オルカ・オルカ | ナノ





 起床して早々、私は寝癖の跳ねる頭を全力で抱え込んでいた。昨夜の出来事を思い出すと、どうにもこうにも叫びたくてたまらない。

 あああああ考えてみたら私昨日ものっすごい適当な服だし頭もぼっさぼさだったよね!? いや普通にいつも通り散歩する予定だから仕方ないっちゃ仕方ないんだけどうわあああ恥ずかしいいい!! 橘くんに見られた! 橘くんに見られた!! でも橘くんの私服は意味が分からないくらいかわいかった……! そして悲しきかな私のクローゼットに橘くんに見せられるような崇高な服などはなから存在しない!! どうあがいてもお目汚し! というか橘くんのあの綺麗な目を汚さない服とか、もはや橘くん自身の服しかないのでは……?

 ベッドの上で呻き声をあげながら悶え転がる私にいつまでもリビングに来ない娘を呼びにきた母が引いていたが、それどころではない。しかし無情にも朝の短い時間は刻一刻と過ぎていく訳で。母の急かす声に私はしょぼくれながらいつものように支度をし、家を出て、とぼとぼと通学路を歩いていた。
 わんっ! はいおはよう天むす。帰ってきて宿題やったらまた散歩ね。わんわん! 婆ちゃんもおはよ。あらつばさちゃんおはよう、気をつけていってらっしゃい。うん、行ってきます。
 通学路途中の婆ちゃんちの門の向こうから駆け寄ってきて、朝にも関わらずハイテンションな挨拶をくれる天むすの頭を撫で、縁側に座っていた婆ちゃんにも手を振った。
 ……まあ、うだうだ考えても仕方ないか。家を出る時よりもしゃっきりした頭で結論付けて、気分を上げるよう早歩きで緩やかな坂を登る。



「おはよ、安土さん」

 だっていくら考えたって橘くんが天使なことに変わりないしね!!
 ぐっと今日も今日とて内心拳を作りながら、おはよう橘くん、と平静を装って隣の席の彼へ挨拶を返す。「昨日は大丈夫だった? 引き止めちゃってごめんね」とか天使かな。天使だね。天使以外の何者でもない。朝から素敵なはにかみ顔、ごちそうさまです。




「……で、昨晩橘真琴他二名に会ったあんたは、見事に女子力のなさを露呈した、と」
「橘くん以外に見られたのは正直どうでもいいし、今となっては橘くんが天使すぎて浄化されたからそれすら既にどうでもいい」
「ごめん何言ってんのか分からんから要約して」
「橘くんマジ天使」
「うん聞いた私が馬鹿だったわ」

 もぐもぐと持参したお弁当を咀嚼しながら、なぜ橘くんが今日も天使かの考察であり人生の命題を語る私に、友人は盛大にげんなりとした溜め息を吐き出した。俯いた頭の上に今日も乗っかるお団子が、重量に従い上下に揺れる。今更だけど重くないのかなアレ。
 二階の端、中庭に面した空き教室の一角が、私と友人が昼食にありつく秘密の場所だった。別に誰かから隠しているわけでもないけど、私たち以外誰もこないし、きっと知らないだろうから秘密の場所。先生たちは流石に知っているだろうけど、教材などが置いてあるでもなし、そう頻繁に足を運ぶこともないらしい。今のところ一度も出くわしたことはない。
 天気がいい日はたまに屋上に行ったりするけれど、基本はここ。入学してすぐ行った構内探検中に二人でこの場所を見つけて、放課後、ほこりだらけのこの部屋を快適な秘密基地にすべく掃除したのはいい思い出だ。

 ……それに。

 呆れた視線を向けてくる友人から逃げるように窓の方を見れば、中庭の芝生の上でお弁当箱を広げる橘くん。一緒にいるのは七瀬と、……ああそうだ、昨夜一緒にいた蜂蜜色の、葉月くん。
 本当に仲良しなんだなあ、と一緒に昼食を囲むその様子を窓越しに眺める。そう、ここは時折中庭にふらりと現れる彼(とほぼ確実に一緒にいる七瀬)を見ることができる、絶好の場所なのだ。木漏れ日が似合うなあ橘くん。いや、木漏れ日"も"似合うだな、うん。

