Etoile Filante | ナノ
Tochi [13/13]
  全天に燦然と輝く星々は碧い水面の先へと、溶けていった。島の外れに停泊する帆船のその上にまたたいていたもの達もひとしく去って、当たりはみな淡い紫苑の色に染まっていたのだった。

「シャンクス、私、自分で歩けるよ…?」
「そうかそうか、」
「おろして…?」
「ん?やだ。」

  シャンクスのものだろう、ダボダボのシャツとズボンを着込んで、袖口やらを捲り上げたいとはおどおどと軽快に笑う男の肩に手を回していたのだった。片腕だけで抱えられていても落ちる不安を全く感じさせない程シャンクスの腕は逞しい。
  落ちる心配はこれっぽっちも無いのだがいかんせん、気恥ずかしいというかなんというか。

「目眩とかも、もう全然ないし…」
「万が一があるだろ。」
「歩き辛くない?」
「ちっとも。」
「私重たいよ…?」
「うんにゃ。」

  悠然と歩く音はいつまで経っても二つ分にはならない。真っ直ぐな廊下を進むシャンクスはご機嫌でいとの頬に小さく口付ける。その後は唇を落とした場所に頬をすり寄せては、やに下がった面持ちを隠そうともしなかった。

「おれはそんなにヤワじゃねェよ。」
「あの、」
「照れ隠し誤魔化したいンならもっと上手くお口を動かしてみろよ、いと。今のまんまじゃ可愛いだけだ。」
「っ、」
「かわいいなァ。な、キスしよう。」

  出入り口の前で立ち止まって、いとの了解の無いままシャンクスは唇を重ね合わせてしまうのだった。あっさりと舌をいとの中に忍び込ませて熱い吐息をおくる。…男の気が済んだのは彼女が震えてしまう頃だった。

「…っは…ぁ…」
「…離れ離れになってたんだ、おれらはその分の埋め合わせをせにゃあいけねェ。だろう?」

  だから暫くはいいこにしておれに抱っこされてろよ。邪気がナリを潜めた顔のシャンクスは『彼方』の世界にいた頃と同じ笑顔をいとに向けていた。からりとした『少年の満面の笑み』にいとはとうとう降参して片腕の中で縮こまる。

「よーお、おまえら待たせたな。」
「開かずの間から出てきなさった!」
「うお、ちっちぇ。ちっちぇー女の子だ。」

  いとが瞳を伏せている隙にシャンクスはお行儀悪く足を使って、外へ悠々と歩き出てしまっていた。朝焼けもまだの淡紫苑の中であるというのに既に甲板はわいわいと騒ぐクルー達で賑わっていた。
  ぽかんと眺めているのはいとばかりで、シャンクスは示し合わせていたのだろうかそぞろ笑みにも似たものを浮かべるとひと所へと向かっていた。

「おはようさん。」
「へェヘェおはよーさん。…だらっしのねェお顔ですこと。」
「嬉しくて堪ンねェからな!ヤソップ、紹介するよ。おれの大事な大事なお嬢さんだ。…ほらいと。」
「…え、あ、その。…はじめまして…?」
「ご丁寧にどおも。」

  いきなり話題を振られたいとは頭にハテナマークを敷き詰めつつも目の前の男に会釈する。それに釣られて頭を下げたガタイのいい男は最後に一言シャンクスに向かって幸せボケすんなよ、と呟いていた。

「そろそろ宴の準備も終わる頃だ。」
「そりゃいいタイミングだったな。」
「ベンももうすぐ戻っだろ。」
「なんだ、あいつまだだったのか。」

  ふむ、と喉の奥で言葉を転がしてシャンクスはいとを抱え直す。相棒に最愛のお嬢さんをこれでもかと自慢してやろうかと思っていたのだが、男同士の話は随分と長引いてしまっているらしい。

「折角の宴だってのに。なァいと。」
「えーと、なんの宴なの…?」
「そりゃモチロンいとの乗船祝いだ。」
「わたしの?こんなに朝はやく?」
「あぁ。一番似合う服着て、お化粧もさせてやりたかったんだがな。…これからロマンチックなショーが始まるんだ、記念にはもってこいだろう?酒の肴にもなる。」

  昼間流星群(デイライトシャワー)っつうんだと。とぱちぱちと瞬きをする瞳を覗き込んでシャンクスははにかむ。ロマンチックなんて滅多に使わない単語に難儀をしている、と察したのは生憎ヤソップだけであったが。

「あ、それ、私もちょっとだけ教えてもらったよ。」

  いとはエースと出会ったばかり、あの食堂にあったポスターを思い出す。随分と昔の感覚であるが実際はつい最近の出来事で…そういえばエースはどうしているだろうか。

「陽が昇ってから始まるらしいが…ま、ちょっと早くなったっていいだろ。」
「にしても早すぎだろう。」

  少し呆れた、低い声がその場を通り抜けると同時にシャンクスは口角を上げる。紫煙の香りが漂ってきていともまたそちらに視線を向けるとそこにいたのは偉丈夫の、白髪の男だった。覚えのある匂いはさて何処であったかと小首を傾げるいとに白髪の男はベン・ベックマンだ、と名乗っていた。

