あれから何度か鈴木さんとは顔を合わせる機会はあったけれど、お互いに声をかけることはなかった。そんな日が続いた、ある日。
「黄瀬、今ちょっといいか?」
練習後小堀先輩に声をかけられて、疑問に思いながらも素直に頷いた。さんきゅ、と歯を見せながら笑った小堀先輩はくるりと体育館の入り口を向いて、「実晴!」とあの小さな彼女の名前を呼ぶ。すると今日はいつもよりもギャラリーが少なかったからか、すぐに出てきた制服姿。スカートを翻しながら飛び出してきた彼女は真っ直ぐに小堀先輩の背中へぎゅうと抱きついた。
その様子が以前自己紹介をした時の溌剌とした姿とは違って見えて、少し心配になる。同じく気になったのか、森山先輩がぽんぽんと鈴木さんの背中を叩く。笠松先輩も女の子が苦手だから特に手も口も出さないが、それでも気にはしているようだ。大丈夫です、と口にしながらも、鈴木さんは何かを思い悩んでいるらしく難しい顔をしながら小堀先輩を見上げる。小堀先輩だけが彼女の事情を知っているらしいが、彼は「ほら頑張れ、」と笑うだけだ。うん、と頷きながらも、彼女の表情は晴れない。ぎゅうと小堀先輩の背中に抱きつきながら、彼女がちらりとこちらに視線を向けた。ばちっ、と不安げな視線がぶつかり合う。どうしよう。まるで彼女の不安が伝染したかのように、何故かこちらにも焦りが浮かぶ。
そんな表情、似合わないと何故か思った。ただ真っ直ぐに、いつものような笑顔で小堀先輩を応援していて欲しいと思った。ほんの少しだけちくりと胸が痛んだのは、何故だか分からなかったけれど。
そんなことを考えていたからだろうか。オレの口が、意味の分からないことを口走ったのは。
「オ、オレの背中、乗ってみないスか?」
ピシッ、と体育館の空気が固まったのが分かった。きょとんと鈴木さんと小堀先輩が目を丸くさせる。笠松先輩が「はぁ?」と心底呆れたような声を出す。真っ先に我に返った森山先輩が爆笑しながら早川先輩の背中をばしばしと叩いている。我ながら何を言ってるんだろう。みるみるうちに、羞恥から頬に熱が集まっていく。
穴あったら入りたい。恥ずかしさから俯いていると、黙っていた鈴木さんが一歩前に出た。小さいから、俯いていてもずっと下にある彼女の旋毛。それをぼんやりと眺めていると、ばっと彼女が上を向いた。こちらを見上げる鈴木さんは、きらきらと目を輝かせていた。
「……え?」
「いいの!?」
「え、あ、う、うん!」
予想と違う展開に戸惑いながらもぶんぶんと頷くと、鈴木さんはぱぁっと表情を輝かせる。それにつられるように、こちらも何だか嬉しくなる。
「た、多分小堀先輩よりも高くなるっスよ!」
「マジか!すごい!」
興奮した様子でぴょんぴょんと飛びながら彼女が笑う。小堀先輩に向けられるものと遜色ないような屈託のない笑顔に、わけも分からず胸があたたかくなる。
どうぞ、と背を向けてしゃがみこむと、無防備に肩に手が置かれた。小さな手だ。そんな感想を抱きながら彼女を支えて立ち上がる、と。
「うわぁ……!」
すごいすごいと鈴木さんのはしゃぐ声が真上から聞こえる。彼女にせがまれるまま一歩小堀先輩に近付くと、小堀先輩もあはは、と鈴木さんを見上げながら朗らかに笑う。
「おー、実晴でっかくなったなあ」
「本当に浩ちゃんより大きい!」
手を伸ばして小堀先輩の頭を撫で回す鈴木さんが楽しそうに笑う。先ほどの何かを悩んでいる様子はもうない。良かった。この間と同じようにまた意味も分からず安心していると、とんとん、と肩を叩かれた。あ、降りるのかな。落とさないようにそっとしゃがんで膝を床につけると、ぴょんと鈴木さんが降りる。それからまた、小堀先輩の元へ向かった。
でも、さっきとは違う。彼女は小堀先輩の前にいて、にこにこと笑みを浮かべながらしゃがんだままのオレを見ている。
「へへ、ありがとう黄瀬くん!浩ちゃんより身長高いの新鮮で楽しかったよ!」
「良かったっス!」
「うん!あとね、……この間も、助けてくれてありがとう!本当に助かった。それなのに、初めて会った時に意地悪言ってごめんなさい!」
ぺこん、と鈴木さんが頭を下げる。この間、というのはきっと、彼女を前に出してあげた時のこと。良かった、お節介じゃなかった。ほっと息を吐きながら、彼女の言葉を思い出してぶんぶんと首を横に振った。
「いやいやいや!オレも初めての時はすげー感じ悪かったし、謝んないで欲しいッス!」
「……そんなことなかったよ?」
「いーや、そんなことあったんス!」
勝手な先入観を抱いてしまったのだと見上げながら言うと、鈴木さんはきょとんとしてからあはは、と笑う。小堀先輩と笑い方、少し似てる。
「じゃあ、お互いさまってことにしよう!」
仲直り、と鈴木さんがオレの手をとる。小さな手がオレの手を掴んで、ぶんぶんと縦に振った。
そんなんで、いいんスか。もっと怒ったりしないんスか。
色々な疑問が頭をよぎったけれど、鈴木さんがあまりに嬉しそうににこにこと笑うから。
「……か、海常高校一年、黄瀬涼太!よろしくお願いするッス、実晴っち!」
この間の彼女のように自己紹介をすると、彼女はぱちぱちと瞬きをしてから、
「よろしく、涼ちゃん!」
――鮮やかに、笑った。
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20130404