オルカ・オルカ | ナノ





 今になって思えば。安土つばさという女は、無個性の皮を被り有象無象に紛れ込んではいるが、昔から大層変わった生き物だった。
 あれの存在を初めて認識したのは、確か小学三年生の時だ。そう、小学三年生の秋。それからは同じクラスだった時もあったし、違う時もあった。同じ学区だったから小中と同じ進路だったし、学校の外ですれ違ったことも一度や二度ではない。だからと言って、別に大した関係もなにもない。まともな会話なんて、たった一度したかすらも危うい。
 あくまでその程度の繋がりだ。

「……」
「……」

 ふと顔を上げたあれと、視線がぶつかった。あれはいつも、こうしてふとした瞬間にこちらに視線を送ってくる。……いや、こちら、というのは些か語弊がある。あれがいつも、ビー玉のような双眸に映しているのは俺ではなく、俺の隣にいつも佇む、幼馴染なのだから。

 俺があれを初めて認識したのも、その視線に気が付いたからだった。別に焼け付くように焦がれた、応答を求めるような力強いものではない。ただ真っ直ぐに真琴を映して、ささやかに揺れる。そして何かを噛み締めるように瞳の奥で打ち震え、色を変えるのだ。それはまるで、水面のように。
 今となっては、その視線にえらく邪なものが含まれていることも分かっている(非常に、そう非常に不本意ながら、ふとした瞬間に何故か察してしまったのだ)。今だってそうだ。つい今の今まで俺とあいつの間で寝こけている真琴を幸せそう、とも言えなくはないが、どこか危険を孕む目で見つめていた。

 だからと言って、別にあいつがどうなろうがどうでもいいし、真琴とどうなろうが、俺には何の関係もない。
 ただ、そう。
 安土は、俺たちの名前に笑ったりしないから。
 女のようだ、と物心ついたときから、環境が変わるたびに冗談混じりに揶揄られるこの名前を、ただの一度も笑ったことがないから。クラス代えのたび、進学するたび、それこそ、今朝だって。七瀬遙さん、と名前の語感から女だと認識された呼び名にくすくすと笑う周囲、男だと懇切丁寧に指摘する真琴。その一つ向こうの席でただ一心不乱に、手を挙げ主張する真琴だけを見つめるあいつ。全部、変わらない。
 だからこそ、その姿はいつも、ほんの少しだけ目に留まった。それがあれの崇拝する真琴の名前も同じ環境にあるからこそ、女のような名前に笑うなんて概念が頭の中にありもしないからだなんて、当然理解しているけれど。

「(……くだらない)」

 何はともあれ、巻き込まれるのだけはごめんだ。
 ふい、とあれから視線を外し、再び窓の外へと戻した。別に俺には何も関係ない。関係ないから、邪魔もしない。だから俺を巻き込まないでくれればそれでいい。
 ……それに、当の本人もまんざらではないらしいしな。

「……おはよ?」

 ふいに耳に入るあまりに聞き慣れた声と、揺れる気配。恐らく無理やり声を押し殺したのだろう。あ、う、うん……!? なんて上ずった声で取り繕って答える様は滑稽だ。そんなあれに、真琴は寝ぼけ混じりのままおかしそうにくすくすと笑う。
 丁寧に掃除された窓に映る、自分の右側の光景。
 顔を上げて隣を眺める幼なじみの後頭部と、全力で突っ伏したあれの不自然に上がった肩。大方またろくでもないことを考えているのだろう。

「……くだらない」

 小さく溜め息を吐いて、目を閉じた。開いた窓から入り込む春風が眠気を誘う。
 クラスの殆どが落ちかける中、めげずに授業を続ける教師の声を聞き流しながら、自分も睡魔に食われる寸前。

(……そいつ、お前が気付く少し前から起きてたけどな)

 なんて脳内で呟いたところで、それが届くのは隣ではにかむ幼馴染までなのだ。


 思考実験


 内緒だよハル、なんて言われなくても、初めから何か口に出すつもりなどない。こんな面倒ごとに自ら巻き込まれに行くほど、俺は暇でも善人でもなんでもないのだ。


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20130723
201906 加筆


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