「体調はどうだ?」
「…え?あの、はい。立ち眩みとか全然なくて、不思議なくらいに…。」
「おとぎ話も馬鹿にならねェ、か。」
「おとぎばなし…?」
「いや。元気になったんなら何より。…こいつも心配してたんでな。」

  ベックマンが顎をしゃくる方へと体を捩って見るいとをシャンクスは苦笑いでただ眺めているだけだった。こいつ?と言葉を反芻してばかりのいとはオレンジ色の帽子を瞳に映すと漸く口を開く。

「…よ、いと。」
「エースさんっ。」
「よく来たなァエース。おまえも飲んでけよ。」

  いとを降ろす事なく、寧ろ抱く力を強くしたシャンクスはそばかすのある青年へと何を考えているのかわからない気楽な声を上げていた。

「…趣味わりーな。」
「そりゃどおも。」
「イイ性格、の方がお好みか?」
「上等の褒め言葉だな。」
「…はァ…。…いと、大丈夫か?」
「はい。その節はご迷惑おかけしまシタ…」

  昨晩の記憶と現在の状態に照れいってしまったいとはしどろもどろとなりながら、目尻を弛めたエースの方を見つめていた。随分とお世話になった相手にこの状況では礼もまともに述べられないと、眉を下げてからシャンクスの襟元をくいくいと軽く引っ張るのだった。

「シャンクス、降ろして欲しいデス…」
「…。」
「エースさんにお礼を…」
「…、」
「シャンクス…」
「…しょうがねぇなァ。」

  しぶしぶ、といった態でのたのたといとの願いを聞いてやったシャンクスはちょっとだけだぞ。と拗ねた口調で腰を屈めるのだった。ペタとしまりの無い音をさせるのは病院からそのまま持って帰ってきてしまったスリッパだ。…後で返しに行かねば。

「エースさん、いろいろお世話になりました。…勝手に行動してばかりでごめんなさい。」
「そんだけいとが必死だったってことだろ?気にすんな。」
「…はい。」
「…まさか探してたのがおっさんだったとは思わなかったけど。」
「オイオイ酷ェ言い様だ。」

  横槍を入れるシャンクスをチラリと見て、エースははぁと溜息をついた。あの夜とは見違える程の血色のいいいとに堪らなく安堵してもう一度溜息をつく。

「…いとが元気ならいい。」
「エースさんにたくさん助けていただきました、本当にありがとうございます。それに私、勘違いして話をややこしくしてまして。」

  シャンクスが歳上の男だとは、と眉をハの字にしていとは再びお世話になりましたと深々頭を下げたのだった。エースは己しかわからない程度に顔をほんの少しだけ歪めていた。

「困った時はお互い様。ほら、顔上げてくれよ。」
「…はい。」

  そうやっていとの柔らかな面持ちを見て、彼女の背中から零れる光に目を細める。ああ、陽が昇ったのだと囁けば周りのクルー達も時同じく声を上げ始めるのだった。
  シャンクス達もまた水平線を眺めて、朝の光に心を凪ぐ。

「じきか、」
「そうさな、」
「朝陽も肴に出来るたァ、乙だねぇ。」

  ざわめく甲板にシャンクスはニカリと笑いながら目を向ける。楽しい宴が始まりそうだと髪を掻き上げた瞬間、その瞬間。

「来たぞ…!」
「おおっ!」

  昇る途中の太陽の端が掛けていく。球体は齧られた様にじわりじわりと消えていく。不思議な、情景であった。
  陽が昇る毎に強くなるはずの光は影に食べられていく。

「日食だ…」
「これが昼間流星群?」
「いいや、これからだ。」

  樽ジョッキを持った男たちが口々と諳んじる合間をぬってベックマンは天頂を仰ぐ。日食も稀有な事象だが本番はまだ始まっていない。じわりじわりと明るさは暗がりに飲まれていって、眠った筈の闇が起きてくる。もうすぐだ。
  まぼろしの夜が立つ、星が降る。

「…来たぞ!」
「ながれぼしが…」

  濃紺の空に引っかき傷がついた。光で出来た線は先ずはひとつ、次にふたつ。数える事ができたのは十を超えた頃までだった。後は次から次へと星は四方八方へと散っては踊り、濃紺に白金の色を添えていく。

「数年に一度、この島でしか観測されない『日食と同時に起こる流星群』…見事なもんだ。」
「よっしゃ!カンパーイ!」
「…、」
「…海賊に情緒を求めるモンじゃ無ェぞベン。」

  とっておきのラムのコルクを流星群の仲間入りをさせる様に吹き飛ばす。その先陣を切るのはヤソップで、シャンクスも騒がしさを咎めずに愉快を顔に馴染ませていたのであった。

