オルカ・オルカ | ナノ




 この間葉月くんに渡した部活動申請書とおまけのメモ書きは、どうやら無事に役目を果たしたらしい。あれからすぐに彼らは顧問も見つけたらしく――というかうちのクラスの担任の天ちゃん先生なんだけど、その申請は無事に受理され、めでたく水泳部は設立される運びとなったようだ。
 ……しかし、残念ながら物事はそうトントン拍子にはいかないようで。

「部員が足りない?」
「そう、最低四人は必要なんだってさ。あと何でも、壊れたプールを補修しなくちゃいけないらしいよ」

 いつもの空き教室で、相変わらずどこから仕入れてきたのか分からない情報を教えてくれる友人の言葉にへえ、と曖昧な相槌を打ちながら玉子焼きを口に放り込んだ。やっぱり私は甘いのより出汁巻きが好きだなあなんてぼんやり考えながら咀嚼する。
 そういえば、私に部活動の設立方法を教えてくれた先生もそんなことを言っていたような気がする。そしてそれもメモしておいた気がするんだけど、多分部を作るのが楽しくって見逃しちゃったんだろうな……楽しくてうっかりしちゃう橘くん、とても良きです。

「ってか橘くんがいるんだからそもそも問題なくない? 橘くんの価値が人間一人分なわけなくない? なんなら橘くんが存在することで部として成立してない?」

 そんな持論を展開する私に、友人はむう、と不満げな顔をする。いつもなら始まった、とばかりに絶対零度の瞳を向けて来るというのに。

「えっ、なに? どうかした?」
「だーかーら、こういう時こそ、暇を持て余しているあんたが部員になったりするもんなんじゃないの!?」
「私二十五メートルすら泳げないもん」
「マネージャーとかいくらでもあるでしょ」

 ぐっ、と身を乗り出して熱量をぶつけてくる友人から逃れるようにのけぞった。いやまあ確かに私は帰宅部だし、そういう選択肢もあるかもしれないけどさあ。

「あのさあ、橘くんたちが作ったの水泳部だよ?」
「知ってるけど」
「つまりさ、…………脱ぐんだよ?」
「……ああ……」

 真顔で言った私に成る程、と納得した様子の友人は大人しく乗り出した体を元に戻した。心なしかその目が「うわ……」と一歩引いた色を宿している気がするが、少し理不尽すぎやしないだろうか。
 ちぇ、とふてくされながら、パックのジュースをストローで吸う。ずずっ、と空気を含んで流れ込んできた甘い味にあー、と無念の浮かぶ声を上げて、立ち上がる。

「新しいの購買で買ってくるね」
「自販機は?」
「これ、購買限定なのだよ」

 空のパックを振って見せれば、あんたも飽きないね、と友人が頬杖をつきながら呆れたように零す。
 だっておいしいんだもん、これ。名前やパッケージデザインが少し変わっているから皆敬遠しているみたいだけど、私はこのジュースがお気に入りで、初めて出会った高一の時から愛飲している。昔っから、好きなものに飽きはこないタイプなのだ。
 財布を持って立ち上がった私に、友人が紅茶を注文して100円玉を渡してきた。お使いですね、分かります。

 そんなこんなで購買に向かう途中、ふと、友人に聞かされたプールの補修という水泳部設立の条件を思い出した。
 ……ちょっとだけ。ほんのちょっと、覗くだけならいいかな。
 友人にあんなことを言っておいてなんだが、橘くんが設立する水泳部の行く末に興味がない訳が無いのだ。
 結局無視できなかった好奇心のまま、購買へと向かう道を逸れて、屋外のプールへと足を向ける。この岩鳶高校はこれまで長期間水泳部も水泳の授業もなかったため、プールは荒れ放題になっていた筈だ。前に屋上から何気なしに見た時も、いい加減業者呼べよと人ごとのように思ったものだ。
 体よく押し付けられちゃったんだろうなあ。ほわほわとした空気でつい引き受けてしまう人の良い橘くんを思い描く。仕方ない、橘くんはいかんせん優しいから。天使だから。そんな天使に甘えて無理難題をぶつける輩には、場合によっては天誅を与えなければならないけど。
 うん、とひとり物騒なことを考えながら歩いていると、古ぼけたフェンスの向こうからぽつぽつとした会話と、ブラシで何かを擦る音が聞こえてきた。
 これって、もしかして。

「(……やっぱり)」

 息を潜めながら背伸びをして、網目の向こう側を覗き込む。周囲を囲む桜の花弁がひらひらと舞い込む中、デッキブラシを握ってプールサイドを磨く大きな体。プールの中からは、黒髪とひよこ頭がひょこひょこと覗いている。
 お昼休みまでやってるんだ。
 すっかり寂れていたはずのプールは、以前私が見た時よりもずいぶんと綺麗になっていた。本当に水泳部作るんだなぁ。改めて実感を抱きながら、季節柄まだそう暑くもないのに汗をかいている姿に、邪な気持ちが顔を出す。

「(橘くんの滴る汗! 橘くんの真剣な横顔! そして橘くんの腕まくりいいい……!!)」

 しばらく冬服だったため随分久しぶりに拝むことができた逞しい腕に、内心ガッツポーズを作った。素敵なデザート、ごちそうさまです。脳内にそうじゃない! と全力で叫ぶ友人の姿が過ぎった気がしたが気のせいだろう。うん、きっと気のせいに違いない。

「……あっ、そうだ!」

 真剣にプールの補修に励む三人(主に橘くん)を見ていたら、いい事を思いついた。私は背伸びをやめて、本来の目的地だった購買へと駆ける。
 息を切らして駆け込んで来た私に購買のおばちゃんは首を傾げていたけれど、お気に入りのジュースを四本とすっかり忘れかけていた友人に頼まれた紅茶をお願いすれば、すぐに袋に入れてくれる。飲み過ぎには気をつけなさいね、とお釣りを用意しながらのほほんと言われたけれど、いくら大好きとはいえ流石に一人で四本は飲まないよ。しかしそんなツッコミをする間も惜しく、おばちゃんに手を振って再びプールへと駆け戻った。
 出来るだけ足跡を立てないように入り口へ向かって、柵に袋ごと差し入れをかけた。がさり、とビニール袋が鳴いて一瞬慌てたが、プールの補修に集中している彼らは気付いていないようだ。
 良かった、と胸をなで下ろし、そっとその場を離れる。ついでにそこに纏めて置いてあった、雑草がみっちり詰まったゴミ袋を見つけたので、無理やり二つ掴んで焼却炉へ持って行く。
 このくらいなら、部外者の私がお手伝いしたって許されるだろう。……許されるよね?

 軟弱な腕が明日あたり筋肉痛になりそうだけど、構わない。ブレザーのポケットに入れておいた、自分用に買ったジュースの封を開けながら、気分良く空き教室に戻る。プールの方から聞こえる三人分(いや、ほとんど二人分)の楽しそうな声に目を細めた。

 早く泳げるといいね、橘くん。


水玉ロックンロール



 翌日、案の定筋肉痛になった腕をさすりながら登校すると、机の上にアリスのメッセージシールが貼られたチョコレートの箱が置いてあった。いーとみー?
 何だろう、と疑問に思いながらも簡易な包装を解いて口に放り込むと、口内を満たすとろける甘み。同時に横からふうわりはにかみ顔でかけられたおはようの甘さに、糖分の過剰摂取で鼻血が出そうになった。

 もちろんどちらの方が甘かったかなんて、言うまでもないわけで。


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20130819
201906 加筆


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