夜に染まった森はざわざわと揺れている。狐が歩く度にちりん、ちりんと鈴が鳴った。着物の袂にでも入れているのかもしれない。恐らく、今までずっと大切に持っていてくれたのだろう。そうして俺が鈴の音を聞いて祖母を思い出したように、狐は俺を思い出していたのだろうか。

「…寒くないか」

歩きながら狐は俺を見下ろした。俺が首を降ると、狐はそうかと言ってまた前を向く。とても静かだった。森が風に揺れる音と、鈴の澄んだ音だけしか聞こえない。子供の頃、あんなに五月蝿かった虫たちは沈黙を守っている。


「…お前が泣いていたあの日、私は石像であることを酷く悔やんだものだ。泣くお前を抱き締めることも、涙を拭うことすらもできぬ。それが、化け物へ堕ちて人の姿を手に入れ、こうしてお前を抱いているのだから不思議だな」

俺は狐の顔を見上げた。狐はとても穏やかな顔で俺を見つめていた。そして、そっと唇を寄せる。それは口づけと呼ぶにはあまりに一瞬で、切ないものだった。

やがて狐は俺を地面へと丁寧に立たせる。俺を踏みつけていたのが嘘のように。きっとこれが本当の狐なのだろう。俺の裏切りは、優しい狐を変えてしまったのだ。

「…狐、」
「此処を真っ直ぐに行けば、森を出られる。私は此処を離れられない、故にお前を追いかけることも出来ない」

狐はそこで言葉をきった。そうして右手を差し出した。そこには、あの日と全く変わらぬままの鈴が乗っていた。
「ずっと一緒だと言われて私は嬉しかった。本当に、嬉しかったのだ。…しかし、私はお前との約束を守れなんだ。そんな私にこれを持っている資格はない」

俺は狐に促されるまま、鈴を受け取った。俺の手に渡った瞬間、鈴は沈黙し、錆び付いた。狐は俺に伸ばした手で触れようとして、力なく腕を下ろした。

「早く、早く行け。私が私である内に。私がお前を連れ去る前に」

狐はそう言った。とても悲しそうな苦しそうな顔で。俺は錆び付いてもう鳴らなくなった鈴を握りしめ、狐を見る。その瞳は行くなと、寂しいとそう言っていた。俺は唇を噛み締めて、踵を返すと走り出す。今度は追うものもない。

森を出た瞬間、後ろから悲しい狐のなく声が聞こえた。悲哀のこもった鳴き声に誘われるように、俺はひっそりと泣いた。声も出さずにほろりほろりと静かに泣いている狐の姿が目に焼きついて離れなかった。






「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -