二限の終わりを告げるチャイムと同時に、前の教科の担当教師がだれはじめていた授業をさっさと締めて教室から出て行く。それからすぐに教科書をしまうなりお弁当を持って教室を出て行く橘くんの背を、ペンケースの中をいじりながらぼんやりと見つめる。きっと今日もこれからプールの補修の続きを行うのだろう。頑張れ橘くん、とその広い背中に念を送る……のだけど、何だかいつものようにいかない。
む、と不満に唇をとがらせる。そうだ、こういう日は友人と意味のないことを駄弁るに限る。内容がない雑談は、頭にかかる靄を晴らすにはちょうどいい。そうだそうしようと一人頷き、私は早速お弁当を用意して机の上を片付ける友人の方へ向かった……のだけど。
「ごめんつばさ、急に委員会の集まり入っちゃったから今日一緒に食べれないわ」
……人生、なかなか上手くいかないものである。友人も珍しくすまなそうにしているし、そもそも委員会なら仕方ない。二つ返事で了承すると、これでも食べな、と飴をもらった。優しいじゃん……。
さて、それじゃあお昼はどうしようか。別の友達に入れてもらってもいいんだけど、……いや、とりあえず購買に行こう。いつも朝のうちに買ってある例のジュースを、校門をくぐるなり先生に仕事を押し付けられてしまったせいで今日に限って買いそこねてしまったのだ。やっぱりあれがないと元気出ないよね。ということで私は早速、お弁当と財布を持ったまま教室を出たのだった。
……が、しかし。
「本当の本当に今日はうまくいかないぞ……」
一体なぜ、とげんなり肩を落としながらとぼとぼと裏庭を歩く。なんと、今日に限ってあのジュースが売り切れてしまっていたのだ。いや、ほんとに何故。今まで丸一年以上この学校に通ってるけど、売り切れてたことなんて初めてなんですけど。私しか買わない日だってあるのに。つばさちゃんのために入荷してるようなもんよ、と笑っていた購買のおばちゃんも申し訳なさそうにしながらも局所的なブームかしらねぇ、と首を傾げていた。出てこいその局所。いやその一つは私なんだけど。
それにしても、こんなに不運が続くことってあるんだろうか。
「……いや、理由は明白なんだけど」
今日の己の不調の理由を思い浮かべ、どんよりと気持ちが沈む。消えたい。ミジンコ以下の存在の自分を抹消したい。つらい。
「ああああよりによって自分が橘くんにあんな顔させちゃうなんて……っ!」
人気のない芝の上に四つん這いに倒れ込む。つらい。つらすぎる。自分のあまりの愚かさに涙が出てくる。
――そう、理由は明白。全ては昨日の水泳部に勧誘された一件だ。
渚くんからの水泳部勧誘を断る方法を探していた私に、助け舟を出してくれた橘くん。橘くんはどこまでも優しいから、目の前で困っている人間を放っておけなかったのだ。流石だ橘くん。天使すぎる。
……けれど、私は気付いてしまったのだ。橘くんが、大いなる勘違いをしているということに。
(寂しそうな目、させちゃった)
ああああ憎い! 自分の愚かさが! 憎い!
地面に這い蹲りながら戦慄く。なぜ橘くんにあんな勘違いをさせてしまったのか。あの時羞恥心に負けずにいれば、橘くんにあんな寂しげ目をさせないで済んだのに……! これは天罰だ……天使の心を曇らせてしまった天罰だ……!
「ってことなんだけどどうしたらいいかな松岡ぁ!?」
「マジナキヤメテクダサイ」
ちなみに購買でジュースを買い損なってからずっと松岡と通話中である。てへぺろ。電話の向こうの松岡はあからさまにげんなりとした声を出してくる。しかしめげぬ。私はめげぬぞ松岡。そもそも今限界値までめげてる最中なのでこれ以上めげたら本当に立ち直れなくなってしまう。
どうしようどうしよう、と現状整理を終え半分パニック状態で泣き言を撒き散らす私に、携帯の向こうから届いたのは大きな大きな溜め息だった。
「電話代もったいねえからもう切るぞ」
「え、いやそんな殺生な……」
「……おい、安土」
「な、なに?」
「言わねえと伝わんねぇこともあんだからな」
「え? あ、ちょ、松岡……!」
松岡がそう言い切ると同時に切れる通話。あいつ言い逃げしやがった。無情にも画面に表示される通話時間を睨みながら、松岡の言葉を復唱する。
言わないと、分からない。
……そんなの、そんなの。
「分かってるけど出来ないから困ってるんでしょうがあ……!」
全力で芝生に拳を打ちつける。お察しの通り紛れもなく八つ当たりである。そもそも電話代ってこっちからかけたから松岡には関係ないじゃん……完全な言い訳じゃん……。
……仕方ない、教室に戻るか。こんな風に馬鹿をやっているところを友人に見られたらまたゴミを見るような目をされるに違いない。ましてや知らない人に見られたら120%変人認定される。いや私にとっては馬鹿でもなんでもなく真剣に悩んでるんだけど。
はぁ、と重い溜め息を吐きながら四つん這いのままだった上半身を起こしてぺたんと地面に座り込み、それから立ち上がろうとして、固まった。
「……」
「……」
あれ? なんか美少女がこっち見てるよ? もしかして一部始終見られてたのかな? いやいやそんなまさか。
恐る恐るといった様子でこちらを覗いてくる、まっすぐで綺麗な赤毛をポニーテールにした美少女にだらだらと冷や汗が流れる。あかん。変人認定確実である。詰んだ。
とりあえず無駄なあがきとは思いながらもどうにか言い訳をするべく声をかけようと試み……ようとして、私はようやく、その少女に見覚えがあることに気が付いた。
「……あれ?」
「あ、あの、安土さんですよね。私のこと覚えてますか?」
「松岡いつから女の子になったの?」
一拍を置いて飛んできた「違います!」という切実な叫びに、なんとなくデジャブを感じた。
「冗談だよ〜。お久しぶり、コウちゃん」
「もう、安土さんも相っ変わらずですね!」
ひらひらと手を振る私にぷんぷんと怒るコウちゃんを写メって送ったら松岡ももうちょいちゃんと話を聞いてくれるだろうか、と企む昼下がり。
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20130914
201906 加筆