オルカ・オルカ | ナノ



 そういや昨日の夜びしょ濡れで歩いてる橘見たよ、なんて話を朝から友人に聞かされてしまったがため、本日の私の脳内は朝からびしょ濡れの橘くんで占められている。通りすがりの先生に断る間も無く職員室に運ぶよう頼まれたノートの束を抱えて廊下を歩きながら、頭の中に与えられた情報を並べてみる。
 友人からのリークによると、なんと昨日は制服姿で丸々ずぶ濡れだったらしい。つまり透けるシャツ! 張り付くズボン! なんだそれ意味わからんけしからん! 七瀬や葉月くんも一緒だったらしいから、またどこかで遊んでいたのかもしれないなあ。葉月くんとは学区が違ったから小学生以来の再会らしく、積もる話もあるのだろう。
 高校生男子らしく無邪気に戯れる橘くん、今日も今日とてマジ天使なり。
 そうこう思考を巡らせていれば、職員室への道のりはすぐだった。ふふふ、私は頼まれ事をした時はいつもこの画期的な方法で乗り切っているのだ。橘くんのことを考えていれば、どんな重労働も長い道のりもなんのその。そしてこの画期的な方法にかかせないのが橘くんの存在。つまり橘くんイコール画期的。ここ、テストに出るよ。なんて我ながら馬鹿みたいなことを考えながら無理やり空けた指先でドアを開けて職員室に入ると同時に、職員室に響く教師の怒声。思わず肩が跳ねる。
 一体何事だ、と頼まれ物のノートを依頼人の机に置いて声の出どころを探れば、生徒指導の先生の前に並んで立つ葉月くん、七瀬、橘くん。

 ……橘くん!?

 一際大きな立ち姿に気付き慌てて聞き耳を立てると、どうやら彼ら、昨晩よその学校のプールに無断で侵入してしまったらしい。しかも話を聞くに、つい最近の前科持ち。天むすの散歩中に出会ったあの日も、スイミングクラブへの無断侵入ということで大目玉を食らっていたようだ。反省はないのか、頭を抱える先生の前で、橘くんと葉月くんがしょんぼりと肩を落としている。なるほど、昨日友人が見たというのはこの帰りだったのか。
 ――青春する橘くんもまた良し!
 友人がいたらまたよく分からないとぼやかれるであろう悦に浸っていると、私たち一組の担任、天方先生が、長くなりそうなお説教から彼らを助けるべく立ち上がった。おおおいいぞ天方先生かっこいいぞ天方先生!
 などと、内心囃し立てていたものの。

「……あちゃー」

 負けちゃったよ天方先生!
 古典の先生らしく偉人の名言で乗り切ろうとしたが、生徒指導の先生にばっさりと話を断ち切られていた。しゅんとする天方先生は頑張った。頑張ったけどだめだったのだから仕方ない。

「(……周の軍師太公望、ひっくり返した金魚鉢……)」

 場を取りなそうと先生が話題に出しかけていたのは、多分、「覆水盆に返らず」の逸話だ。以前国語の資料集で読んだことがある。
 とはいえ、どうにもこうにも状況は変わっていない。しゅんとする橘くんも勿論かわいらしいしその存在が天使であることに違いないけれど、やっぱり橘くんは笑っているのが一番いい。

「先生」
「おお、安土か」
「安土さん……?」

 生徒指導の先生にこちらから話しかければ、立たされている彼らや天方先生の視線もこちらへと向いた。不安げに名前を呼んだ橘くんマジ天使……とか言ってる場合じゃない。何を隠そう、声をかけたはいいけれど、困ったことに全く内容を考えていなかったのだ。あほなのかな? それでもこの場を切り抜けるには何かしらを発さなければならない。なにせこの一言に橘くんが解放されるかがかかっている。橘くんのためだ捻り出せ私! えーっと、えーと……、あ、そうだ。

「先生、新しく部活を作るにはどうしたらいいんですか?」
「何だ、部活を作りたいのか?」
「いえ、私じゃなくて、友人が作りたがっていたので」

 思いつきにしてはそれなりじゃないかなこれ! 我ながら良くやったと内心自画自賛する私の言葉に生徒指導の先生も納得してくれたらしく、それなら……、と懇切丁寧な説明をしてくれる。と同時に意識もこちらへ向いたため、「お前ら次は本当に気をつけろよ」と念を押されながらも、無事橘くんたちは解放されたのである。やったね! 伊達に外面だけとか友人にディスられてないね! 今はアレが褒め言葉に思えるね!
 ガッツポーズはあくまで頭の中で。先生からの説明はちゃんとメモ書きに(こんなこともあろうかと普段から持ち歩いているのだ)。ほら、こうした方がそれなりに見えるし。実際に何かに使えるかもしれないしね。
 説明の要点をメモしながら、先生が部活動申請書を探している間にそっと彼らを窺う。状況が理解出来ず立ち尽くしていた橘くんと葉月くんの横をするりと抜けてさっさと出て行く七瀬。その背を慌てて二人が追いかける。

(……あ、)

 七瀬に続いて職員室を出ようとする大きな背中が立ち止まって、くるりとこちらを振り返った。八の字眉がへにゃりと下がって、形のいい口がぱくぱくとこちらに何かを伝えようとする。

「……え、」
「マコちゃーん、行くよー?」
「おー」

 葉月くんの声に急かされて、橘くんの広い背中は廊下へと消えて行く。その手によってそっとドアが閉じられるのを見届けてから、私はその場に崩れ落ちた。

「おお、あったあった。……おいどうした安土、机に倒れ込んで」
「ちょ、ちょっと持病が……!」


水玉になりたい症候群


 あ、り、が、と、う。
 魔法の言葉と共に与えられた極上の笑顔は致死量をゆうに超えている。成功報酬にしても、貰いすぎにもほどがある。ああもう、私は一体どうやってこの馬鹿みたいに跳ねる心臓を抑えればいいのでしょうか!

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20130726
201906 加筆


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