「きれい…」
「いと。」
「エースさ、きゃ、」

  流れ星に紛れる様に、流れる様に腕を伸ばすのは二本の腕だった。タトゥーが見えた、といとが瞠目した瞬間にエースは細い肩ごとがばりと抱き締めたのだった。僅か一拍の間であった。

「エ、ス…さ、」
「おいこらガキンチョ、」

  いとの驚きの声とシャンクスの静かな怒声が混じり合った瞬間にエースも秘めた熱を言葉に宿して喉を震わせていた。

「事情は聞いた。」
「いとがシャンクスが傍にいねェと死んじまう事も。」
「でもな。」

  矢継ぎ早に告げられる言葉であっても、そのひとつひとつに確かな想いが宿っていた。いとは身を捩るでもなくそのおもいに耳を傾け瞳を滲ませる。

「こころが解けていくみたいに分かっていった、」
「…はい、」
「いとが好きだ。」
「…エースさん…」
「出会ってちょっとしか経ってねェのに、あっという間に惚れちまった。」
「…っ!」

  流れ星と重なる様にいとの瞳から雫がはらり、はらりと流れ落ちていく。空で躍る輝きよりもずっと美しくて尊い光のつぶだとおもったのは…はたして誰であろうか。

「あの、私、エースさんの気持ちにこたえることは…」
「…言わなくていい。わかってる。」

  エースが腕を緩めた瞬間にいとは後ろに引っ張られた。赤い色が見え、次に片腕が腹に回されて大きなものにのし掛かられる。いとと呼ばれ、そちらへと振り返れば熱いくちびるが小さな口を塞ぐ。

「…んっ、」
「おれのおんな泣かすんじゃねェ。」

  鋭い声がエースを突き刺し、暗がりでもわかる剣呑な眼差しがそこに浮かんでいた。これがオヤジと肩を並べる『四皇』かと思えばエースは妙な感覚に襲われるのだった。

「おまえ、これから苦労するな。」
「させねェよ。」
「しゃ、シャンクス、腕の力弛めて…」
「言わんこっちゃねェ。…な、いと。」
「え、はあい?」

  ぎゅうぎゅうと抱き込むシャンクスに苦笑をしながらも、逃げ出さないいとにわらったエースは軽い口調でもし、もしもな、と流星と同じ速度で呟く。

「もしおれがいいと思ったら言え。シャンクスと離れても生きていられる方法を意地でも探してやるから。…おれの方が将来性あるぞ?歳も近いし。」
「将来性を持ち出すなら今すぐに生き急ぐのを止めるこったな。」
「後手後手になるよりマシだろロリコン。」
「うるせェクソ餓鬼。」

  程度の低い口喧嘩、その応答をしてからようようエースは口角を上げてそれからいつぞやの時と同じくぽおん、と飛び上がり船の縁へと両足を乗せたのだった。

「エースさん。…私、シャンクスじゃないとだめなんです…」
「うん。」
「好きと言ってくださって、ありがとうございます、でも。」
「…いとの気持ちを蔑ろにしたい訳じゃないんだ。シャンクスがくたばったら迎えに来るさ。」
「おれは死なんさ。」
「どうだか、」

  あくまでも軽く。それ以上は野暮だろう。
  
「またな、いと。」
「…はい。…また。」

  いとの声は涙で潤んでいて小さな囁きの様な声だったがエースには届いていたらしい。酷く穏やかに微笑んでエースは暗がりに臆する事なく船から飛び降り、地面に足をつけたのだった。
  そして、紺色の空を仰ぐ。
  星が降ってくれているから、もうそれだけでよかった。

「いと、」
「…行っちゃったね。」
「そうだな。」

  ほろり、とひと雫頬に光らせたいとを再び抱え上げて濡れた肌に唇を寄せたのはどこか熱を湛えたおとこだった。口元は笑みを作っている癖に瞳は真剣で、いとは吸い込まれる様にその姿を見つめているのだった。

「いとはもう何処へもやらん。」
「うん。」
「離してやる気もねェ。」
「うん。」

  流星群を背中に誂えた男は光のつぶの様な言葉を次々と愛しいおんなに贈っていく。赤い髪を揺らして、いとの雫を生み出すところを傷のある瞼を開いて、じいと見つめる。

「いとはおれの一番近いとこに居て、何処にも行っちゃならねェんだよ。」
「…うん。」
「いとの全部はおれのもんだ。おれの全部はいとのもんでもある。」
「ありがとう、シャンクス…」
「どういたしまして。」
「私もシャンクスから離れたくないよ…」
「安心しろ。離してやるもんか。」

  その柔らかなおとこの声で、流れ星よりも綺麗ないとの涙がいくつも降っていく。

「あいしてる。」

  自然と口から零れていった言葉は輝いている様で、その一音、その全てが何ものにも勝ると信じてやまなかった。
  いとも、シャンクスも。

  やがて星は海へと落ちて。船は星降る街から遠ざかる。
  赤の船首の帆船は誓いを涙に宿した男を乗せて、青い世界へと運んでいく。
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