が多いのに、まったく難儀な体質だ。
「あなたも相変わらずヘタレねぇ……」
「ははっ、君以外にはね」
手を差し伸べてやると、ガイはそれを取って立ち上がる。
そう、ガイはわたしには「触れる」のだ。それが彼や周りからしたらどれほど驚くべきことなのかは、計り知れない。
「でも昔からこうだけど、どうしてリアなら大丈夫なんだろうなぁ」
「……本当に、どうしてかしらねぇ」
それじゃあねと手を振って、礼を言いながら手を振り返すガイと別れてルークの元に戻る。確かに彼らからしたら、ガイがわたしに触れるのは驚くべきことだ。
でも、わたしからしたら、それは、
「いい子なんだけど、本当に厄介な子でもあるのよねぇ」
人の本能って、怖いなあ。
「なーにが怖いって?」
「わ、ルーク。もうお話しは終わったの?」
「ああ。んで、何が怖いって?」
ルークは既にヴァン様との会談を終えていたらしい。ぬっと後ろから現れたルークに、苦笑いをしながら理由を話す。
「いや、ね?……ガイは流石だなあっていう話」
「あぁ……」
それか、とルークも少し眉をひそめる。それは不機嫌さからくるものではなく、ただ単純に悩んでいるだけだ。でもバレちゃいないんだろ、というルークの言葉に、一つ頷く。
ルークは、わたしの秘密を、知っている。
世の中でわたしの秘密を知っているのは、このルークを入れてほんの一握りだけだ。別に無理をして隠す気もないのだけれど、バレないならバレない方がよい。
「……ま、あんま気にしすぎねー方がいんじゃねーの?」
先ほどルークにガイがかけた言葉を口にした彼に、肩の力が少し抜けた気がした。まあ確かに、そうだ。もしバレてしまったなら、それはそれ。
「そうよねぇ」
「そうそう。あ、それよりさ、聞けよ!ヴァン師匠が、神託の盾に戻っちまうんだよ!」
「え?ヴァンさまが?」
ルークの話によると、何でも導師であるイオンさまが行方不明の為、一時ダアトの方へ帰らなくてはいけないらしい。成る程、だからルークが呼び出された訳ね。不機嫌さを丸出しにするルークに苦笑しながら、ヴァンさまの代わりに派遣される部下さんはかわいそうだなあ。ルークのことだから、初対面の部下さんとやる位ならガイと稽古するだろうことはわかりきっているのだ。
一通りわたしに愚痴をこぼしたら多少は満足したのか、ルークは一つ息を吐いて話を切った。
「さて、俺は稽古があっから中庭に行かなきゃな」
「じゃあわたしも今日は見学させてもらおうかしら」
「おう、それはいいけどさ、……花、先渡してこいよ」
ルークの言葉に頷く。確かにそうした方がいいだろう。ルークの稽古には後で向かうことにして、わたしは応接室の扉を開ける。
「シュザンヌさま」
「あら、リアさん!お久しぶりね」
「はい。お身体の方、大事ないですか?」
「えぇありがとう、大丈夫よ。今日はどうしてこちらに?」
「仕事が一段落したので、ルークたちの顔を見にきたんです。それに、こちらのお花を差し上げたくて」
「まあ!綺麗なお花だこと」
渡した小さなブーケに微笑むシュザンヌさまに、わたしも笑みが漏れる。優しげな彼女の笑顔を見るために、花を届けにきているようなものだ。
そもそも、わたしがこの屋敷を自由に出入りできるのはシュザンヌさまのお陰だ。この街に来たばかりのわたしが、たまたま街中で気分を悪くしてしまっていたシュザンヌさまを介抱したのが、きっかけ。
それ以来、わたしは彼女のお茶飲み友達として通わせていただいている。
もっと言えば、店の土地を用意してくださったのもシュザンヌさまなのだ。もう、お礼をしてもしきれない。
「今日はしばらくこちらに?」
「はい。今からルークの稽古の見学に行こうかと思っているんです」
「そう。……ねえ、リアさん」
「はい?」
「これからもあの子を、よろしくお願いしますね」
「……はい、もちろんです!」
シュザンヌさまに大きく頷いて、抱えている三つの小さな花束を見つめる。それらに顔を寄せたわたしにシュザンヌさまはまた笑って、あなたなら安心ねと言ってくださった。
「機嫌いいみたいだね」
「そう見える?」
「まあね」
一足先にルークとヴァンさまの稽古を見学していたガイの隣に腰掛けると、彼はわたしの表情を見てからかうように笑む。
シュザンヌさまとお話しすると、幸せな気持ちになるわよね。わたしの言葉に、ガイも同意してくれた。やはり、彼女はとてもあたたかなお方だ。だから彼女のことは、何があっても悲しませたくないと思う。
それに、しても。
「……いいお天気ねぇ」
「おや、なんだか眠そうだね」
「昨日、うっかり夜更かししちゃって」
「はは、じゃあ少し寝たらどうだい?」
「そうねえ。じゃあ、そうさせて貰おうかしら」
肩なら貸すよと言うガイに甘えて、その逞しい肩に頭を乗せわたしは目を閉じる。睡魔に完全に負けるのは、そう時間がかからなかった。
それが幸だったのか、不幸だったのか、わたしには分からない。
「……ん?」
ガタン、という大きな音に、目が覚める。身に刺さるような鋭い空気に、何かがあったのだと瞬間的に悟った。
薄目を開いてみるとそこには柱を伝いどうにか立つガイ、膝をついているルークとペールさん、やはりどこかつらそうにしているヴァンさま。
そしてヴァンさまにロッドを向けている、片目を長い前髪で隠した、長髪の美人さん。
(あらあら、ルークやペールさんは分かるけれど、ガイもヴァンさまも情けないわねぇ)
なんて、呑気にかまえていたのが悪かったのだろうか。
次に目に映った光景は、ルークが侵入者である彼女に切りかかるところ。彼女はロッドで、その一撃を受け止める。
瞬間、だった。
突然光が、二人を包んだのは。
「っ、ルーク!!」
反射だった。
わたしは、光に包まれる二人へと駆け出していた。頭にあったのはルークの笑顔とシュザンヌさまの笑顔と、『あなたなら、安心ね』というお言葉だけ。
出来るだけ、出来る限り、手を伸ばす。
自分も光に包まれていると気がついたのは、ルークの肩をしっかりと掴んだのをわたしの頭が認識したときだった。
「ルーク、リアッ!!」
わたしとルークの名前を必死に呼ぶガイの声が、聞こえた気がする。
お屋敷から景色が変わる瞬間にわたしが見たのは、驚愕の色を顔に浮かべた金髪と、地面に落ちた、三つの花束。
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始まりは突然に。
20130205 加筆