「……そうやって黙ってたらただの恋する乙女なのにねえ」
「んあ? 何か言った?」
「なーんも」

 そう? と軽く流して友人から再び窓の下へと視線を向けると。

「あ! それ懐かしい! スイミングでも流行ったよね、超絶合体ドッペルゲン……!」
「ファッ!?」

 このたった一瞬の話の流れで何かがあったのだろう、小学生時代に教室で男子がやっていた気がするポーズを決めてドヤ顔をする橘くんに、素で間抜けな声が飛び出した。
 なななな、なにあれ。

「かかかかかかわ、かわ」
「声出てる声出てる」
「(たたたた橘くんかわいすぎる反応貰えなくてしょんぼりしてる橘くんとかなにそれかわいいかわいい以外の何者でもない大丈夫だよ橘くんちゃんとかわいかったよ! それに今橘くんがやったアレってやっぱり小学校の時に流行ったやつだよね懐かしいね橘くんも好きだったのかなポーズ覚えるくらいに? 何だそれけしからんかわいい)」
「満足?」
「ウス」

 脳内で発散し恭しく頷く私にゴミを見るような目が向けられるが、めげない。私はめげないぞ。

「てかさ、それより見るとこあるでしょ」
「何が?」
「あれ」

 呆れ顔の友人が指差したのは、橘くん……ではなく、橘くんたちの方をじっと見つめている女生徒。長い赤毛をポニーテールにした、遠目からでも分かる美少女だった。胸元のリボンの色を見るに、新入生だろう。

「あの子も橘くんの魅力に囚われちゃったのかな? 橘くん天使だから仕方ないよね。ってか思うんだけど、橘くんレベルの天使なら校内全員が信奉者になってもおかしくないはずなんだけどどうなってんの? 橘くんのレベルが高すぎて世界がついていけてないの?」
「……つばさ、あんたさあ」
「うん?」
「もうちょっと、こう、嫉妬とかないわけ?」
「え? ないよ?」

 だって、嫉妬をする意味が分からないし。真面目な顔で問いかけてくる友人にきっぱりと答えれば、友人は眉間に皺を寄せたままはあああ、と深く深く息を吐き出した。

「やっぱりあんた、意味分からんわ」

 心底理解が出来ないと肩を落として嘆く友人に、私はあはは、と曖昧に笑いながら、朝お弁当に入れたソーセージを食べる。実はこのやり取り、今回が初めてではない。既に何十回と行われているのだ。

「それ、昔違うやつにも言われたよ」
「そうなの?誰よそれ」
「小学校の時の同級生」
「仲良くなれるわ……」

 そしてこれも、何回問答したって変わらない。ちらりと窓の外を窺えば、いつの間にかお弁当を食べて始めている橘くん。保護者のように七瀬にもお弁当を食べるよう促している彼の表情は、笑顔。


「私は橘くんが幸せなら、なんでもいいんだよ」


 彼が笑顔なら、今日も私のご飯は美味しい。意味が分からないと言われても、私の持論はこれ。だから今日も、何の変哲もない自作のお弁当すら美味しくて美味しくて仕方ないのだ。


 すべてにおける愛と右脳


 まだ不満は解消されないらしくうだうだ言っている友人をスルーして(多分気づかれた瞬間ぶん殴られる)、天使のつむじを眺めていると、ふと、揺れる木漏れ日の下の彼と視線がぶつかった。七瀬に向けていた笑顔をそのままに、箸を指で押さえたままひらひらとこちらに振られる手に、表情筋が弛む。
 ああ、やっぱり今日も、ご飯が美味しくてたまらない。


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20130725
201906 加筆


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